グラウンドの、特にベンチの方がやけに煩い。少しだけ眉をひそめながら、俺はその方向へと向かっていた。雷門サッカー部にとって最高の形で幕を閉じたホーリーロードからしばらくの時が経ち、怪我で入院していた俺もようやく復活することが出来て、サッカー部は新たなスタートを切ったと言えるだろう。これからはもっと気を引き締めて、次なる大会へと練習を積み重ねていかないと。俺はそう改めて決意し、元キャプテンとしての責任感も忘れないようにと心を入れ替えていた。だが、その直後に聞こえてきたのが、可笑しそうに笑う仲間達の騒がしい声と来たら俺が不機嫌になるのも許して欲しいと思う。練習開始時刻になっても皆部室にいなかったからおかしいと思い、出てきてみればこの始末。まったくなんだなんだ、皆もうすぐ練習が始まるというのに緩みすぎじゃないか!俺は苛々しながら大股になって歩いた。まだまだこれからだというのに、神聖なグラウンドであんなに騒いで。瀬戸の怒りをたっぷり含んだ叫びや、それから逃げる浜野や錦の声が辺りに響く。よく耳を澄ませば、いつも静かな剣城の少し上擦った声まで聞こえてきて、俺の苛々した感情は限界点を突破しようとしていた。我慢ならない。大体天馬は何をしているんだ!こんな状態では、少しだけ説教をしなければならないかもしれない。俺はいつの間にか速くなっていた足をさらに速くして、終いには走りに変える。びゅんびゅんと景色は移り変わり、すぐにグラウンドに着いた。固まっている集団をよく見ずに、俺は辺りに響き渡るように叫ぼうと声を荒げる。
「おい皆!騒ぎすぎじゃないのか!?」
精一杯大声を出したつもりだったのが、まだ辺りは騒然としたままで。俺の隣を浜野が凄い勢いで駆け抜けていった。強い風がぶわっと吹いてきて、軽い毛質の俺の髪を見事に崩す。いつもなら特に気にならないそれも、今となっては苛々をさらに増大させる薬でしかなくなっていた為、俺は頭の中で血管がぶちりと切れる音を聞いた。頭がふっと冷め、徐々に叫ぶためのメーターが上がっていく。あああああもう我慢ならん!一喝しようと口を開けてすうっと息を吸い込んだその時、背中にどんっと小さな誰かがぶつかった。それはスイッチのように俺の身体の中の何かをまたぷつり、と切れさせる。一体なんなんだ!浜野か?錦か!?相手が何か謝っているようだが、怒りで何も耳に入らない俺は構わずに叫んだ。
「〜ッおまえら!何騒いでるんだ!!先輩方も!」
「え?」
聞こえたのは、気の抜けたような高い声。…え?俺は予想外の反応と、正面から聞こえた声に違和感を感じた。叫びながら回転し、ぶつかった相手の方を見た俺は目を丸くする。そこにあったのは錦のポニーテールでも、浜野の逆立てられた髪の毛でもなく、もちろん他の部員でもないふわふわした小さな頭。おさげを風に微かに揺らしながら、その人物は小首をかじけてこちらを見た。
「シン様、どうしたの?」
「や、や山菜茜!?」
うん、そうだよ。名前は合ってるよ。気が動転していたからかついフルネームで彼女を呼んでしまった俺に対して、山菜は相変わらずどこか微妙にずれている返答をする。彼女は先程俺に至近距離で怒鳴られたはずなのだが、瞳に少し疑問の色が混じっているくらいで驚いてすらいなかった。いつもくるくるとよく動き、常に被写体を追っている彼女の瞳は、今は俺をしっかりと捉えている。
しかし、俺は山菜の顔には目がいかず、それよりも今は彼女の身につけているものの方に大きな衝撃を受けていた。胸元に鮮やかな黄色を放つ稲妻マークが描かれたノースリーブに、普段の制服よりも短い丈のスカートから伸びる白い太もも。そして極めつけは彼女が持っている二つのポンポン。これは俗にいう――、チアガールの衣装、というものではないだろうか。山菜を正面にして立ち尽くす俺の周りには、こちらの様子を察したのか多くの部員が集まってきていた。神童どうしたんだー?、さあ、何してんだろうな。というやり取りも密かに聞こえて来る。ふと周りを見渡すと、同じような服装を纏った空野と瀬戸もいた。