※お付き合いしてる天葵




私たちって、キスしたことないよね。そんな言葉が葵の言葉が発っせられたのはほんのついさっきのこと。天馬は独り言のようなそれを聞いて、見事にぴしっと固まった。
なんだなんだ、なんで皆今日はキスという単語ばかり声に出すんだ。わけが分からない!ぐるぐると混沌を描く頭の中で、天馬は唸りながら今日の出来事を回想する。まず朝会った時狩屋に、天馬くんってキスした事ある?もちろん葵ちゃんと。と聞かれたのが発端だったか、それに否定の返事を返すと隣を歩いていた信助に呆れたようにため息をつかれる。部活に行けば2年生の先輩達が隣のクラスの女子が彼氏とキスをしていたのを見てしまったなどと話していて、その時やってきた円堂にも先輩達は、お嫁さんには行ってきますのチューはしてもらってるんですか!と興奮混じりに尋ねていた。(ちなみに答えは「たまに」だった)さらにあの硬派な剣城が、お前のファーストキスの年齢っていつだったんだ?なんて彼らしくもない質問をしてくる始末で、天馬はそれを聞いた瞬間軽くずっこけそうになった。剣城に何故そんな事を尋ねたのかと問うたが、天馬が納得するような答えは返って来なかった。
そしてキス(という単語まみれ)の一日を終えて、そのあとマネージャーの仕事をする為に残っていた葵を見つけたのでそれを手伝ってから、ようやく帰り道についていたのだが、話題が一瞬途切れたのを切れ目としたのか葵までもが突然キス発言。しかも間接的なものではなく、しかも自分と彼女に直接関わる事だったから、天馬はひどく驚き混乱した。まず葵が故こんなことを言い出したのか、その理由が全くわからない。天馬の頭の中ではクエスチョンマークがぐよぐよとしたいびつな軌跡を描きながら飛び交っていた。

「なんでいきなり…」
「いや、付き合ってるのにしたことないなーって」

葵の声色は普段よりも乾いていて、ぼとりとそれは天馬の頭に落ちてくるようだった。あれ、なんか怒ってる?天馬の感情は混乱のそれから、強い焦りのものへと変化していっていた。理由は全く分からないが、葵があきらかに怒っているというのはどうしようもない事実で、天馬はそれを宥める方法を知らずただあたふたとしか出来ないのでこの状況は非常にまずいのだ。案の定言葉に詰まって何も言えなくなり、ふたりの間には気まずい沈黙の空間が広がった。
葵と天馬が付き合いだしたのは、ちょうど1年ほど前。告白をしたのは意外にも天馬からだった。いつも自分に真剣に向き合ってくれるそのひたむきな姿に、天馬は自分でも気づかないうちに惹かれていたらしく、同級生が葵に告白をしたという事実を聞いた時に生まれたどうしようもないくらいの独占欲が、天馬を告白まで行き着かせた。告白した瞬間の葵の顔は一瞬ぽかんとした驚き顔だったが、そのあとすぐにくしゃくしゃな泣き顔に変わり、しばらく泣いたあとはとても幸せそうに笑っていた。ありがとうわたしも大好きよ。なんてとびきりの甘い笑顔で言われると、天馬もたちまち幸せな気分になり、ようやく自分の想いを伝えられた事からの安堵感に包まれた。よかった、といいながら葵を抱きしめると、彼女の小さな手も天馬の背中に回されて、恋人となった幼なじみの影はひとつになる。なかなかドラマチックな告白だったなあ、と天馬は我ながらに思う。
だが世間一般に言う大きな恋愛イベントはそれくらいで、恋人となった後もふたりの関係はさほど変わらなかった。手を繋いだり、後ろから抱き着いたり、食べ物を半分こしたりなどということは以前からしょっちゅうしていたし、変わったことといえば松風と空野って、付き合ってるの?と聞かれた時に胸を張ってうん!と言えるようになった事ぐらい。ほんとうに変わったことは少なく、そして天馬はその関係に満足していたし不満も無かった。

(だけど、葵はどう思ってたんだろう)

