春の淡雪 10
〔なんなのだ?! 今の会話は?! まるで雲雀の浮気がお美凰にばれて、浮気を詰らぬお美凰に開き直った雲雀が悪態をついている様ではないか?! えっ?! そうなのか?! し、しかし雲雀の態度はお美凰に悋気して欲しかったかの様な…、い、いや待てっ! 悋気しているではないかっ?! あの貴重な私信の状態を見ろっ! うちの親父殿宛に届いた赤坂の芸者からの付け文を見つけたお袋殿が破り損ねてへろへろになったのとそっくり同じではないかっ?! 極限?〕

 まさかまさかと思いつつ、ぽかんとしていた笹川は口をもごもご動かしていたが、ふうっと息を吐き出すと、とにかく美凰の事を弁明しておいてやろうと雲雀に向かって話し始めた。

「雲雀…、お美凰を追いかけんでよいのか?」
「…、なんで?」
「い、いや、なんでって…、そのう、泣いておったし…、それに雨が降ってきたぞ?」
「…、裏門の詰所で傘借りて帰るでしょ!」
「ま、まあ…、それはそうだが…」
「……」

 笹川は、苛ついた様子で椅子に座りなおした雲雀の向かいに腰を下ろした。

「そのう…、なんだ? 帰ってもあんまり厳しく叱ってやるな。お美凰は悪気があってあんな態度をとったのではないと思うぞ」
「……」
「第一…、あれだぞ! お前の態度が悪すぎる! お美凰が来るまでは途中で何かあったのではとずっと心配し続けていた癖して、来たら来たであの悪態! 婦女子を泣かすのは日本男児としてあるまじき醜態と思え! 極限!」
「……」

 手持ち無沙汰になった笹川は美凰が持参してきた稲荷寿司を頬張り、その美味しさにうむうむと声をあげつつ、疑惑に満ちた視線を開封もされずに放置されたままのよれよれの私信に向けた。

「まあ…、好きな女からの恋文をぼろぼろにされれば…、俺でも少しは怒るかも知れんが…」
「……」
「しかし…、お美凰は絶対に故意でやったわけではない筈だ!」
「……」
「所で…、随分みすぼらしくなっとるが…、芳乃の付け文、読まんのか?」
「……」



 週一の出稽古の際は必ず美凰に作らせ、持参させる弁当。
 大好物の稲荷寿司をひとつ手に取ると、雲雀は無言のまま口に運んだ。
 常ならば、甘すぎない揚げと紫蘇の実が混ぜられた飯の調和が舌の上で美味を感じさせる筈なのに、今日は砂を噛む様な味わいだ。
 何を言ってもむっつり押し黙っている雲雀に、笹川は逞しい肩を竦めた。

「お前は子どもの頃からそうなのだが…、都合が悪くなるとだんまりになる癖は男としてどうかと思うぞ、雲雀!」
「煩いな…、黙って食べる事が出来ないのかい? 君は…」

 探るような目つきで、笹川は淡々と言葉を続けた。

「お前な…。はっきり言って、俺はお前と義兄弟になれなんだ事を心から寂しく思っておるのだぞ!」

 雲雀は鼻先で笑った。

「それは悪かったね。でも君の妹は初めから沢田宮親王殿下のものだよ。朝会った時、そう返事しただろ」
「ふむ…。では本当に、お前のお母上と美馬家には謹んでお断り申し上げてよいのだな?」
「まず弱気な親王殿下の背中を押してあげなよ。僕の方は京子嬢との縁組はお断りすると殿下に申し上げているし…。笹川家にしてみればうちにしても美馬にしても、断るだけのちゃんとした理由が必要だろ。親王妃になる事が決まったというのは最強のカードだろ」

 笹川は行儀悪く、甘くなった指をぺろぺろ舐めた。

「まあな。しかしお前…、京子のどこが気に入らん? 兄の俺が言うのもなんだが、京子は妻にするには完璧な女だぞ! 俺としては親王殿下のお言葉があっても、極限、お前と京子が想いあっているなら…」

 雲雀はもぐもぐ口を動かしながら苦笑した。

「想いあってなんかいないよ。君の妹は親王殿下と相思だ。見てて解らないの? 呆れた兄貴だね」
「ふぅむ〜 そういうものか…」
「それに…、気に入るとか気にいらないとか…、そういう問題じゃない」
「……」



