ビデオカメラと最初のシュート
「偵察に行くわよ!!」
こんにちはー、と部室に顔を出した途端リコに腕を引っ張られ、訳も分からず連れ出されたその先でセツナは素っ頓狂な声をあげた。
「きゅ、急にどうしたんですかリコ先輩!?」
「近くでねー、今度の予選の相手が練習試合してるのよ!相手のデータは多ければ多いほどイイわ。セツナちゃんにも偵察のイロハを仕込んであげるから覚悟して!!」
「はいぃ・・・!」
「気の抜けた返事はしない!!」
「はっ、はい!!」
「よし!じゃあ早速〜、セツナちゃんはいこれ、ビデオカメラ。これからセツナちゃんはカメラ係ね!誠凛の試合は勿論記録してもらうし、偵察行くときにも相棒になるから大切にしてよ?」
ぎゅ、と手に握りこまされたそれは、セツナの手より少し大きいくらいのハンディカメラだ。真新しいのか、ピカピカと光る綺麗な銀色のボディに思わず見入る。
それにしても、変だ。以前見せてもらったバスケ部のビデオカメラは確か年季が入っていて、こんなに小さくなかったはずだ。色も黒で、修理に出したとしても辻褄が合わない。
どうしたのだろう、と悩むセツナに、リコが悪戯が成功した子供のようなしたり顔で言った。
「それ、今のところセツナちゃん専用のビデオカメラよ。前のカメラは伊月君家で使ってたのを譲ってもらったんだけど、古かったのもあってこの間ついにご臨終しちゃってねー。せっかくマネージャーが正式に入ったんだし、部費で買っちゃった☆」
「あ、新しく買ったんですか!?」
「そうよー?まぁ、壊さなければ好きに使っていいわ。これから偵察はセツナちゃんに行ってもらうことになるだろうし、チームの試合記録を映像として残すのもマネージャーの仕事。時折練習風景も撮ってね、どんなことでもあとから見直せば気付けることがあるから」
に、と笑うリコにセツナはただただ自分の手の中で鎮座するハンディカメラを眺めた。
最新モデル、ではないのだろうがそれだってそれなりの値段はするはずだ。
それを、渡された。
それは憧れのリコが、セツナのマネージャーとしての仕事に多少なりとも期待を寄せてくれている証のような気がして。
嬉しくて顔が熱い。
ぎゅう、とカメラを抱きしめて、セツナは先に行くリコの後を追って走り出した。
「・・・がんばります!!」
「よろしいっ!!」
・*・*・*・
セツナの初めての偵察は、リコの助けも合ってなんとか成功した。
無事練習試合の映像も撮れたし、セネガル人の留学生についての情報も入手できた。それによって誠凛の課題も見えてきたのだから大成功と言ってもいい。
誠凛に帰ってからリコに課された火神と黒子の特別メニューの様子もきっちりと収めたそのビデオカメラのデータを見返しながら、セツナはゆるゆるとゆるむ頬を抑えることができなかった。
「・・・えへへ」
「おい眞城、気持ちワリィぞ」
「火神くん流石にそれはちょっと失礼だと思います」
「あ、ごめんね。なんか、どうしても嬉しくて」
放課後、通例ともなってしまったマジバでの集いの最中にも花を飛ばすセツナに火神は訝しげな視線を投げつける。しかし火神の隣に座るセツナはまったく気づかずにへらりとした笑みをこぼし続けた。次々と消費される大量のマジバーガーは、いつもは見ているだけでお腹いっぱいになってしまうのだが今日はそれすらも無く。
ひとり向かい側に座る黒子は正面からセツナの嬉しそうな顔を見て、微笑ましげに目元を緩めた。
「眞城さん、ボクにも見せてください」
「うん!はい、これ今日の特別メニューの様子。新協学園の練習試合の方はどうする?必要ならDVDにデータ焼いて明日にでも渡すよ」
「いいんですか?」
「資料用に一枚は焼かなくちゃいけないから、一枚も二枚も変わらないよ。火神くんはどうする?」
「あー、俺も欲しい。“お父さん”の癖イマイチ覚えきれなくて」
