悔恨 2
 いつものことながら、どうにもならない状況下においてなお、必死になってディーノを拒み続けるの美凰のか弱い抗いをものともせずに、彼は彼女の身体を何度も貪る。
 そうして熱にうかされた様な時間が過ぎ去ってから、ディーノはおのれの犯した罪の重さをいつも悟るのだ。
 それでも恋情を抑え切れない彼は、三日をあけず美凰のもとを訪れた。
 情事を重ねる度に、美凰はなにもかもを諦めてしまったかの様な態度になっていった。
 それでも相変わらず、怯えながらディーノと夜をともにし、ベッドから抜け出しては声を殺して泣いている。
 二年近い月日が経った今は、その姿を愚かしいとも哀れとも思う。
 けれどもディーノの心を焦がすのは、どんなに美凰のことを話題にして煽り、焚きつけてもあの黒曜石の様な双眸で鋭く自分を睨みつけながら、決して平静を失わずに紳士然とした様子を崩さない甥、雲雀恭弥に対する嫉妬であった。
 この卑怯にして哀れな美貌の青年貴族は美凰の肉体だけではなく、心までも手にしたいのだ。
 手籠めという形で彼女を手に入れた時、ディーノは美凰の憎しみと恨みだけでも欲しいと思っていた。
 美凰の愛は初めから、恭弥だけのものだとわかっていた。
 やさしい言葉も抱擁もいらなかった筈なのに。
 いつの間に自分はこれほど欲深に、愚かになってしまったのだろう。
 それは無論、美凰を愛しいと想う狂おしい迄の恋情からくる貪欲さに違いない。
 ディーノは美凰を心から愛し、彼女の愛を自分のものにしようと必死だった。
 そしてその反面、頑なな美凰に対して歪んだ感情も持ち合わせていた。
 美凰さえいなければ、ディーノは高潔な志を忘れる男に成り下がったりはしなかったのだ。
 それでも彼女を愛する心を抑えることが出来ない。
 なんという因縁なのであろうか。
 美凰は今、ディーノの腕の中で眠っている。
 安らかな、そして美しい寝顔だった。
 意識のないこの瞬間だけが、美凰が無防備にディーノのものになる時なのだ。

 男の愛撫に長い睫毛がわずかに動き、美凰が眼を覚ました。

『俺を愛しているな?』
『……』
『まだ…、恭弥のことを諦めきれないのか?』
『……』
『お前は俺だけを見ていればいいんだよ。恭弥のことは…、もう忘れるんだ。あいつは親父同様に“狂”がつく程の潔癖症だからな。他の男の印がついた女のことなど…、塵に等しい存在だ』
『……』
『美凰…』

 身体をこわばらせた美凰はディーノの腕をふり解き、剥ぎ取られてその辺りに落ちていた長襦袢を身体に巻きつけてベッドから逃れ出た…。
 豪奢な寝台から少し離れた場所に置かれた卓の上には、ディーノが伊太利亜から取り寄せたという葡萄酒が準備されていた。
 美凰は酒瓶から杯に葡萄酒を注ぐ。
 なみなみとディーノの分を、そしてほんの少しだけ自分の分を…。
 現実逃避の為に酒の味も覚えた美凰だったが、基本的にはその飲み物を受けつけない体質らしく、たった一杯だけで意識を失ってしまう程に弱い。
 仏蘭西製の美しいオイルランプの柔らかな光に照らされて硝子の酒杯が輝き、葡萄酒が血の色に映えた。
 そっと眼を伏せて、美凰は杯を見つめている。
 いや、彼女は何も見てはいなかった。
 その心はどこか遠くにあった。

『貴方さまの下で過ごすようになってから…、間もなく二年ですのね…』

 独り言の様に美凰は呟いた。

『……』
『恭弥さまとお別れしてから…、二年…』

 再び呟いた美凰はゆっくりと、そして小さく微笑んだ。
 間違いなく、笑ったのだ。

『美凰…』

 ディーノはベッドからゆっくりと起き上がった。
 彼女の微笑みを見たのは一体、何年ぶりのことだろうか?
 そしてその微笑みは、憎むべき恋敵である雲雀恭弥に向けられていた無邪気で淡い笑みよりも、ずっと凄惨で妖艶だった。
 嘗てディーノが心を奪われた美凰は、物静かではあるものの笑顔の美しい利発な少女であった。
 没落士族の出身というご多聞に漏れぬ不幸な境遇。
 親の零落による貧困の末に遊郭へ身売りされる寸前に雲雀公爵が眼を留めて、数年後には手活けの花にする心積もりで女中として働かせていたものの、礼儀作法も教養の深さもそこらの華族の令嬢となんら遜色がなく、そして何より、齢十八歳にして男を狂わせるに相応しい類稀な美貌と肉体の持ち主でもあった。
 絶世と呼ぶに相応しい容姿は美凰自身に幸せを招くべきものであった筈なのに、現実には不幸ばかりを背負い続ける彼女は、初めて恋をし、身体を赦した相手から、どうすることも出来ない身分違いと愚かしい嫉妬心と無様な横恋慕という禍々しい邪念によって引き離され、若い身空を自由意志で外出することもままならぬ状況に囚われ続けている。

〔美凰を不幸にしているのは…、結局この俺だ…〕

 それをよく理解していながら、それでもディーノは自らの恋情を諦める事が出来なかった。
 そして今、少女らしい頼りなさをもって、初めての男であった雲雀恭弥に抱いた初恋の情は終わりを告げ、始まりは最悪であったとしても二年の歳月を夫婦同然に暮らしてきた自分に、美凰はとうとう情を移し始めたのではなかろうか?
 未だ自らの口で告げようとはしてくれぬが、美凰に懐妊の兆しがあることは定期的に健診を受けさせている医師から耳打ちされていたディーノなのだ。
 子はかすがいという諺通り、なさぬ仲とはいえ子どもを身孕ったことによってディーノとの縁の深さを思い知った美凰は、ついに恭弥に対する初恋の情を忘れて自分に心を向けてくれるようになったのではなかろうか?
 即ちそれは、ディーノとの将来を美凰が真剣に考え始めたということではないか。
 美凰が見せて呉れた微笑に、ディーノはしてはならぬ期待を抱いた。
 長きに亘る己の恋情が、漸く報われる時がきたのではなかろうかと。


 しかし夢は所詮、夢でしかなかったのだ。
 柔らかな姿をしていながら鋼鉄の意志を持つ愚かにして一途な女を愛してしまった非道な男は、平静を装いながら永らく略奪者を憎悪し続けた甥の手によって、彼が心の中に秘め続けていた狂愛を成就すべく、ディーノ自らが脅迫材料として使っていたキャバッローネ家に代々伝わる毒薬にかかり、絶望の内に哀れな断末魔を迎えさせられるに至るのである…。
 美凰が自ら子どもを水に流したらしいという医師の知らせを密かに受け、絶望の淵に立たされたディーノは人払いをして寝室に入ったその直後に倒れ、珈琲を運んできた執事のロマーリオに発見された時には既に虫の息だった。
 一人にして欲しいと命じられていた為、傍近くに控えていなかったことから、主が相当の苦しみを味わっていた様子に気づくことさえ出来なかったロマーリオは嘆き悲しみ、後悔したものの、時既に遅しであった。

『美凰…、恭…、弥…』

 ディーノが息を引き取る直前に遺された、最期の言葉であった。
 医師の診断は、原因不明の心臓発作とされた。

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