風漢 3
「どうでしょう? 街の娘さんと変わらぬ様に見えますか?」

 数ある衣装の中でもっとも質素なものを着用し、髪も梳き下ろして街の娘の様に簡単に纏めて貰った美凰は鏡の前でくるりと廻った。

「はあ…、まあ、なんとか」

 美凰に頼まれ、不承不承に着替えを手伝う李花と明霞は、溜息のし通しであった。

「まあ、駄目かしら? 困ったわ。陛下はもう露台でお待ちでしょうに…」

 花顔が萎れるのを見て、二人の女御は慌てて言葉を継いだ。

「いいえ、大丈夫でございますわ。ただ…」

 どんなに姿を変えても、その類まれな美しさは隠しようがないのだ。

「その笠と羃罹(べきり)を絶対にお外しになりませんよう…」

 もう何度も同じ言葉を聞かされ、美凰は手に持たされた笠と薄布を見つめて苦笑した。

「判っています」
「美凰さま…、本当に大丈夫なのでございますか?」
「陛下と台輔が連れていってくださるのですもの。大丈夫です」
「それはそうでございますが、でも…」
「お土産を買ってきますから、楽しみにしていてくださいね」
「美凰さまぁー…」

 初めての外出にうきうきしている美凰には、何を云っても無駄らしい。
 今日に限って、美凰を足止めできるであろう唐媛も香蘭も桂英も夜まで居ないのだ。

「とにかくお早くお戻りを。皆様がお戻りになられる迄にお帰り戴かないと、わたくし達が叱られてしまいます」

 美凰はにっこり微笑んだ。

「大丈夫。朱衡さまや帷湍さまのご許可も戴いているのですもの。それに叱られるのは我儘を云ったわたくしなのですから、貴女たちが決して叱られない様にわたくしがお詫びします」

 そうはいかないから辛いのだ。
 まさか秋官長や地官長の許可が下りるなとどは思っていなかったのだから。
 夕方までの時間のなんと長いことか…。
 三女傑と冢宰に怒られ、責められることを想像するだけで二人の女御はがっくりと項垂れた。



 桃箒を肩に乗せて迎えに来た六太に連れられ、美凰は漸く露台に現れた。
 常なら禁門から出入りするのだが、美凰の為に特別に広々した露台に騎獣を連れ出していたのだ。
 既にたまと如星には鞍がつけられている。
 如星に付けられた鞍は、尚隆が範の匠に特注して作らせた美しい女鞍だった。

「六太、遅いぞ」
「お待たせいたしまして申し訳ございませぬ」

 手綱を握ったまま振り向いた尚隆は、美凰の変装した姿に瞠目した。
 驚きで声が出ない。
 いつも姿とはまた違い、歳相応の可愛い街娘がそこには居た。
 薄い翡翠色の襦裙に白い袍袴の姿は初夏の日差しに涼やか映え、腰まで梳き下ろした豊かな黒髪は、艶やかに輝く。
 飾り気無く質素に装っているが故に、却って猶一層の若々しい美しさが溢れ出ているその姿に尚隆の男心はかき乱されてしまう。
 余りに不躾に見つめられるので、美凰は羞かしそうに俯いた。