横目でちらりと見遣ると、段になった所をバランスをとるようにして歩いている葵の姿が見えた。その顔は見るからに不機嫌そうで、ぶすっとしながら怒っている。ああ、駄目だやっぱり怒っている。天馬は重くなる頭を抱えた。どうしよう、どうしよう。
――付き合い始めてから、天馬は幼なじみという間柄では分からなかった葵の乙女心というものが少しだが分かるようになった。例えば喧嘩をした時は必ず天馬から和解を申し出ないと機嫌が悪くなること。例えば、怒っている時は本人も無意識のうちに頬を膨らませていること。――例えば、記念日だとか恋人と今日した事だとか、とにかくなんでもかんでも経験した事はすべて大切にしたがるということも。葵もそんなところは他の女子と変わらず、デートなどをした日には彼女のブログは天馬が恥ずかしくなるほどの惚気で埋まり、付き合って何ヶ月、という記念日が増えるたびに嬉しそうにカレンダーに書き込んでいる。そんな彼女の行為は、女といえば母親と秋しかいなかった天馬にとってはとても照れ臭くなるものだったが、それ以上に込み上げてくる嬉しさもあった。記念日を大切にして、愛おしそうに日付を眺める葵の姿が浮かぶ。そうだなあ、たしか一番最近の記念日は、1ヶ月前だったっけ。淡い過去の映像の中に、嬉しそうに天馬に駆け寄る葵の姿が浮かび上がった。葵はきらきらした表紙が印象的な小説を持っていて、その小説はどんな内容なのかと天馬が聞くと、葵はうっとりとした表情で頬に手を当てながら話し出した。

―恋人の二人が様々な困難を耐え抜いて、付き合い始めて一年目の記念日にファーストキスをするのよ!―

葵はまたその場面を想像しているのか、ほうっと甘いため息をつきながら目をとじている。天馬はあまりそういうものは読まなかったたから苦笑しか漏れなかったが、まあ実際にそんなシチュエーションがあったら確かにロマンチックだろうな、と思った。恋人が、一年目の記念日に、キス。一年目の記念日に…


あれ?一年目の記念日?
半ばぼやけていた視界がはっきりとなり、今まで歩いていた通学路の殺風景な景色が鮮やかとなって天馬の目に飛び込んできた。その時天馬は、今まで忘れていたことを思い出し、そして完全に焦っていた。だらだらと気持ちの悪い汗が全身から吹き出してきているのに体温は低く、顔は青ざめている。

(うわあああ!どうしよう、今日葵と付き合って一年目の日じゃんか!完全に忘れてたっ!!)

恋に夢見る乙女である葵が怒っているのも当然かもしれない。天馬は今日一日朝から夕方まで記念日について一言も触れず、さらになんの行動もせず普段通りに過ごしていたのだ。多分キス、までとはいかずとも葵は何かしら期待していただろうに、天馬自身がこんなザマだったらそれは苛々が溜まるだろう。恋人にとって、乙女にとって大切で愛おしい物のはずの、記念日。なぜ今まで忘れていたんだ!と自分を叱るように頭の中で悶々と考えるがもうそれは後の祭りにすぎなくて。この状況を打破する方法も思い浮かばず天馬はどうしようもできなかった。

葵をもう一度見返す。やはり、そこには怒っている葵のしかめっつらがあって天馬は葵にバレないようにため息をついた。―ほんとにごめん、葵。今回のは俺が悪いよ、どうしたら許してくれる?君が好きな気持ちは本当なんだ。だから、そんなに怒らないで…っていっても無理か。言葉にならない謝罪や弁解のつぶやきが頭の中にどんどん溜まっていく。息がつまって、うまく声が出せなかった。うう、考えれば考えるほど分からない。ふと自分の顔を軽く触ってみると、眉間には不機嫌な時の剣城に似た深いシワがあった。

しばらく双方共に無言で歩いていると、ついに木枯らし荘と葵の家の分かれ道まであと少し、というところまで来てしまった。本格的にまずい。メールで謝るのはなんだか誠実ではない気がするし、謝罪するならチャンスはもうここしかないだろう。
もし、このまま葵を家に帰してしまったら…それについて想像をした時、天馬の胸に鋭い痛みが走った。じぐりじぐりと、鈍い音を立てながら形の無い不安が心を侵食する。もし、嫌われたら。記念日も大切に出来ないような男だって批難されて、嫌われてしまったら、最悪の結果別れるという選択肢も有り得る。――それは嫌だ、絶対に嫌だ。そう強い確信が天馬の心に現れる。これから先も、ずっとずっと葵には隣にいてほしい、俺の彼女でいてほしい。今日は忘れてしまっていたけど、記念日を綴ったカレンダーだってどんどん増やして行きたい。離れるなんて、そんなの絶対に有り得ない!