空野はなぜか赤面している剣城と狩屋の後ろに抱き着ような形になっていて、瀬戸は錦や浜野追い掛けていた時に解けたらしいシャツの裾を括り直している。どちらもその行動を止めながら、こちらを不思議そうに見つめていた。一人状況に取り残された俺は、辺りを一瞥してから矢継ぎ早に質問をする。なんでマネージャー達はそんな格好をしているんだ?なんでそんなに盛り上がっているんだ?練習は始めないのか?あとなんで剣城に狩屋、お前らはそんなに照れているんだ?最後の質問に対しては、ちょそれは関係ないでしょう!という声が飛んでくる。俺はその声には何も返さず、焦点をもう一度山菜に当てた。山菜はぱちくりと瞬いてから、ゆっくりと微笑んだ。
「チアガールの格好はね、撮影の為だよ、シン様」
「…撮影?」
「優勝記念かなんかで今度テレビが来てインタビューとかいろいろするらしいんだけど、その時の…提供、に使うのかな?水鳥ちゃん」
「え?…あーうん、確かそう言ってたと思う」
「と、いうことなの。これはその為の衣装なんだって」
撮られるのは慣れてないから、ちょっと緊張するなあ。頬を染めて、はにかみながら山菜が言う。それをきっかけのようにしたのか、仲間達も口を開き始めた。
「ちゅーか、マネージャーがチアの格好なんかしてたらテンション上がるよね〜」
「俺は別に上がってないけどな」
「倉間、お前顔赤いけど」
「煩い!」
ベンチ付近で騒いでいるのは照れた様子の倉間と瀬戸から逃げて来た浜野。そんな二人を止められずに速水が隣であたふたしている。いつも通りの光景だな、と心の中でぼんやりと思った。
「神童、お前この事聞いてなかったのか?」
そう言いながら近づいてきたのは困ったような顔をした霧野。どうやら、撮影が先にある都合で練習開始時刻が遅れると伝達があったらしい。今此処にいるメンツは、予めその情報を聞いていたので野次馬の如く早めに来ていたそうだ。問い掛けに対して首を横に降ると、霧野は少し驚いてから申し訳なさそうな顔をした。
「すまん、昨日お前休んでたんだもんな。イナッターがこの話題で盛り上がっていたから、てっきりお前も見てると思って連絡しなかったんだ」
別に、霧野はあまり悪くない。イナッターには俺もよく書き込んでいるし、そう思ってしまうのも仕方ないだろう。だから俺は別に良いよ、と笑顔で返した。霧野はそれを見て、ほっと少し安心しているようだった。変な所で心配性な幼なじみだと思う。
それにしても。はあ、無駄に叫んでしまった。俺は先程聞いていなかったとは言え叫んでしまった事を軽く後悔していた。先にしっかりと確認しておけば叫ばなくてもよかっただろう。たしかに、中学生といえば多感な年頃であり、俺はその辺りの話はよく分からないのだが、サッカー部のマネージャーは三人とも男子の間で人気らしいという事ぐらいは知っている。だからその彼女達が普段とは違う服装をしていたら気になるのも当然かもしれないし、そうならばこのはしゃぎようも仕方ないだろう。それに練習が始まるまでにはまだ少しの時間があるようだし今は放っておくか。先程までの苛々はいくらか消え、俺は思いっ切り息を吸って吐いた。うん、気持ちいい。やっと楽になったぞ。
――そうリラックスしたのもつかの間、俺はまた息を詰まらせることになる。
「シンさま」
か細い声と共に、くいくいとユニフォームの裾を引かれた。霧野から視線を移すと、今度は先程と違い恥ずかしそうにもじもじとしている山菜が目に入った。どうしたんだ?と問えば、彼女はしばらく舌を向いて躊躇うようにしていたが、ある瞬間ぱっと顔を上げて意を決したように口を開く。その肩は少しだけ強張っていた。
「それであの…ど、どうっ、かな…?この衣装…」
「え?」
「ちゃんと、似合ってる…?」
