鳳凰の花簪 3
「朱衡、尚隆を知らねぇ?」

 六太は内朝の官府をのぞきこんだ。

「存じあげませんが」

 朱衡は相変わらず溜息交じりだった。
 秋官庁の官が数人と帷湍がその場にはいた。

「どうせ関弓にでも降りたのでしょう」

 朱衡がいうと、帷湍も手にした書面を振った。

「厩舎をのぞいてみるんだな。たまがいるかどうか」

“たま”とは、尚隆が乗騎にしているスウ虞という妖獣である。

「へー、怒んないのか?」
「諦めた。あいつは市街に降りて民がのんきにしているのを見て満足するのが唯一の楽しみなんだ。もう邪魔する気も失せた」
「あ、っそ」
「何から何まで王を頼りにせねばならないというものでもあるまい。朝議に来られてもどうせ混ぜ返すだけだ。俺たちは勝手にやる」
「ホントに悟ったのなー」

 六太がしみじみと帷湍を見ると、朱衡までが邪険なことを言う。

「王などというものは、肝心要のところで役立ってくださればそれでいいのですから」
「どいつもこいつも…。その境地に達するまでの経過を思うと哀れだよなー」
「哀れんでいただけるのでしたら、たまには真面目なふりぐらいしてください、と主上にお伝えくださいませ」

 にっこり黒い微笑をうかべる朱衡が、心底怖い。

「へい、へーい…」

 返事を残して六太は回れ右をする。

「台輔! 妓楼のつけはもう立替えんからな。ちゃんと働いてから帰ってくるよう伝えろよ」

 帷湍の声が背後から追いかけてくる。
 小官たちがくすくす笑っているのが聞こえた。

「まったく! 王后でも迎えりゃ少しは腰が落ち着いてくれるのかも知れんがなー。誰かいい候補はおらんのか?」
「さて、こればかりはなんとも言えませんね。女官や女御に手当たり次第、触手を伸ばされないだけ、まだましですが…」



 六太はまっすぐに王宮を駆け上がり、禁門へ向かう。
 燕寝と呼ばれる一郭の、奥まったあたりにある建物の、階段を降りれば凌雲山の中腹、そこに設けられた大扉がそれである。
 既に扉は開いている。
 閹人に軽く手を上げて、禁門の外に駆け出した。
 外は巨大な一枚岩を平らに削って、空をゆく獣が降り立つことができるようになっている。
 その奥にある厩舎へと走ると、中では尚隆が、たまに鞍を置いているところだった。

「どうだった?」

 振り返った尚隆に六太は笑って頷いてみせる。

「あいつらぜーんぜん気にしてねえみたい」

 にやりと尚隆は笑った。

「では、なんとかなるな。暫く不在でも」
「気がついて騒いだときにゃ、後の祭りってやつよ」

 六太は頭に布を巻き、悧角を呼びだすと軽やかに跨った。

「で? どこに行くんだ?」
「黄海だ」
「黄海ー? なんでまた…」

 尚隆は不可思議な笑みを浮かべて、六太の分の荷物を投げてよこした。

「スウ虞狩りだ。お前の乗騎用にな」
「おれのー? なんで? 悧角がいるじゃねーか」
「ふらふら街中をほっつき歩く台輔だからな。そうそう使令に乗ってばかりはおれまい」

 尚隆はひらりとたまに跨った。

「あんだよ、人のことが言えっかよ。街中ふらふらしてんのは、お前の方だろーが。ったく…」

 乗騎は跳躍して崖を飛び立つ。
 閹人が慌てて駆けつけてきたが止める間などない。
 ふわりといったん大きく下がって、一国を一日で駆け抜ける獣は飛翔を始めた。
 その後に麒麟の使令も続く…。



 斡由の乱から既に百三十年。
 見下ろす下界には豊かな緑野が広がっている…。
 雁国は、治世二百五十年になる奏南国に続く大国に成長しつつあった。

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