「あおい!」
気がついたら、叫んでいた。噛み締めるように彼女の名前を呼ぶと、葵は突然の大音量にびくっと肩を震わせながら、ゆっくりと振り返った。向けられたその顔からは先程からの怒りと共に、切なそうな表情もうかがえて、天馬の胸がまた疼く。そんな顔させてごめん、でも俺ちゃんと言うから。決意を固め、すーと深呼吸してから口を開く。もう、がむしゃらだった。

「ごめんっ!記念日忘れてて!でも悪気は無かっ…」
「もう天馬のバカぁ!!!!」

今度は天馬の肩が揺れる。びっくりして葵の顔を見れば、葵は涙腺が突然決壊してしまったかのようにぐちゃぐちゃの顔で泣いていて、天馬はさらにぎょっとなった。大粒の涙はとめどなく顔から滴り、葵も大きな声を出して叫んでいる。
「楽しみにしてたのに!ずっとずっと…本とかも出してぇっ、アピールしてたのにぃ!!…うっ、なんも言ってくれないんだもん!一言でも言ってくれれ…ば…うええ…」
あれはアピールだったのか!と天馬はいまさら気づく。そして、ぼろぼろ子供のように泣いている葵を見て、どれだけ彼女が今日という日を楽しみにしていたのかという事を強く痛感していた。自分はなんとも愚かな行為で、気づかなかったとはいえその気持ちを踏みにじってしまったという事実もまた、こころに残る。 ごめん、ごめん、ごめん。そう頭の中で何回も唱えながら、天馬はそっと葵の小さな手をとった。叫びあったことで一次騒然となった辺りがしんと静まる。ごめんな、葵。忘れん坊で。ほんとにごめん。声はださなくなったがまだ泣いている葵を見上げ、天馬はほんとにすきだよ、と優しく囁いた。葵はそれを聞いてまた涙をこぼしながら、ばか。と一回呟くように言う。その言葉は天馬のこころに、ぽとりと涙の雫のように落ち、そのまま溶けた。その時、天馬は優しくも切ない、そしてなんともいえない愛おしい衝動に襲われた。好きだ、葵が好きだ。もっともっと、触れ合いたい。葵に、ふれたい。

ほとんど、衝動的だった。
少し高い位置にいる彼女に届くように背伸びして、ばくばくと唸る心臓を無理矢理抑え、自分の唇と葵のそれを触れ合わせる行為を行うまでには、そう時間はかからなかった。ただ、天馬なりの最大限の勇気は振り絞ったのだが。彼は彼で、幼なじみで昔から知っている葵にこういう事をするのが、恥ずかしくてたまらなかったのだ。
唇を触れ合わせている間の時間は、長くも感じられたし、また一瞬の出来事のようにも感じられた。その間はただただ、初めて触れるその感触を頭に焼き付けながら、目を閉じていることしかできなかった。もっと深いキスを、なんてことは思い浮かぶはずもなく、ただただお互いの唇が重なる時を過ごすだけだったが、それだけで天馬は幸せだった。葵はどんな反応をするだろうか、天馬はその刹那の時間にそう考えていた。ほとんど自己満足なキスなのだから、葵が想いを馳せていたような甘いロマンチックなものではなかったかもしれない。また、なにか間違えていたら。そう考えていると不安になる。
しかし、短いキスを終えて顔を離すと、そこには照れたように笑う葵の嬉しそうな顔があった。天馬はその時ばかりは、自分の勇気を少しだけ祝福してやりたい気持ちになる。これからはちゃんと記念日を覚えて…―そしてそれも関係なくもっと葵にこんな顔をさせてあげよう。彼女の笑う顔が、どうやら天馬は大層好きらしいから。そのためなら、どんな勇気も振り絞れる気がした。





爪先立った勇気の名前は/2012.04.07
お題:≠エーテルさ
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