恥ずかしそうな顔をしたあとに、不安そうな顔をするなど、彼女の表情はいつもよりころころと変わった。そんな変わりように付いて行けず、俺は頭にクエスチョンマークを飛ばしたが、数秒後ようやく山菜の言葉の意味を理解する。同時に顔が異常なまでに赤くなったということは出来れば言いたくなかったのだが。ど、どうしよう。俺は、じぃっと見つめてくる山菜の視線に耐え切れずに吃りながら俯いたのだが、それは完全に逆効果だということにその瞬間気づいてしまった。向いた先にあるのは、ノースリーブの中から覗くふたつの膨らみの間の谷間――それと、下方に見えるやはり白く長い足。足にも何故か目がいってしまうのは、普段はタイツに包まれている両のそれがさらけ出されているからだろうか。頬が熱く、全身が沸騰してしまうのではないかと思うくらいに高い温度になる。先程苛ついていた時はきちんと見ていなかった所が、やけにはっきりと視界に浮かび上がり、山菜がいつもの数倍可愛く、色っぽく見えてしまう。そのチアガールの衣装は、言うまでもなく彼女にとても似合っていた。勿論いつもの彼女も充分可愛いと思うし周りの反応も良い(つまりモテる)が、普段の山菜と比べるとがらりと雰囲気が変わっているので、また別の魅力を感じるのだ。加えて伏し目に頬を染めた表情というのは、俺の男心を擽る最大の要素となっていた。彼女が俺を好意的な目で見てくれているのは自覚していたが、それは極めてオープンなもので、改めてこう初々しい態度をとられると反応に困る。素直に可愛い、似合ってると一言伝えられるような性格だったらよかったのだが、生憎俺はそういう事には慣れておらず緊張してしまうし、新鮮な態度に魅力的な衣装を纏った山菜は俺には刺激が強すぎた。俺は何も言えず、口を開けたり閉めたりを繰り返す。そんな間にも山菜はただひたすらにこちらを見つめて来るものだから、もう心臓が爆発してしまいそうだった。周りから「頑張れ、神童!」と言いたげな生暖かい視線が送られて来るのを感じる。いやいや、みんなやめてくれ!チームメイトの皆からしたら俺を励ます為にやっているのだろうが、俺としてはそれが逆にプレッシャーになるのだ。それに何人もの人に見られると緊張して、ますます口がきけなくなる。見ないでくれという意志を込めた念を送ってみたがむろん効果は無かった。ああもう皆どうしろっていうんだ!というか俺頑張れ!可愛いって一言言うだけで良いんだぞ?男を見せろ神童!そうだ、男を…ああ、でもやっぱり恥ずかしい――
そんなとき、自分の中で激しい葛藤を行いながらふと正面を見ると、いたはずの場所から山菜の姿が消えていた。あれ?疑問に思った俺がきょろきょろと辺りを見渡すと、山菜は俺から少し離れた所に立ちながら、うなだれていた。あ、これはまずい。そう思った瞬間山菜が「…似合って…なかったかな…」というしょんぼりと落ち込んだような呟きを漏らすのが聞こえ、俺の悪い予感は決定的なものとなってしまう。ああああ待て山菜!違うんだ!もうちょっと俺に時間を…なんて、気の長い山菜が落ち込むくらいに随分と待たせてしまったのだから口に出せる筈もなく。周りからは今度は憐れみの視線が送られて来て、それはずさずさと容赦なく俺に突き刺さる。
なんで俺は勇気が無いんだろう。唇を噛み締めて、俺は俯きながら考えた。たった一言さえ言うことが出来ないなんて。さっきまで元キャプテンだとか次への意気込みだとかを語っておいてこのていたらく、このまま天馬に説教など出来るはずもないじゃないか。――このままじゃ、ダメだ。絶対にダメだ。俺はぎりっと鈍い音を発てながら歯を軋ませた。山菜を勘違いで悲しませるのは良くない。そしてなにより、俺自身のためにも、ここは勇気を振り絞るべきだ。頑張れ神童、おまえになら出来る!と強く強く言い聞かせながら、俺は思いっ切り、とても深い深呼吸をして――
「山菜ぁーー!!それ…似合ってるし、俺は凄く可愛いと思うぞ!!!」
叫んだ。最初の倍くらいの音量で、この広いグランドじゅうに響き渡るぐらいに。本当はここまで大声量で叫ぶつもりはなかったので頭の中に恥ずかしさが溜まるが、後悔は無い。俺は呼吸を整えながら、山菜の背中を見て彼女の反応を待った。しかししばらく彼女は動かず、ぴくりとも反応を示さなかったので、周りの連中はごくりと息をのんでいる。俺自身も、少々の不安が芽生えて来ていた。いくら山菜でも、あんなに大声で叫ばれたら恥ずかしかっただろうか?それとも、もっと言うべき答えがあったのだろうか。手に汗が滲み、身体を冷たい空気が覆う。
