彼は大人だった。
 どんな時だって、何をしていたって、彼の仕草はスマートで洗練されていて、彼の口から紡ぎ出される言葉はまるで魔法のようで、私の幼い心と頭を引っ張り上げてくれる。

 彼の隣にいることはとても心地良かった。子供だ子供だとバカにされることも多いけれど、それも含めて彼が隣にいる時間が好きだった。

 許されることならずっと彼のそばにいたい。叶えられるはずがないと分かっていても、真っ白なドレスを着て彼の隣に立つ自分を想像したことだってある。

 彼の前から黙って姿を消したことは、彼を前にしたら上手く話せないだろうという思いもあったけど、いつか来てしまうだろう最後の時を先延ばしにしたに過ぎない。
 決定的な終わりが来てしまうことが怖くて、終わりにしてしまう勇気のない私は逃げただけだった。

 長い長い沈黙、彼はいったい何を考えているんだろう。
 どんな言葉を以って二人の最後を締めくくるつもりでいるんだろう。

 自分からは何も告げられず、最後の言葉を待つことしか出来ない。
 出来れば冷たい言葉がいいと思った。未練など持てないほど冷たく突き放された方がいい、最初は辛いだろうけどその方がちゃんと立ち直れるに違いない。

 どのくらいの時間が過ぎたのだろうか、その瞬間を待つ私の五感はいつになく敏感で、彼が息を吸う小さな音さえも聞き逃さなかった。

 来る。
 私は奥歯をグッと噛み締めた。

「バカな子ほど可愛いという言葉を知っているか?」
「はい?」
「俺はな、お前のバカなところも可愛いと思っていたけどな、今日ほどお前のバカさ加減に腹が立ったことはない」
「はあ……」

 何だろう、これは。
 褒められているんだろうか、貶されているんだろうか、私の知識の中にある別れ話にはないパターンの切り出し方に、覚悟していたはずの心がみっともなく揺れる。

「それとお前は可愛く出来ないところが可愛くない。難しいことを考えようとしたって、限られた処理能力では最適な答えが導き出されるはずもない、バカならバカなりの行動の仕方というものがあるだろうが」

 バカって5回も言われた。
 出来れば冷たい言葉いいとは思ったけれど、これは何かが違うんじゃないかと、「バカ」な私でも何となく察することが出来る。

「あ、あの……さ」
「お前の足りない頭ではいくら考えても分からないだろう」

 私が口を挟むも無視されて断言された。
 いいよ、分かりましたよ。
 最後まで話を聞こうじゃありませんか。

「こういう時は何て言えばいいのか教えてやる。二度は言わないからな、バカな頭でも忘れないように俺の後にすぐに復唱しろ、分かったか」
「…………」
「分かったか?」
「わ、分かりました」

 怖い顔で睨まれて何度も頷いて返した。

「それでも、そばにいたい」
「……え?」
「お前は耳までバカになったのか?」
「だ、だって……今のって……」
「聞こえなかったのか?」
「聞こえた。で、でも……」
「復唱しろ」
「で、でも……」
「二度も言わせるな」
「そ……それでも、そばに……いたい」

 本当はずっとずっと口にしたかった言葉。
 歳が離れているけれど、釣り合うほど綺麗じゃないけれど、胸を晴れる学歴もないけれど、それでも……それでも彼のそばにいたい、そう思っていた。

「当然だ。離れられると思ったか?」
「だ、だけど……私じゃ……」
「俺が何の考えもなしに妹の友達に手を出すと思うか? 感情だけで突っ走ろうなんて考えるほど、お前みたいにガキじゃないんだ」

 胸が震える、溢れてしまいそうなものを堪えようとして、瞼も唇も手も震えてしまう。

「お前が嫌だと言うから黙ってやっていたけどな、こんな面倒なことになるくらいならお前の言うことなんて無視してやれば良かったんだ」
「え、何?」
「初めてだから恥ずかしいだろうし、こっちも少しくらいお前のペースに合わせてやろうと思ってたけどな、もう止めたからな」
「何、どういう意味? 何を言ってるの?」
「あー、お前の残念な頭では、理解出来ないのも無理はないか」

 おかしいな、ここは感動的な場面のはずだったのに……。
 何も変わらない彼の態度、相変わらず理解し切れない彼の言葉、おかげで180度違う感情で唇も手も震える。
 ムカつく、ムカつくけど好きな気持ちは変えられない。
 悔しい、悔しいけど言い返せるだけの口撃も理論も持ち合わせていない。

「むぅ……嫌い」

 可愛くなくて何が悪い、一般的に可愛いとされることを簡単に出来たら、こんな面倒なことになっていないはず。
 分かっていてもすぐに直せるはずもなく、今までと変わらない言葉が口から出てしまう。

「ほお?」

 チラリと横を見れば、すべてを見透かしたような視線でジッと見つめられて、悪態を吐いたばかりの唇を尖らせたままさらに小さく呟いた。

「でも、好き」
「だろうな」

 唇の端を上げて自信たっぷりに返す彼を憎らしいと思いつつも、そんな彼をカッコいいと思ってしまうのも事実。

「話も終わったし、飯でも食いに行くか」
「ちょっと待って! まだ、終わってない!! さっきのどういう意味?? ねぇってば!!」

 彼は涼しい顔でイグニッションキーを回して、今にも出発しそうな勢いに慌てて彼とハンドルの間に顔を挟みこんだ。
 至近距離から彼の顔を見上げて、言ってくれるまで動かないと視線だけで意志を伝える。

「もうコソコソとこういうことをしなくてもいいってことだ。だが……お前は言い訳を考えた方がいいだろうな」
「だか……っん」

 ハンドルに押さえ込まれる形で簡単に唇を奪われてしまった。
 カバンの中では携帯が彼の言葉の答えとなる親友からの着信を告げていたが、久しぶりの彼との大人のキスに何かを考える余裕を奪われていた私が気付くのはもう少しあとのこと。


end

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