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『夏の日のヒトコマ』
梅雨が明けて待ちに待った夏が始まった七月のある朝のこと。
日曜日なのに朝早くから忙しそうに動く麻衣にまだベッドでゴロゴロしている陸は顔だけを上げるとクローゼットへと視線を向けた。
「ねー。折角の休みなんだからベッドにおいでよー」
「んー少し待ってね」
クローゼットの前に膝を付いて片付けをしている麻衣の快い返事に陸は満足そうに笑ってベッドにダラリと四肢を投げ出す。
夏の朝は早い、ベッド上から射し込む陽射しはレースのカーテン越しにも関わらず肌に突き刺さる。
陽射しは強くても快適な温度湿度を保った寝室では肌が汗ばむ事もなく、サラリとしたシーツの感触に陸は頬を寄せて目を閉じた。
好きな人と暮らして仕事も順調で、ドキドキするような出来事は少ないけれど、穏やかに過ぎていく日々はとても優しい。
心地良さに陸の意識がトロンと蕩け始めた頃、ベッドの軋む音に陸は目を閉じたまま手を動かした。
ー
ベッドの上で手を滑らせてすぐ麻衣の体を見つけるとそのまま寄り甘えたように腰に抱き着いた。
「眠かったら寝てていいのに」
好きな人の声はどんな癒しの音楽にも敵わない、うっとりと目を閉じている陸は髪を撫でられる優しい手を掴まえた。
「麻衣と一緒に一日寝てるのもいいけど、梅雨も明けたしさ久々に出掛けようよ。映画見て美味しい物食べて……、それから……」
「あ……ごめんね、陸。私……今日は買い物に行こうと思って」
「いいよ。荷物が多くなるといけないから車で行こうか」
「あ、あの……ね。一人で行って来るから。でも夕方までには帰ってくるよ! 陸の好きなケーキ買ってくるよ。それと……デパ地下で陸の好きなお惣菜、も……」
「麻ー衣ー!」
さっきまでの甘い雰囲気はどこへやら、ガバッと跳ね起きた陸は麻衣を睨みつけた。
「なんかおかしいと思ったんだよね! 朝からゴロゴロしてても文句言わないし、クーラー付けっぱなしでも怒らないし、朝から妙に優しいし!!」
「気のせいだってば……」
「じゃあ、何で買い物に一人で行くとか言うの!」
「それは、ほら……バーゲンの買い物に付き合わせたら悪いかなぁって。たまの休みくらいのんびり過ごして欲しいなぁ、とか……」
「俺はこんな涼しい部屋で一人で寝ているよりも、たとえ36度あっても街の真ん中で麻衣と汗かきながら歩く方がいい!!」
「……36度もあったら、外を歩くのはちょっと嫌だけど」
「麻衣ッ!!」
「だって……」
これでもかというほど頬を膨らませた陸に睨まれて麻衣は視線を泳がせたが、絶対に引きそうにない陸の執念を感じ取ってか観念して口を開いた。
「陸と買い物に行くと目立つんだもん」
「なにそれ」
「だーかーらー! お店の店員さんとかに無駄に話し掛けられたりするじゃない。陸もなんか愛想振り撒いて相手するし……」
「あ、なに……ヤキモチ?」
麻衣の言葉に陸の顔にパァーッと笑顔が広がる。
「そうじゃなくて」
すぐに返ってきた否定の言葉に陸はムッスリすると口を開いた。
「あー分かった。麻衣はアレだろ、両手いっぱいに袋を提げてたら人にぶつかって紐が千切れて、ぶつかった相手が年上のちょっとイケメンで出来る男系のサラリーマンって感じで、『大丈夫ですか?』とかってこれみよがしに手を差し出されて頬を染めるつもりなんだろっ!!!」
「…………」
「……なんだよ」
呆れて物も言えないと顔に書いてある麻衣の憮然とした表情に陸の唇が自然と尖る。
拗ねた子供のような態度の陸に麻衣はため息を吐きながら笑顔を浮かべた。
「一緒に行こっか」
「麻衣ー」
許しの言葉に陸は抱き着こうとしたが、それを麻衣は顔の前で人差し指を立てて制した。
「今日は荷物持ちだよ。それと……」
「それと?」
言いにくそうに口篭る麻衣を促した陸は思いもよらぬ甘い言葉に自然と顔を近づける。
「私以外に余所見しないでね」
「いつだって俺は麻衣しか見えないよ」
今朝のおはようのキスはいつもよりずっと甘い。
end
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