 そう。
 そういう問題じゃないんだ。
 僕には既に、好きな娘がいるから…。
 そしてその娘は、僕に芸者の妾がいると誤解して泣きながら去っていった…。

「お美凰は大丈夫であろうか? 極限、雨脚が酷くなってきたぞ?」

 笹川は今一度、雲雀に向かって水を向けてみる。
 激しい雨になりつつある空模様を、雲雀はじっと見上げた。

「…、彼女の事はどうでもいいけど、そろそろ帰るよ。京子嬢に昼食のお礼、言っといてね」
「うむ! 極限、伝えておくぞ!」

 笹川は、疑惑を少しずつ確定に向け始めた。

〔こやつ…、どうでもいいなどと言いおってからに…。これはやはり…。では例の話をしておくべきであろうな?〕




 美凰は傘を持っていなかったし、あの取り乱し様では詰所で傘を借りるなど思いついてもいないだろう。
 今から車を飛ばせば、あっという間に追いつく。
 些か慌て気味に席を立った雲雀に向かい、最後の一個の稲荷寿司を鷲掴んだ笹川は思い出したかの様に声をかけた。

「あ、雲雀! もう一つ、お美凰のことだがな…」
「なに? しつこいね、君も…。厳しく叱らなきゃいいんでしょ! 解ってるよ」
「いや、そのことではない。実は山本に頼まれてな。色々あたったのだが…、漸く黒川男爵の養女にする手筈を整えたぞ。極限!」

 雲雀は眉を顰めた。

「は? 山本って山本武のことかい? どういうことなの?」
「むっ? 山本から何も聞いておらんのか? あやつ、獄寺と共に親王殿下のお供をしてこの秋から二年間、英吉利に留学することになったであろう」
「ああ。それは聞いているよ。最初は僕に同行のお達しがあったけど、うちは今、父が欧州視察で留守だからね。謹んでお断りさせて戴いたんだ」
「でまあ、武官としても役に立つという所で山本に同行の白羽の矢が立ったのだが、それが決まってから突如、俺の元にあやつが相談に参ってな…」
「……」

「お美凰を妻にして英吉利留学に伴いたいので、なんとか養女になれる先を世話してほしいと…」
「なんだって?!」

 笹川の言葉に雲雀の頭は真っ白になり、身体中の血が凍りつきそうになった。





 雲雀は思わず、手刀で破壊せんばかりの勢いでテーブルを叩いた。

「! 何も聞いてないよ! そんなの許可した覚えもないね!」

 一方、雲雀の剣幕に些か吃驚した笹川はどんぐり眼を面白そうに丸くした。

「なに? 雇い主の雲雀が知らんだと? まぁ、一女中の恋話を堅物の雲雀がいちいち知る由もないであろうが…」
「恋話ってなにそれ! 山本と美凰が愛し合っているとでも言いたいわけ?!」
「ぶふおっ!!!」

 飲み込みかけた稲荷寿司を、笹川はまたもや喉に詰めてしまった…。
 幼い頃からの付き合いだが、これ程までに余裕のない雲雀の般若面を笹川は初めて見た。
 恋というものは、雲雀程の男の性格まで変えてしまうらしい。
 そしてストレートな雲雀の言葉に、笹川は思わず赤面してしまった。

「お、おいおい! 雲雀、落ち着け! 女嫌いのお前の口からあっ、愛し合うなどという言葉が出るとは…、俺は思わなんだぞ、極限!」
「そんなことどうだっていいよ! それよりどうなのさ!」
「い、いや、どうと言われても…。山本はなにせ直球勝負の男ゆえな。以前からお美凰に惚れているのは周知の事実だが、お美凰の気持ちは俺は知らぬし、二人の間でどのような話の進展があるのかは解らぬ」
「……」
「親父殿が早々に隠居して俺が現時点で笹川の当主であれば、お美凰を義妹と言う事にして山本に嫁がせる事も可能であったのだが…」

 その瞬間、笹川の顔面にいつの間に握られていたのか、きらりと光る冷たい旋棍(とんふぁー)の先端が突きつけられた。

「そんなことしてみろ! 今までの付き合いもこれまでだよ! 咬み殺す!」

 途端に、笹川は椅子を蹴って立ち上がると拳闘の構えを取った。

「おおっ?! 貴様が怒る理由は明白だが、まあ、極限やる気なら受けて立つぞっ?!」
「美凰は山本の妻になんかならないよ! 骨折り損だったね! 黒川男爵とやらにもお気の毒様と言っておいてくれない!」

 白銀の旋棍が鋭敏な音を立てて翻る。

「ぬおっ?! おっ?! おいおい、雲雀…、ぬっ!」

 雲雀の半端でない鋭い武器の繰り出しを、体術でかわしていた笹川は些か焦った。
 こんな雲雀の様子は初めて見る…。

「美凰は僕のだ! 山本になんか渡すもんか!」
「やっ?! やっぱりか?! お前!!!」

 雲雀の口から出た思わぬ告白に、笹川が衝撃を受けた事は言うまでもない。
 笹川は思わず足元を掬われて、その場にどさっと尻餅をついた。

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