髪、触らせてくんない?というと、彼女はあっさりそれを承諾した。俺自身は駄目元のつもりで申し出たので、予想外の返答に戦き一瞬躊躇ったのだが、気がつけば彼女の髪に指を通していた。
その彼女というのは、イナズマジャパンのマネージャーである久遠冬花の事だ。おしとやかでかわいいともっぱらの評判だが、実は腹黒くて毒舌だということも俺は知っている。
ただ、彼女の容姿の良さだけは否定できない。その欠点の見当たらない美貌の中でも、特に髪がいいな、と俺は思った。さらさらで、シャンプーとかリンスのCMにでている女優達にも負けないくらいの艶やかさを持っている髪。テレビの中の女優達は多分相当の努力やケアをしているのだろうが、こいつのは何もしていない素の髪だというから驚く。一度触ってみてえなあ、と前々から思っていたのだが、もうそろそろFFIも終わり彼女とも会えなくなる(だろう)から、今回触らしてほしい、と申し出ることにしたのだ。なんだか変態的な要求に聞こえてしまうので、てっきり断られると思っていたがそうでもなかった。そうして、俺は恐る恐る彼女の髪に通した指を下にずらしてみた。
「――うお、すげえ」
「…どうしたの?」
「いや」
やっぱりさらさらだな、と俺が言うと、久遠はそうかなあ、と不思議そうに微笑み、特に気にしてないようだった。その傍ら、俺はというと、恥ずかしながらその触り心地に少し感動していた。なんどもなんども指を通してみるが、すぐにすり抜ける。想像していたよりもずっとさらさらしていて、柔らかくて、揺れる度に艶やかさが増すのがとても綺麗だと思った。
「久遠チャンさぁ、おまえほんとになんもしてないのかよ」
「ほんとだよー、私が嘘つくように見える?」
「見えるから言ってんだろうが」
俺がそう言うと、久遠は少し意地悪っぽく微笑んでこちらを見た。
「あはは、あきおくんひっどーい。…でもそうだね、少しはしてることあるよ。」
「…なんだよ」
久遠は手で触られていない髪を指で弄んでいる。その表情も仕種もどこか大人びていて、俺は少し見とれてしまった。そして自分が見とれていた事に気づいた時の動揺を隠すために、俺は答えを急かした。
「おい、勿体振ってねえで早く言えよ」
「もー、あきおくんはせっかちね。…けどいいよ、教えてあげる。」
久遠はまるで悪い悪戯を思い付いた子供のようにニヤリと笑って言った。
「あのね、好きな人の事を思ってブラッシングするの」
「――ぶっ!?
俺は盛大に吹いた。
「そうするとね、なんだかいつもより髪の質が良くなったような気になるんだよ…って聞いてる?大丈夫?」
吹いてしまったおかげで、喉がつまり咳が止まらなくなった。まったく情けないの一言に尽きる。ちょっと動揺したぐらいでここまで咳込んでしまうとは。俺はしばらくゴホゴホ言い続け、落ち着いた頃に仕切り直して話を続けた。
「…好きな人を想いながらって、どこの乙女のおまじないだよ」
「あきおくんに頭は大丈夫?私は一応乙女だよ」
「お前みたいな腹黒い乙女と、おまじないとか願掛けをするピュアな乙女は次元レベルで違う」
「あきおくん、ピュアって言葉が死ぬほど似合わないね」
「黙れ。とにかくお前がおまじないと的なことをしてるとか…似合わないな」
「知ってる?あきおくん。のろいとまじないってどっちも同じ漢字なんだよ」
「………」
久遠が終始いつもと変わらない笑顔を浮かべているのが逆にアレだった。
ハァ…と一旦ため息をつく。こんがらがった思考を整理すると、久遠の髪がさらさらな理由は元からの髪質と、好きな人を想いながらブラッシングをしているからだそうだ。俺はまったくなんでこんな事であんなに咳込んだのだろう…とまで思ったところで、核心の疑問にたどり着いた。久遠は、「好きな人を想いながら」と言った訳だから
「…お前、好きな奴いるんだな」
久遠と恋愛を結び付けて考えるのは簡単だった。久遠はモテるし、それに彼女の視線の先にはだいたい円堂がいたからだ。好きな人というのが円堂かは分からないが、多分そうだろう。もしそうなら、俺は単純に祝福出来る。
なのに、得体の知れない、もやもやした感情が頭の中を渦巻いていて、気分が悪くなった。俺はこんなに、一人の女の言動に振り回されてしまう男だっただろうか。なぜ俺は、イライラしているのだろうか。久遠に好きな奴の一人いたところで俺が動揺する要素はない筈だ。
久遠は俺の言葉を聞いた後、少し真顔になってうん、と一言言った。いつもの笑顔でないのが逆に真剣味を帯びていて、俺の胸はズキリと痛む。知らないうちに、久遠が俺の中でよくわからない大きな存在になっていたことに気づいてしまった。はっきりとは、分からなかったけれど。
「ふ、ふーん。まあ、応援するぜ、どんな奴だよ」
俺は動揺を隠せていない、ぎこちない表情で精一杯取り繕った。久遠がそれを聞いて、一瞬悲しそうな顔をしたように見えたのはきっと気のせいだろう。そう思うことにした。
久遠に、髪触らせてくれてありがとなというと、別に。という短い返事だけが返ってきた。なんだかよく分からないうちに気まずい空気になっていて、俺は無言でそれまで居た部屋を出ようとした。
が、その時、それまで黙っていた久遠がいきなり顔をあげ、俺を呼び止めた。
「あきおくん、」
「…なに?」
「私の好きな人ってね、バナナがすごく似合うんだよ。」
やけに真剣な顔の久遠から、バナナという単語が出てきて、ただでさえ混乱している俺の頭はさらにこんがらがってしまった。
思考が再び停止し歩みを止めてしまった俺の手を引き、久遠は歩きだした。満足げな微笑みを浮かべながら何か決意したように歩く久遠の後ろで俺はどんなマヌケ面をしていただろうか。しばらくは、このこんがらがった頭はすっきりしそうにない。
ただ今は、髪の毛とか好きな人とかバナナとかそんなことはどうでもよくて、この意地悪な彼女におとなしく手を引かれていようと思った。
振り回し系女子/20120221
*ちょっぴり意地悪な乙女の冬花ちゃんと、冬花ちゃんに振り回される鈍感なあきおが書きたかった