男前彼女×美少女彼氏
むす、っとぶすくれた顔をしている彼女に何と声を掛けて良いか分からなくて、兵助はただ小さく溜息を付いた。
しかしいつまでも黙っている訳にはいかないので、思い切って声を掛けてみる。
「…礼、」
「なんですか、兵子ちゃん。美人でおしとやかで、殿方にもてもての兵子ちゃん」
「…」
ダメだ。
つーんとそっぽを向いたまま、他人行儀に嫌みを足して返された答えに頭を抱えたくなった。完全に拗ねている。
兵助が「俺だって好きでこうなったわけじゃない!」と言い訳してみても彼女には届かないだろう。
あぁ、ちくしょう。
ことの顛末は至って簡単だ。
兵助と礼はとある任務を与えられて町に来ていた。特筆すべきところは何もないごくごく普通の諜報任務だ…ただひとつ、諜報場所が女人限定の茶屋であるということを覗いて。
そう。
今日の兵助は女装をしている。
別に普通の町娘の格好なのだが、これが今の礼には気にくわないらしい…
最初は特に問題なかったのだ。普通に待ち合わせして無事諜報活動を終えて、ちょうど帰り道で。
女装はしていたが、男のままだとどうにも気恥ずかしくて彼女である礼と手を繋ぐことさえ出来なかった兵助は折角だし、町をのんびり見て帰ろうかと提案した。
評判の豆腐屋にも行ってみたかったし、一見して女同士に見えるのだから手を繋いでも気恥ずかしいことも無いのだと自分に言い聞かせての選択だったが…
そう思ったのがいけなかったのだと今にして後悔していた。
「ねぇねぇ、君可愛いねぇ〜、どう?俺とお茶でも」
すれ違い様、男に声を掛けられたのだ。
…兵助が。
どこにでも転がっているような安い誘い文句だ、それこそ使い古されて錆びてるんじゃないかというほどに。
忍たまの女装授業では町で男を引っ掛けて来い、って言うのもあったし今更声を掛けられたからと言って動揺するほどのことではない。
兵助は内心苦笑しつつ当たり障りの無い受け答えをして、とりあえずその場は穏便に終わった。
その時はまだ、礼も普通だった…と、思う。
しかしそれも最初だけ。二回、三回、と兵助が声を掛けられる回数が多くなっていく度、礼の視線は段々と熱をなくし、それこそ絶対零度と表現しても過言ではないんじゃないかと思うくらいに冷たくなっていった。
それはきっと納得がいかないからだろう、と思う。
…女装しているだけで本当は男である兵助ばかり人気で、正真正銘女である礼が一度たりとも声を掛けられていないという事実に……
どうしたらいいんだ。
いつもなら「あれ綺麗ー!」などと言って兵助が止めるのも聞かずに簪屋や着物屋に走っていく礼が、だんまり決め込んでしずしずと歩いている。
怖い。正直に言うと、とても怖い。
この心がざわつく感覚をなんて言うんだったか、と兵助は考えた。
あぁ、そうだ。
嵐の前の静けさ。
「…礼」
「何でしょう?」
「あの、怒って、る」
「いいえ?怒ってないですよ?何言ってるんですか兵子ちゃん、オホホホ」
お前普段オホホなんていわないだろー!!
と声を大にして叫びだしたい。でも言ったら最後矢のような視線が突き刺さるのだろうから口を紡ぐ。
早く帰ろう。そうしよう。評判の豆腐屋も非常に気になるが今日は諦める。命は惜しむものだ。
そう決めて兵助は礼の手を強く握り返し、歩く速度を速めた。
「へいす、…兵子ちゃん、急にどうしたの?」
「早く、帰りましょう」
「え?でもまだお豆腐屋さんに行ってないですよ」
「いいんです、いいんです。それはまた今度行きますから、ね、帰りましょう」
「…兵子ちゃんがいいなら、いいけd
「へーい彼女!俺とお茶しない?」「しません!!!」
どちくしょう!!
折角持ち上がりかけた礼の機嫌が再び急降下していくのを肌で感じ、兵助はその場から逃げ出したくなった。
ぶわ、と背後で膨れ上がった殺気に当てられて気絶できたら…どんなに楽だろう…と内心涙が溢れる。
冷たく冷えた礼の掌が震えていた。
「…………………んのよ…」(ボソッ
「あん?あーごめんねぇ君には興味ないや。それよりこっちの美人さんね」
「…その美人は私のものだって言ってんのよ!!!」
「へ?」
後ろでボゴォ!と音がしたと同時にぐいっと襟を引っ張られ、気付いたら兵助の唇はなにか暖かいものに塞がれていた。
息が出来ない。あれ?
しばらくもごもごと抵抗とも呼べない動きをしてみたが、がっちりと礼につかまれている頬はぴくりとも動かない。
ぷは、とやっと開放されたと思ったら、そのまま腕にしがみ付かれて。
「いい!?ここにいる男供、よーく聞きなさい。この美人はね、兵子ちゃんはねっ、私のものなんだから!!勝手にベタベタしてんじゃないわよ、はったおすわよ!!そこで伸びてる男みたいに鳩尾に一発入れるだけじゃ済まさないから、肝に命じなさい。分かったわね!!?