「分かった、じゃあ明日渡すね」
「おう、頼んだ」
「お願いします」
「任せて」
にこにこと笑ってビデオカメラを撫でるセツナは、本当に嬉しそうだ。
目元が溶けたように緩んで、頬もすこし紅潮していて。子供のように喜びを顕にするセツナを見て、黒子はもとより火神もつられるように口元を引き上げた。
「眞城ー、俺にも見せろ。水戸部先輩と練習した方」
「まだボク見てるんですけど」
「じゃあお前と眞城の席交換しろよ。そうすりゃ俺とお前で見れんじゃん」
「そうだね、私そっち行くよ。荷物は移動しなくていいよね?」
「火神くんがこっちくればいいんじゃないですか」
「俺窓側だから動きにくいんだよ」
なんだかんだ言いつつ黒子と火神が隣合い、セツナがひとり向かいに座る。
真剣な表情でデータを見返す二人に、セツナはやはりにこにこしたままポテトに手を伸ばした。
(かっこいいなぁ)
二人を見ているとそれが一番に出てくる。
それはリコを見ていても、違うチームメイトを見ていても思うことなのだが黒子と火神はまた別格のように思えた。バスケに対して熱心で真摯で真剣で。
本当に、バスケが好きで。
セツナはバスケをしたことがない。正確に言えば、かじった程度だ。もちろんそれは中学の体育の授業でやった程度で、かじったというより舐めた位の方が正しい。
今思えばよくマネージャーになろうなどと思えたものだ。勢い、というものは時にとても大切だと身に染みる。あの時の勢いのおかげで、今があるのだから。
「・・・バスケ、いいなぁ」
なんとなく、やってみたくなった。
だって二人があまりに真剣に、楽しそうに居るから。ぽつりと零した声は本当に小さな呟きだったのだけど、思ったよりははっきりと言葉にしてしまっていたようで。
「じゃあ、ストバス行きます?」
「え?」
ぼんやりとしていた意識が急速に目の前の水色に収束した。
ばちりと合った黒子の視線に驚いて、おもわず火神の方を見る。その火神も、最後の一個のマジバーガーを口に放り込みながらなにやら面白そうに腕を回し始めて。
「行くか。晩飯前の腹ごなしだ」
「そうですね、行きましょう」
「え、え、ほん、とうに行くの?」
「だって、眞城さんバスケやりたいんですよね?」
「やりたいって、言うか・・・あんまり二人が楽しそうにしてるから、いいなぁって、思っただけで・・・でもあの、・・・行っていいの?二人共今日の練習で疲れてるんじゃ」
「大丈夫ですよ」
にこ、と黒子が柔らかい笑みを浮かべ荷物を持って立ち上がり、火神も食べ終えたマジバーガーの包み紙をぐしゃぐしゃと丸めて店を出る準備をする。それにぽかんとしたまま身を固めていたセツナだが、ついで投げられた火神の言葉に慌ててスクールバッグを肩にかけた。
「なんだよ眞城行かねーのかよ。置いてくぞ」
「い、行く!」
・*・*・*・
時間は夜の七時を少しすぎ、街の街灯が煌々と光り始めた頃だ。
いざストバスコートに来てみたものの薄ぼんやりとした人気のないコートはほんの少しだけ怖い。だがそこに火神と黒子が入っていくと途端にコートが明るくなっていく気がするのだから不思議だ。
まず最初に火神がボールを軽くドリブルし、ダムダムと音を響かせながらそのままレイアップシュートを決めた。黒子も同じようにドリブルしてからシュートを打つが、バゥンとゴールに弾かれて落ちる。納得いかなそうに僅かに口元を曲げつつ、黒子はいまだコートの外でそわそわしているセツナに声をかけた。
「やらないんですか?」
「え、と…どう、すればいいのかなって…」
「こちらへどうぞ」
黒子に促されるまま、おずおずとゴールの近くへと進む。バスケのコートはいつも見ている。セツナにとってコートは、黒子と火神や、先輩たちや、降旗達が必死に日々の鍛錬をこなし、その成果を示さんと力を出す神聖な場所だ。そこに自分がボールを持って、バスケをしようと入っていくのには何だか奇妙な心地がした。