だが。そんな心配も杞憂に終わり、くるりといろいろ危ないスカートを揺らしながら振り返った彼女の顔には、照れたような、それでいて悪戯っぽい笑顔が浮かべられていた。シンさまに、かわいいって言われちゃった、と噛み締めるように言った後、言われたじゃなくて叫ばれた、だね!と明るい笑顔になる。そんな山菜の様子には先程までの悲しそうな表情のカケラすらなく、俺は少しハメられたような気分になるがまあそれは良いだろう。なぜなら、いくら俺が山菜のささやかな罠に引っ掛かったのだとしても、彼女が俺の好きな柔らかい笑みを浮かべていることは事実なのだから。浜野や錦が囃し立て、霧野がよく頑張ったな、と肩を叩きながら声を掛けてくれ、そして今だ何か騒いでいる一年生に囲まれつつ、俺と山菜は見つめ合う。そうして互いに、顔を真っ赤に染めながらゆっくりと微笑んだ。
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とびきり綺麗な君とささやかな僕の勇気に乾杯/20120420
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◎なぁ様へ
リクエストありがとうございました!実は拓茜もかなり好きなんですが書いてなかったので凄く新鮮でした。リクエスト通りに書けてる…かな?書けてるといいですね!← 拓茜は今後の進展があるのかが気になります。拓→茜、本編で見てみたいなあ…。それはともかく、なぁ様に楽しんでいただけたなら幸いです。本当に企画参加ありがとうございました!あ、ちなみに以下は作中に出てきた一年生組と錦水のおまけ会話文になります。文章に入れられなかったのですが一応補足として置いておきますね。では!
▼一年生
「じゃーん!どうかな?」
「んー?えっと…」
「もー天馬はデリカシーとかほんっと無いよね!葵ちゃん、スッゴーーく似合ってるよ!」
「はい!僕もそう思いますよ」
「ありがとう信助、輝くん!…天馬はもう少し女の子の対応とか覚えないとダメだよ?」
「えーなんでだよ、わっかんないもん乙女心とかいうのは…って剣城と狩屋なに固まってんの?」
「…かりやくんー?つるぎくんー?どしたの?」
「えっ、…べ、別に!?なんでもないけど?」
「………こっちも何でもない」
「じゃあなんで硬直してるのさ」
「ふうん…ねえ、葵ちゃん」
「ん、なあに?信助」
「こういう時はね、こうすればいいんだよゴニョゴニョ…」
「…ふんふん……、そうなの?よーしっ!分かった!」
「よっし行ってこい!」
「うん!」
「……信助、葵になに言ったの?」
「え?ああ、僕はただね――」
「狩屋くーん、剣城くーん!」
「なに…ってうわぁ!!?」
「ちょっ、おま!!なにしてんだ!」
「?なにって後ろから腕を回して――」
「「やめろ!!」」
(てゆーか胸!空野さん胸が…柔らか…ってそうじゃなくて!)
(ヤバい。理性とか諸々ヤバい。…コイツ…無防備過ぎるだろ…)
「はーなーせぇー!」
「嫌!だってなんかわかんないけどこうすればいいって信助が言ってたもん!」
「なっ」
「西園ォーー!!」
「…ただ、二人をちょっと抱きしめてみれば?って言っただけだよ!」
「ふーん。…で、なんかこれに意味あんの?」
「別にないけど」
「じゃあ何で葵ちゃんにやらせたんですか?」
「……面白いから?」
「「あー…」」
▼錦水
「…………なんだよ」
「ん?」
「だからなんであたしの…その、恰好をさっきから見てるわけ」
「んー…特に理由は無いぜよ」
「なんだそれ!」
「まあまあそんなに怒るな水鳥!…それに強いて言うなら理由はあるぜよ」
「え、…なに?」
「……水鳥の臍はエロいのう!」
「ッ!!…龍馬アアアアアア!!な、にいってんんだお前はあ!」
「うわ、なぜ怒るんじゃ!?それに顔真っ赤…」
「うるっさい!!!」
「ちゅーかお前、無意識のうちに龍馬呼びに戻ってんじゃん。やっぱりラブ?」
「錦そこに正座しろ、てか浜野いきなりでてくんなァ!!!ちょっ、おい待ておまえら――」