まるで般若の如き形相とそこら一帯に響かんばかりのドスの利いた声で堂々と宣言し、礼はふん!と鼻息も荒く下駄を鳴らして踵を返した。
勿論、兵助の腕を離さないまま。
・*・*・*・
「…あの、礼」
町を出て学園の近くまで来てもずんずんずんと大股で早歩きしていく礼に、兵助は恐る恐る話しかけた。
「何」
「さっき、のって」
「…あのまんまの意味よ。私怒ってるの!皆して何なのよ、私の兵助にあんな軽々しく声掛けて何様のつもり!?」
唇を尖らせ、礼は怒り心頭の様子で拳を握った。礼の瞳の奥でメラッと燃え上がっている炎のその意味が分からない程、兵助は機微に疎いわけではない。
しかしそれをまるっと信じられるほど、兵助の心は色恋に慣れてはいなかった。
ぐ、と引き締められた礼の唇はついさっき、兵助のそれと触れていたのだ。そのことを唐突に理解すると同時に兵助の顔が朱に染まり、それを見た礼の頬もばら色になった。
「礼は、俺ばっかり男の人に声掛けられるから、怒ってるのかと思ってた」
「そんなことで怒んないわよ。兵助が…兵子ちゃんが色白で美人でおしとやかで、私なんかよりずっとイイ女だっていうのは兵助の女装を初めて見たときから知ってるの。でも、兵助は私の彼氏でしょ。つまり、兵助扮する兵子ちゃんは私の彼女でしょ!?なのに町の男供ったら鼻の下伸ばして私の兵子ちゃんに色目使うなんて…っあああ!!思い出したらまたむかついてきた!!」
ムキイィ!!と拳を天に振りかざし地団駄踏む礼だが、兵助はそれどころではなかった。
顔が熱い。顔だけじゃない、体全体が発熱しているようだ。
礼とキスをした。付き合って半年、初めてというわけではないが、あんな人前で堂々とされたことなど勿論無い。それにあんな、あんな宣言。
久々知兵子の可愛さと可憐さとを力説する礼の声が更に兵助の羞恥心やプライドや色々なモノを駆り立て、ついに学園の門が見え出したところで兵助は立ち止まった。
まだ手を繋いだままだったので自然礼の足も止まる。
急にその場から動かなくなった兵助に気付き、礼はやっと主張を止めて兵助の顔を覗き込んだ。
「…兵助?」
「俺…俺、今日、声掛けられたのが俺で、よかったって思ってる…」
「どういうこと?」
「だって、もし礼が他の男に声掛けられてたら…自分を抑える自信無かったよ」
「…、え」
「礼の宣言を、そっくり返すようで恥ずかしいけど…礼も、俺のものだろ?」
「…―――っ!!!///」
ぼ、と礼の顔にも火が付いた。わなわなと震えて、繋ぎっぱなしの手にぎゅっと力が入る。
だけどそれも少しの間だけで、礼はまっすぐ兵助の目を見て言った。
「当たり前でしょ」
澄ました顔ではっきり認めつつ頬だけはどんどん赤くなる礼を、兵助は本当に可愛いと思った。
夕闇は近い。山の向こうに沈みながら空気を橙の光で満たす太陽のせいではなく、二人の顔は熟れた林檎のようだ。
恥ずかしくて合わせられない視線が一瞬だけ絡み合い、どちらからともなく唇を近づけた。
一つになった長い影を見ているのは、静かに佇む学園の門だけ…
あまりの羞恥と歓喜に堪え切れずこつんと額を合わせて、兵助は目を閉じた。
「でも、もう女装して礼と町に行くことはしない」
「え、なんで!兵子ちゃん綺麗なのに」
「今度は、ちゃんと男のままでデートしたい、から」
「っ…そ、そっか!」
次は任務帰りなんかじゃなくて、ちゃんと。
そう言いきった兵助に礼は「楽しみにしてる!」と破顔した。
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「…あいつら…帰りが遅いから探しに行ってやろうかと思ってたのに」
「門の前でイチャイチャしてるなんて、ある意味勇者だよね。あ、あそこで立花先輩も出歯亀してる」
「ははは…しかし兵助が女装してるから、なんかあれだね。危ない恋仲みたいだね」
「雷蔵のその発想が危ねぇよ…ところで三郎?それ何してるんだ」
「え、いや何、あの二人の百合っぷりは見事だから模写しておこうかと。うまくいけばマニアに売れビリィィィΣあぁぁ何するんだ勘右衛門!!」
「らいぞー、パス」
「了解。三郎…ちょっとあっち行こうか。友人を売るとか…ね?」
「あっいやまて雷蔵これはちょっとした冗談で、ッアー!!」
任務はちゃんとやったから許してね
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