お試し黒ばす | ナノ

ラッキーアイテムの効能


不思議だ。
セツナがあれほど苦労した人波が、彼と歩くだけでまるで漣のように思えてしまう。人の数に変わりはないはずなのに、彼の足取りは一度も止まることなくすいすいと人の間を抜けてあっという間に水飲み場に到着できた。
半ば呆然としながら、セツナは水色の彼に促されるままに膝の血と泥を洗い流し、ハンカチで抑える。
そこでやっと我に返った。確か絆創膏は持っていたはずだが、中身をばらまいてしまった為どこに入っているのか分からない。ごそごそとバッグの中を漁っていると、また不意に彼の手が視界に入ってきた。


「絆創膏、よかったらこれ使ってください」
「あ、重ね重ねすみません。・・・ありがとうございます」
「部活ブースには、もう行ったんですか?」
「実は、まだ・・・恥ずかしいんですが、人波に飲まれてしまって」
「ここまで付き合っちゃいましたし、ボクでよければ案内しますよ」
「本当ですか。ありがとうございます」
「いえ。ボクはもう希望出したので、暇ですから。どこの部活ですか?」
「え、と、バスケ部に」


セツナの言葉に、彼は若干目を見開いた。
ここに来て初めて彼の表情というものを見た気がする。

(お、かしいかな、やっぱり・・・私みたいなのが運動部とか・・・確かに中学までは文化部で、合唱とか声楽とか、そういうのしかやったことないけど・・・でも)

セツナが悶々とした思考を展開しているうちに、彼はまた無表情に戻っていた。いや、でも僅かに、嬉しそうにも見える。


「奇遇ですね。僕もバスケ部なんです」
「は。そ、そうなんですか?じゃあ、これからよろしくお願いします、に、なりますね。私、まだ入部届け出してないですけど」
「そうなりますね。あれ、でも、誠凛って女子バスケ部はないですよ?」
「いいんです、男子バスケ部で。私、マネージャー志望なので」
「あぁ、そうなんですか。じゃあ・・・これから、よろしくお願いします」
「こっ、こちらこそよろしくお願いします!」


お互いにぺこりと頭を下げて、セツナは偶然とは言え男子バスケ部の子と話せたことに笑みを浮かべた。いつの間にか、彼と話す緊張はなくなっている。
それどころか物腰穏やかにゆっくりと話してくれる彼との会話は思うよりずっとスムーズに続けられて、だんだん楽しくなってきた。
そして、はたと気付く。ここまでお話したのに、彼の名前を知らない。

聞いてみたい。いい、だろうか。

(・・・いいよね?これから、一応、部活仲間になる人だし)

部屋の壁に掲げた目標を思い出し、思い切って自分から声をかけた。


「あ、の。名前、なんていうんですか?」
「そういえば、名乗ってなかったですね。黒子テツヤです。キミは?」
「あ、私、眞城セツナといいます。黒子、くん、ね。今日、いろいろありがとう。おかげですごく助かりました」
「いえ、たまたまボクのほうにハンカチが飛んできたので」


黒子がセツナの名前を小さく復唱して、そっと手を差し出す。
先程まではその手をとることに戸惑っていたセツナも、自然にその手を借りて立ち上がった。スカートについた砂粒を払い落としながら、ふたり連れ添ってバスケ部のブースへと歩き出した。

膝、大丈夫ですか。うん、平気だよ。
もう少しゆっくり歩きましょうか。大丈夫、そんな大したケガじゃないよ。本当にありがとう、黒子くん。

大きく盛り上がることはないが、途切れることもない。
ぽつぽつとゆるいキャッチボールをするような会話は、ほんのりとした居心地の良さを感じる。
黒子はセツナの歩くペースに合わせてゆっくり歩きながら、好きなテレビ番組や好物、文庫のジャンルや最近の時事ニュースなどについて話した。話してみると、黒子とセツナには不思議なほど共通点が多かった。二人共本を読むのが好きだったり、好物にしても、セツナはストロベリーシェイクが、黒子はバニラシェイクが好きだったり。その話題になって、黒子は思い出したようにセツナを振り返った。
また、さらりと綺麗な水色の髪が揺れる。


「そういえば、眞城さんはバニラの香りがしますね」
「え?・・・あ、うん。今日はハンカチに、少しアロマを付けてるの」
「そうですか」


今まで緩んでいたとは言えほぼ無表情に近かった黒子が、一瞬だけふわりと微笑んだ。


「ボク、好きですよ。バニラの香り」


ど、と一度だけ心臓が鳴る。
それは、鮮烈、だ。言葉にするなら、これ以外に思い浮かばない。
セツナが見たのは本当に一瞬の微笑みだけだったのに、黒子の僅かな笑みが網膜に焼きついてまるで頭を殴られたかのようで。

(男の子って、こんなきれいに笑うものなんだ)

今までとどこか違う、ばくばくと高鳴る心臓に耳が痛くなる。これはなんだろう。
理由の分からない胸の痛みはしばらくすれば落ち着いたけど。

不覚ながら、これ以降の記憶が不鮮明でどうやってバスケ部のブースに行ったのか思い出せない。会話は、続けていたと思うけどその内容は曖昧だ。
仮入部用紙に記入して受理してもらい、何かいろいろ説明を受けたけどその内容もあまり覚えていない。
ただぐるぐると、黒子の僅かな微笑みが頭を巡っていて。
ラッキーアイテムのバニラのアロマ・・・今日限りのアイテムだったはずのそれをセツナが愛用するようになってしまう程度には、セツナにとって衝撃的な出来事だった。







上の空になってしまったセツナを不思議そうに眺めながら、黒子は彼女からさりげなく香る甘い匂いに再び頬を緩めた。
ほのかな余韻を残して甘く香るバニラはそれほど強く主張しているわけでもなく、どこかふぅわりとした雰囲気を持つ彼女にとてもよく似合っている。飛んできたハンカチから最初に感じたバニラの香りは、どこか郷愁の思いを巻き起こすような気もした。
黒子の口元くらいまでしかない小柄な身長で性格も大人しそうで、一見運動部とはかけ離れた印象をもつ彼女がバスケ部を希望していると知った時には多少なり驚いたが、自分も似たようなものだと思い直し納得する。
本の趣味も、好物も、はてまた部活まで黒子と似たセツナ。
彼女が、マネージャー。
もしかしたら、似た者同士気が合うかもしれませんね。
初対面に近い今でも十分楽しい会話を思い返しながら、黒子は相変わらず上の空で、それでもしっかり返事は返してくれるセツナの横顔をのぞき見た。

prev / next
[ Back to noveltop /site top]

×
「#オメガバース」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -