春の淡雪 7
 美凰の無垢な身体を奪った日からほぼ毎夜、僕は十時の鐘の音と共に彼女の部屋へ姿を現し、二度、三度に亘る激しい情交を強要した。
 事後は僕の身体を綺麗に拭わせ、閨を共にする時に着用する様にと言って買い与えた緋色の長襦袢姿で哀しそうに項垂れている美凰を残し、日付が変わって間もない時刻には自分の寝室に帰っていった。
“もうこんな事はやめて欲しい”と、美凰にどんなに哀願されても聞き入れることはなかったし、彼女の悲痛な心情など知る由もなかった。
 身体の関係を持つ様になってから二ヶ月近く経ったが、美凰は一度も“僕を好きだ”とは口にしない。
 僕もそれを彼女に強請らない。
 彼女は僕の言うことはなんでも聞く。
 僕がしろと命じたことに逆らうことはないし、僕の言葉のすべては美凰にとっての命令となってしまうからだ。
 だからもし、僕に対する想いを吐露しろと言えばそれは彼女にとって命令となり、僕は権力を行使して彼女の心を思いのままにしたこととなる。
 そこまで考えて僕は苦笑した。

〔いや…。今でも充分権力を行使してるじゃないか。身体はよがっていても、心は伴っていない。美凰は快楽に溺れる自分自身を嫌悪し、ひっそりと泣き咽ぶ。その姿に苛々して、僕はますます彼女を虐めてしまう。素直じゃないのは僕の方だ。どうして“好きだ”と言ってやらない? 僕からそう告げてしまえば、もっと違う世界が開けるかもしれないのに…〕

 それでも僕は嫌だった。
 表面上は“美凰も本当は僕の事を好きに違いない”などと嘯いていても、その実、自分が恋情を吐露した瞬間、その思いを拒絶される事を僕は心のどこかで恐れているのだ。
 不安で堪らなかった癖にそれをおくびにも出さず、僕は強い男を装った…。



『お義父さま。お祖母さまのお加減は…』
『心配するな! お前がお屋敷で頑張ってくれてる給金で、いい医者にかかってるよ』
『お見舞いのお私信と…、若さまのお乳母さまから頂戴した蜜柑を…』
『こりゃあ美味そうだ! 子ども…、いや、お袋も喜ぶだろうよ! 帰ったら早速食わせてやるよ!』
『お義父さま…、お願いですから榊原さまにあまり妙な無心をなさらないで…』
『お前の給金以上のものは何も言ってねぇよ! ちゃーんとあちら様がご用意してくださる包みだけを戴いて帰ってるんだ。心配すんな!』
『……』
『それよかお前こそ、若様なんぞに“誘惑”とかされてねぇよな?』
『お、お義父さまっ!』
『ああ、ああ、解ってるよ! お前は決してふしだらな娘じゃねぇからな! けどあんまり綺麗な若様だからな。女嫌いとはいえ若い男に油断しねぇに越したことはねぇぞ。所で公爵様が洋行からお帰りになるのはいつ頃なんだ?』
『今年の…、年末にはお戻りと伺っております…』
『そうかい…。ま、せいぜい勤めを頑張るんだぞ! お袋の事は心配すんな! また返事が書けねぇかも知れんが、春が近いせいか近頃はぐんと具合もいいからな!』
『そうですか…。それなら安心です…』
『じゃあな! また来月来るよ!』
『……』

 いかにも金の事しか眼がなさげな俗っぽい父親と、病気の家族の事を気遣う美貌の娘…。
 そのやりとりを垣間見た僕はますます切羽詰まった。
 美凰が僕の家に…、そして僕に仕えるのは“家族の生活の為”に金を必要としていたからだ。
 彼女が自分の意思で僕の傍にいてくれるなどとは…、どうしたって思えない。
 何度そう言い聞かせただろう。
 けれども情事の度に逃れようと身もがきながら、いつしか必死になって僕の胸に縋りついてくる柔らかな身体と、ほんの一瞬だけ見せる蕩ける様な微笑に期待してしまう僕がいる。

『お前の給金以上のものは何も言ってねぇよ! お前は決してふしだらな娘ではない。女嫌いとはいえ若い男にゃ油断するな』

 強慾なのは僕と美凰、そして美凰の父親の一体誰なのだろう?
 狂おしい程に美凰を渇望し『身体だけでもいいじゃないか。どうせ結婚なんて出来はしないんだ。彼女は生涯、僕の“日蔭の女”としてしか過ごせない。女中だって妾だって変わりはしない。僕の傍にい続けてくれさえすればそれでいい。あの父親には毎月幾許かの手当てを渡せばいいだけのことだ』と意地悪く考えてしまう。
“赦されないことだ”と何度も美凰が泣きながら囁く度に、この狂気の想いを笑い堕としてやりたい気持ちが増長していく。
 本当に彼女の事を愛しているのに、僕はなんて滑稽な男なんだろう…。
 吐き気がする。
 自分が酷く穢く情けない人間に思えてきて、何もかもを粗略に扱いたくなる。
 どうでもいい。
 彼女以外の人間も、ものも、思いも。
 全てどうでもいい。
 彼女さえいれば、それだけでいい…。
 それなのに…、そう思っている癖に…、矛盾した僕は今夜もまた美凰をいたぶり続ける…。



「あっ…、ふっ…」
「……」
「わ、若、さま…、ど、どうか…」
「黙りなよ…」
「ひぅっ! んんっ、あっ、あぁ…」

 愛撫の最中で哀しそうな瞳で彼女が僕を見るから、つい彼女の滑らかな白い肌に爪を立ててしまう。
 どうしてそんな瞳で僕を見る。
 毎晩のようにこんなことをしているのだから、恋人同士といってもおかしくはない筈なのに…。
 何故? 何故君は…。
 どうして…、いつもいつもそうなんだ。
 僕を…、愛しい男を見るような瞳で一度たりとも見てくれない。
 こんなに…、僕はこんなに君を愛しているのに…。
 何故? 何故なんだ?

「んっ! くっ…」
「本当にいやらしい女だよ、君は…。もうこんなにして…。ねぇ、気持ちいいかい?」
「あっ…、やぁっ…」

 驚く程に濡れている花弁の奥に、僕は指を埋める。
 こんなに身体を火照らせ、目尻に涙を浮かべ感じているというのに…。
 それでも美凰は僕を見ない。
 見ないように必死になって抑制している…。

「今朝…、君の父親が来ていたね? 父上の執事の榊原の所に。何をしに来てたの?」
「昨日が…、お給金日…、でしたので…」
「ふぅん。また給金以上の金の無心かな?」
「ひぁっ! あっ、あぁぁっ…」
「そう…、ここがいいんだ?」
「あっ! いけませ…、だめっ! どうか赦して…、あっ! あぁぁぁんっ!」
「……」

 僕は、あっという間に達してはぁはぁ喘いでいる美凰の上に重なり貫き、ひとときの快楽に身を委ねた…。

「はくっ! あっ、や…」
「君の父親は…、一体何を考えているんだろうね? 自分の娘を…、売る気なんだろうか?」

 美凰はいやいやと頸を振った。

「わた、くしは…、うくっ…、ひっ、雲雀家に…、お仕えす…、んっ…、する身…、ですっ…」
「そして…、僕の玩具だ…」
「……」

 愛しているという想いと共に湧き上がる、憎しみにも似たこの気持ち。
 それはきっと…、僕が想うこの心程に、その欠片程も美凰が想いを返してくれないという辛さ故だ。
 僕は…、僕は愛し方を間違えたのだろうか?

〔それでも美凰…、僕は君を愛している…〕

「あっ、ああっ、あぁぁ…、んっ…」
「いいよ…、くっ…」
「ひっ…、ひぁっ!」
「いい…、イく…、イくよっ…」
「いっ…、ぃっ…、あぁぁぁーんっ!」
「うっ! はっ! あぁ…」

 僕は美凰の中で肉体にとって最高の快楽を得、英国製の避妊具を通して欲望の迸りを花園の深奥へと注ぎ込む。
 彼女の柔襞は赤ん坊が母親の乳首を吸うかの様に僕を強く吸引し、僕を拒絶するその言葉とは裏腹に僕を離そうとはしない。
 本当はDurexなんかつけずに美凰を感じたいのに…。
 子どもなんか欲しくないし、美凰に対するのと同じ様な愛情を注げるとは思わないが、彼女に子どもを産ませれば正式な妾として屋敷の外に家を与えてやる事も出来る…。
 父や母の意見などどうでもいいことだ。
 僕は僕のしたいようにするだけだ。

「お赦しを…、若さま、どうかもう…、後生です…」
「……」

 この僕がこんなに悩み苦しんでいるというのに今夜も彼女は僕への恋情を口にせず、ただ身体を顫わせて歔欷いているだけ。
 そして動かせない苦しみを隠しながら、僕は美凰に対してたった一言の言葉を口にすることが出来ないでいた…。

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