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「実家って? 何かあったの?」
『何かって。野暮用だよ』
「野暮用って?」
『おいおい、どうしたんだよ。やけに突っ込んでくるな。野暮用は野暮用だ。大人には色々あるんだよ。まぁ、社会人になったとはいえ選挙権もないお前には分からないこともある』
はぐらかされた。
いつも二言目には「大人」という言葉を口にして、何かあるたびに子ども扱いする彼だけれど、こんな風にはぐらかすのはひどい。
付き合っているのに、恋人同士のはずなのに、確かに将来の約束とかそういう話はしたことはないけれど、秘密にしていい話じゃないと思う。
本当は知っていると打ち明けたら彼はどんな反応をするんだろう。
怖いけど知りたい。
知りたいけど望んでいない真実を知るのは怖い。
いおうかいうまいか葛藤を続けている間、電話中であることも忘れて沈黙を続けていると、同じく沈黙だった電話の向こうでフッと息を吐くを音がした。
『そうだ。またしばらく忙しくなるから連絡出来そうにない』
「え、あ……そうなんだ」
唐突に切り替わった話題に頭が着いて行かず、いつものように虚勢を張って返せなかった。
あからさまにガッカリした声が出たことに気が付いたけれど遅い、電話の向こうの彼が一瞬戸惑ったような気配が伝わってくる。
『悪いな。仕事が落ち着いたらどこか行くか。お前が就職してからあまり遊びに連れて行ってやれないしな。温泉でも入って美味いもんで食うか』
「別に……そんなつもりじゃ……」
『それともテーマパークにするか? あんな人の多い所に行って何が楽しいか理解出来んが、お前はああいった場所は好きだろう?』
「あ……う、うん」
『どこに行きたいか考えておけ。遠慮はするなよ』
「分かった」
『じゃあな。また、連絡する』
おやすみ、と短い挨拶を交わして電話は切れた。
訪れた静寂に自分の心臓がいつもよりも大きな音を立てていたことに気が付いた。
たまにしか見せない優しい大人の彼。
こういうのはズルイ、彼はきっと分かっててやってる。
いつだって彼のペースで子供の私は彼に着いていくので精一杯、たまには振り回してみたい必死になって追いかけて欲しい、天と地がひっくり返ってもありえないことばかりを頭に描く。
「結局、聞きたいこと聞けなかった。本当のことも言って貰えなかった」
音のしない部屋で独り言ちて、零れてしまったため息は本心かもしれない。
『疲れたって思ったら恋愛は終わりなの』
小説だっけマンガだっけ、それとも友達か職場の誰かが言った言葉だっけ、普段の自分なら思い出さないようなそんな言葉が頭の引き出しからポトリと落ちてくる。
彼の隣にいたくて背伸びして、からかわれるのさえも嬉しくて、会えないことが寂しいなんて言って困らせたくなくて、とにかく彼に釣り合う大人の女性になりたかった。
頑張っても頑張っても届かない。
何かに似ているなって思い出したのは中学の部活動、毎日毎日一生懸命練習したけれど結局三年間レギュラーに選ばれることはなかった。
それを人は頑張りが足りなかった、もっと練習をすれば良かったと言うかもしれない、でも持っている資質はそれぞれ違っていて、横一列に並んでヨーイドンとスタートは出来なかった。
最初からある差を埋めることは出来なかった、恵まれた資質でも奢らず練習をした彼女たちがレギュラーをものにした。
差を埋められるように彼女たちの何倍も練習すれば、生まれ持った資質なんて関係ない、そんな風に思って誰よりも練習に励んだこともあったけれど、ある時に気が付いてしまった。
どれだけ頑張れば追いつけるのか、二倍? 三倍? 一日も休まずに走りこみをしたら? 毎晩寝る前に素振りをしたら? いつまで経っても結果が出ないことに「疲れた」そう思ったのは三年生になった初夏。
最後の大会に向けての予選会、いつものレギュラーの面々に新しく加わったのは、入ったばかりの一年生だった。
真新しい運動着に身を包み初々しい彼女がレギュラーである先輩たちに囲まれて嬉しそうに笑っている光景を見て、今まで積み重ねてきた物が一瞬で崩れていくのを感じた。
好きだからこれ以上疲れて嫌いになってしまいたくない。
暗い部屋で目を閉じて出した結論を行動に移したのは翌日のことだった。
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