「ボールをドリブルするときは、手のひら全体で叩くというより指先で押す感じで」
「こ、こうかな」
「上手いですよ。もう少し力を入れて」
「うん」
黒子の言うとおりに、ボールを突く。指先で押すように、と念じながらボールの跳ね返りにタイミングを合わせていく。幾度か繰り返す内に安定してドリブルが続くようになった。ちなみに火神は反対側のゴールで一人シュートを決めている。
ちらりとそちらを伺い見れば、ちょうど火神もこちらを振り返ったところで僅かに視線がかち合った。それから何を思ったのか、に、と笑って3Pラインからシュートモーションに入る。火神の手から放たれたボールは綺麗な放物線を描いて、ゴールリングに吸い込まれていった。
一度得意げな顔を見せてから、ボールが転がっていった、三人の荷物が置いてあるベンチの方へ歩いていく。
「すごいなぁ・・・」
「眞城さんもシュート打ってみましょうか」
「え、あ、でも、…私、体育の授業でバスケやったけど、一回もシュート入ったことなくて」
「大丈夫ですよ。ボクだってシュートの成功率は半々です」
悔しいですけど、と前置きしてから、黒子はゆっくりとシュートモーションにはいった。
真剣な横顔に思わず魅入ってしまうが、それよりも放たれたボールの行方が気になってついと目を走らせる。ゆるい放物線をなぞるようにゴールへ走るオレンジ色のボールは一度ゴールリングにぶつかり、ぐるぐると迷いを見せてからゆっくりとネットに吸い込まれた。
「黒子くんだって入るじゃない」
「入りました」
「うん、…私も入ると思う?」
「一緒にやってみましょう」
黒子に促されるまま、両手でボールを持って頭上に構える。右手を額側に、左手は添えるだけ。今まで体育の授業で何度かやった動作だが、黒子に見られていると思うとひどく緊張した。こくりと小さく唾を飲み込んで。
「もっと腰を落として」
「は、はいっ」
「ゴールをまっすぐ見るんです。リングじゃなくて、あの四角い模様に当てるつもりで…」
「うん」
「落ち着いて、」
まっすぐ、ゴールを見る。
すぅと一度大きく息を吸い込んでから、ぐっと右手を突き出した。放たれたボールは遅くふらふらと頼りなさげだが、それでもゴールに迫る。ゴッ、と言う鈍い音と共にリングに当たり、何度か跳ね返りながらようやっとネットを潜った。
ゴール下でばうんばうんと跳ねるボールを取りに行ってくれた黒子が、柔く笑んでセツナの前に立つ。
「・・・はいった」
「入りましたね」
「は・・・初めて、ゴールにはいったよ」
「おめでとうございます」
「・・・っ!!」
嬉しい。嬉しくて、心臓が痛いくらいだ。
思わず両手で頬を抑えて俯いた、その頭に黒子の手が伸びる。ぽんぽん、と優しく撫でられ必死につくろっていた顔面がへにゃりと崩れてしまった。
「ありがとう黒子くん!黒子くんが教えてくれたから入ったよ!」
「いえ、そんなことないですよ。眞城さんのフォームはとても綺麗でしたし、これから数をこなせばもっと入るようになると思います」
「本当?うわぁ、嬉しいな・・・どうしよう、一回シュート入っただけなのに、私すごいドキドキしてる・・・すごいね黒子くん、バスケって楽しいね!」
「そうですね・・・バスケ、楽しいですよね」
「うんっ」
柔らかな月の光が照らすコートの隅で、少しだけ磨り減ったボールを持ちふたりで心底楽しそうに笑い合う。そんな優しい光景を、休憩がてらビデオカメラをいじっていた火神が面白半分に録画していたことをセツナが知るのは、もう少し後のことになる。
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