『ヒバリ! ヒバリ!』
「しぃ…。静かにおし。美凰に聞こえちゃうだろ」
『シズカ…、シィー…』
常に僕の周囲を飛び交う黄色い鳥に黙る様に命じると、利口な彼はおとなしく僕の頭に着地した。
弁当を食べ終えた美凰は、人のよさげな女子二人が展開しているくだらないお喋りに対して終始聞き役に徹し、莫迦みたいににこにこ微笑みながら時々ペットボトルのお茶を口にしている。
再会できるまでに6年もかかってしまった。
ずっとずっと、忘れた事はなかった。
僕に恋をしてくれていた…、小さな女の子。
僕が恋し続けて…、混乱した感情の赴くままに傷つけ、でも未だに恋し続けている…。
もう数年もしたら“女の子”とは言い難くなる程に女らしい成長を遂げた僕の女の子、花總美凰。
小学6年生の春、転校してきた彼女は僕の隣の席になった。
群れるのが大嫌いだった僕の隣は常に空席にしている。
僕は担任を睨みつけたが、担任は拝む様な態度で僕を見返してきた。
「迷惑そうだけどごめんね。秋にはいなくなるから、1学期の間だけ辛抱してくれる?」
その言葉に瞠目した。
目の前に立つ彼女は、クラスの女子みたいにちゃらちゃらした格好をせず、清楚な服装に長い髪をきっちり三つ編みに結って、真面目そうな銀縁の眼鏡をかけていた。
とても冷ややかな印象だった。
「いなくなるって、何?」
「秋からは関西に引っ越すの。お父さんの転勤の都合が色々あるらしくって…」
彼女は綺麗なものを発見したと言わんばかりに、吃驚した様子で僕の顔をじっと見つめていた。
「ふぅん…」
「あ、わたし…、花總美凰。暫くの間だけでも、宜しくね?」
「……」
地味に装ってはいるが、よく見れば姓名の美しさの通りに随分と綺麗な女の子だ。
はにかんだ笑顔を浮かべた彼女に、第一印象で受けた冷たさがさっと消えた。
代わりにどこかふんわりとした温かさが漂う。
今迄、女子に興味を持ったことになかった僕は、思わずくすぐったくなる様な自身の胸裡の感触に戸惑ってしまった。
「僕は…、雲雀、恭弥…」
「春を告げる鳥の雲雀? くもすずめ? 恭弥は、弥栄恭しく?」
「……」
再び瞠目した。
僕の姓名は結構珍しいらしく、漢字で説明するはいつも面倒だった。
だが、目の前の彼女は、僕の名前を一字一句間違えずに言葉にしたのだ。
ちょっぴり気を良くした僕は、滅多にないことだが彼女を褒めてやろうと口を開きかけた。
その瞬間…。
「名は体を現すって本当なんだ。名前の通り、雲雀くんってとても綺麗な人だね…」
「……」
その素直すぎる言葉に、僕はあっという間に不機嫌になった。
彼女は僕の事を綺麗な人だと言った。
常々、亡くなった母に似て女顔だとからかわれている僕のコンプレックスを腹蔵ない澄んだ眼をして“綺麗”だと…。
「君…、なんか随分と教養をひけらかしてるよね? 僕、小賢しい女は嫌いなんだけど?」
褒めてあげようと思った僕の口からは、厭味としか取れないような言葉が紡がれていた。
途端にさっと顔を赤らめた彼女は、困った様にもごもごと口篭って俯いた。
「ご、ごめんなさい。気を悪くしたんなら、ごめんなさい。も、もう、黙るね…。雲雀くんの邪魔はしないし…」
「……」
どもりながらそう言うと、彼女は前を向いて二度と僕の方を見ようとはしなかった。
彼女のそんな様子に、僕の胸がちくりと痛んだ。
ご多分に漏れず、転校生が珍しい為に休み時間は彼女の周りに女子達が群れる。
僕は知らん顔をして窓の外を見つめていた。
彼女は丁寧に、だが淡々とした口調で浴びせかけられる質問に答えていたが、かなり辛そうでもあった。
〔ふぅん…、結構おとなしそうな子だよね? 1学期の間だけだって言ってたし、静かにしててくれるんなら…、まあ隣の席でも別にいいけど…〕
「ねえねえ! 花總さんってどこから来たの!」
「えっと…、お、桜蘭の初等部…」
「え〜っ! エスカレーター式のお嬢様学校じゃん! すご〜い!」
「趣味はなに?」
「ど、読書と、お、料理と…、あと手芸…、かな」
「スポーツはやんないの?」
「あ、あんまり得意じゃなくて…」
「音楽はどういうのきくの?」
「あ…、クラシックかな…」
「へぇ〜 しっぶーい! なんかピアノとかやってんの?」
「ううん…」
「好きな芸能人は?」
「あ、あんまり興味がないから…」
「じゃあさ! カレシいるの?」
「へっ?」
「ねぇ、ちょっと…」
騒々しい黄色い声の群れを我慢し、ずっと彼女の受け答えを聞いていた僕は『彼氏いるの?』という質問に、何故か反応してしまい、窓に向けていた顔を姦しい女子達に向けた。
女子達が僕の顔に心惹かれていることはよく知っている。
僕の群れ嫌いに対する凶暴性を恐れつつも、僕が顔を向けて声をかければ顔を赤らめて口ごもる。
典型的な女子の態度だ。
好きとか、憧れとか、交際とか、僕にはまったく興味のないことをこの姦しい女子どもは延々と訴える。
物凄く不愉快な気分だった…。
「煩く群れ過ぎなんだけど? 咬み殺されたいわけ?」
僕の言葉に、蜘蛛の子を蹴散らすかの様に女子どもは散ってゆき、僕と彼女の周囲はすっかり静かになった。
「あ、あの…、煩くして…、ごめんなさい…」
彼女のせいではないのに、か細く謝る彼女の様子が鬱陶しい。
さっきの様にふんわりと喋って欲しいのに…。
「別に。で、いるの?」
「えっ?」
僕の言葉が解らないのか、彼女は長い睫を瞬いておずおずと僕を見た。
「…、彼氏」
「あ…、えっと…、いません…」
「そう…」
その言葉に僕はなんとなくほっとしたものの、顔を赤らめて口ごもる典型的な女子の態度を見せる彼女にまた不快感を持ってしまった。
彼女も他の女子と同じで、数日経てば大勢の群れの一人となって僕に対して好きとか、交際とかを言い出す子になるのだろうか?
そんなことを頭の中で考えていると「あのう…」と遠慮がちな声が耳に聞こえてきた。
「なに?」
「二つばかり質問が…。あ、あの、これを聞いたらもう黙ります。は、話しかけたりしないから…」
「…、なんなの?」
「図書室の場所を教えて欲しいのと…、あと“咬み殺す”ってどういう意味かなぁと思って…」
「……」
僕が彼女“花總美凰”に興味を持ってしまった瞬間であった…。
_10/43