「あの、どこか変ですかしら? 街の娘さんはこういう装いだと明霞は申しておりましたが?」
「尚隆、照れてやんの。だって美凰、すっげー可愛いもんなー」

 うししっと笑う六太を睨みつけ、軽く咳払いをした。

「人前で被風を絶対に取ってはならんぞ!」
「陛下も李花や明霞と同じ事を仰しゃるのですね?」

 李花や明霞の心労が哀れであり可笑しくもある。
 尚隆は美凰をそっと抱き上げると如星に乗せ、鞍に固定してから手綱をとらせた。

「大丈夫だな?」
「はい…」

 美凰の緊張が尚隆に伝わる。

「怖ければ俺と共にたまに乗っても構わんのだぞ?」
「いいえ、大丈夫でございます」

 尚隆は励ます様に美凰の膝をぽんぽんと叩いた。

「頑張れ。それから街では俺のことを『風漢』と呼べ」
「『風漢』? 風の漢(おとこ)でございますか?」

 尚隆は頷いた。

「いくぞーっ、昼飯はどこで食うかなー」
「もう、あんたは食べる事ばっかりなのね?」

 悧角に乗った六太と桃箒はふわりと空に浮いた。
 尚隆もひらりとたまに跨った。

「ちゃんと見ていてやる。如星を信じて訓練どおりに飛べ」

 美凰は頷くと白銀の太い首を優しく擦った。

「姫様、宜しゅうございますか?」
「如星、お願いね」
「御意…」

 白銀の狼は一歩踏み出すと、跳躍して崖を飛び立つ。

「きゃっ!」

 一瞬の落下に美凰は眼を閉じる。

「眼を開けろっ! 恐れてはならぬっ!」

 傍近くから聞こえる尚隆の声に励まされ、美凰はゆっくりと眼を開けた。
 如星は優美に飛翔を始めていた。
 美しい九尾が風に靡いてゆく。
 ぐんぐん玄英宮が遠のき、眼下には雲海が美しい。

「気分はどうだ?」
「素晴らしゅうございますわ! なんて素敵な心地なんでしょう!」

 尚隆は心底嬉しそうな美凰を愛しげに見つめ、破顔した。



 関弓の街に着いた途端、六太の勧めで昼食をとる。
 如星は街に着くや否や所要があると云い、帰りの待ち合わせのみ確認するとそのまま白い犬に変化して街の雑踏に消えていった。
 何かを探しているらしく、近頃の如星はいつもそういう行動であるらしい。 
 食堂は活気に満ち溢れ、美凰は物珍しそうに始終きょろきょろしていたので、六太に笑いながら注意されっ放しだった。
 その後は尚隆や六太に案内されて、街の主要な所を見物する。
 半日しか時間がないということもあり、とにかく美凰は必死だった。
 様々な店や露店を覗いては感嘆の声をあげ、楽しそうにあれやこれや細々と買い物をしている姿を見ているのは面白くて仕方ない。
 女子の買い物に付き合うのが初めての尚隆は、手にする荷物が増えていくたびに眼を丸くしていた。

「銀子の使い方を知っていたとは、驚きだな」
「出掛けに、李花と明霞に教わりました」

 それはそうだろう。
 商人につり銭を騙されることを恐れ、二人の女御は予め美凰に銀子勘定の仕方を伝授していたらしい。
 忠義な二人の女御の苦労を思い、尚隆は苦笑した。

「無駄遣いは嫌いではなかったのか?」
「今日は特別ですわ。皆さまにお土産を沢山ご用意したいのですもの…」

 興奮しているとはいえ一刻近くも歩き回っていると、足弱な美凰は流石に疲労の色を隠せなかった。

「少し休憩せぬか? 久々の街で酒が飲みたくなったぞ」

 美凰の疲労を察知した尚隆は茶店に誘った。
 こうでも云わない限り、美凰は遠慮して自らの疲労は一言も口にしないだろうから…。

「俺達はこの先の店を見てくるから後でな。いくぞっ、桃」
「うんっ」

 六太と桃箒はそのまま走り去った。
 多くの人が行き交う通りが眺められる茶店の床几に美凰を腰掛けさせると、尚隆は酒と茶を注文した。
 店には被風を被った二人連れの男しか居なかった。



「どうだ? 街の印象は?」
「はい。とても活気があって、あれこれ目移りいたしますわ。時間が惜しくてなりませぬ」
「そう焦らずとも、また来ればよいのだ。俺や六太はしょっちゅう玄英宮を抜け出しているからな」
「わたくしにも抜け出すことは出来ますかしら?」
「独りはならぬな。俺が必ず連れ出してやるから安心しろ」
「まあ…、わたくしをだしにして宮殿を抜け出すおつもりですか? 風漢さま」
「善意だぞ、人聞きの悪い。そなたも近頃、云う様になってきたな?」

 憮然とした尚隆に、美凰はくすくす笑った。

「それにいたしましても『風漢』とは、とても素敵な字でいらっしゃいますのね?」
「ああ。こちらに来て程ない頃だったかな? ある御仁につけられたのだが…」
「ある御方?」
「うむ。俺から見ればその御仁の方が余程『風漢』に見えるのだが。そういえばもう二十年近く会っておらぬな」
「その御方も仙でいらっしゃるのですね?」

 美凰の問いに尚隆は頷いた。

「歳を聞いたことはないが、おそらく俺の倍はいってるんじゃなかろうか?」
「まあ…」

 その時、甲高い女の声が響いた。

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