※事後描写、若干の欝注意
温かみのない部屋に響くのは、衣服の擦れる音や、なにかのホックをぱちりと留める音。それと、ねっとりとしていて熱く、ただひたすらに快楽を貪る為の行為を終えた男女二人のくだらない話声だけだった。
「ねえ、あきおくん」
「なんだよ、今寝不足なんだって」
「酷い、彼女の私の話を聞き流すなんて」
「…疲れてるんだ、ホントに」
冬花は部屋に散らばっている快楽の残りかすを綺麗に掃除して、自身もシャワーを浴び終わった後だった。対する不動は、今だにぐらりと余韻の残る重い身体を支える事もせず、汚れたシーツの上で布団に包まっているままだ。冬花はそんな不動から毛布を引っぺがしてやろうかとも考えたが、不動がそこから全く動かないままぐったりとしているので、今日だけは許してやろうと伸ばしかけた手を止めた。
「…おまえは、元気なんだな」
「いつもそうじゃない」
あんだけヤッといて?そう多少お下品な言葉を口にしながら、不動は身体は動かさないままに視線だけを上に向けて冬花を見つめた。彼女はもう既に私服への着替えをすませ、鏡を片手に軽い化粧をしているところだった。様々な粉やら液やらが、冬花の顔に溶かすように塗りたくられていく。不動はあまりその行為が好きでは無かった。化粧という名の仮面を被ると、ただでさえやっかいで手に負えない冬花に「おんな」がさらにプラスされて凶悪になるからだ。冬花は化粧を終えると、持っていた口紅の蓋を閉じてから、不動の傍にずるずると四足歩行でやってきた。不動の頭の上に、甘いようで乾いた声が降って来る。
「ねえ、あきおくん」
「………」
「もう、無視?」
冬花はむすっとしながら頬を膨らませた。中学生の頃から、彼女は怒ると頬を膨らませる癖があり、今もそれは変わらない。ただ、少しだけ違うのは少女のあどけなさが無くなり大人のものに変わってしまった、ということだろうか。不動は寝不足により薄い膜がかかったようになってぼやけている目を瞬かせながら、そのチークによりほんのりと赤く染まった頬を指で押してみた。空気の詰まった、柔らかい感触がする。ちょっとやめてよ、と冬花は眉を吊り上げながらその指を掴んで離した。離された指を不動はそのまま冬花の指に絡め、何度も握っては離し、握っては離しを繰り返す。そうやってなされている行為には全くもって意味はなく、その無意味さは不動と冬花が交わる行為によく似ていた。
「なー冬花」
「むーしー。あきおくんも聞いてくれなかったくせに」
「子供みたいなスネ方すんなよ」
「うるさい」
あきおくんの馬鹿あほマヌケ。ほらやっぱり子供みたいじゃねえか。うるさい!そうやってまた、無意味でくだらないやり取りがふたりの間で交わされた。言葉には昨晩の甘くとろけるような熱はなく、簡素でいて乾いたただの羅列に過ぎなくて。それでもふたりは喋り続ける。疲れていて、話題がなくて、愛がなくても。ああこんなに乾いた関係を続けていてもいいのだろうかと、たまに不動は思う。不動と冬花の恋人という絆はあまりにも不確かで、形がない。身体は飽きるほど交わらせるけれど、そこに愛があるかと問われれば確証はなく、脆いもので。ただ仮にも彼氏彼女の関係を保っているのだから全くもって愛がないとも言い切れなかった。もやもやとしていて、けだるくて、それでもお互いに離れることは出来ない。いわばふたりは恋人という鎖で繋がれた、呪われたような関係だった。
「俺たちこのままでいいのかね」
「えっ?」
ぼそりと独り言のように呟いたつもりだった言葉はそれでもしっかりと冬花の小さな耳に届き、気がつけば不思議そうにこちらを見つめる冬花の姿が目の前にあった。冬花の瞳には、清純な星が煌めいている。あんなに恥じらいもなく快楽に溺れるおんなでも、瞳を曇らせることなく純粋でいられるのだな、と不動は頭の片隅で思った。
「夜中に何回もあんな事してるのによォ、朝になったらなんにもなくて、乾いてるっーか」
「…意味が分からないよ?」
「だからさ」
「うん」
「愛が無い生活のまま、付き合ってんのって、なんかいけないような気がするってだけ」
倦怠期、という単語が頭をよぎったが、一瞬にしてその可能性は消え去った。ふたりの関係は、ずっとずっと前から、それこそ出会った時からそうだったのだ。不動はそれに少なからずとも疑問が生じていた。
冬花は不動の言葉を受けて、少しだけ黙り込んだ。考え事をするときの彼女の瞳は、睫毛が伏せられ、中の星がちらちらと頼りなさげに燃えていて、独特の艶やかな雰囲気を醸し出している。不動はそれを見るのが、自分でも分からないうちに好きになっていたらしく、彼女をずっと見つめていたい気分だった。
「あきおくん、」
上げられた冬花の顔には、温かな笑みが浮かべられていた。不動はそんな乾いてもいない、ほんものの冬花の微笑みを初めて見た気がした。とくり、と静かに心臓が高鳴る。それはなによりも優しい響きのように思えた。
「私たちはなんで付き合ってるんだっけ?」
「…なんとなく、だろ」
「うん、そうだよね」
不動と冬花は、本人達、少なくとも不動自身が気づかないうちに交際を始めていて、そして肉体関係をもっていた。理由もきっかけも、不動にはよく分からなかったし、覚えてもいなかった。ただ、ほんとうに気がついたら一緒になっていて、そんな関係がだらだらと長い間続きついに10年もの月日が経っていて。繋いだ手はいつのまにか離せない存在になっていた。
「私があきおくんと付き合おうと思った理由はね、貴方が私に似ていて、寂しそうだったからだよ」
「……それだけ?」
「さいしょはね」
「今は?」
「全部かな」
「…とんだのろけだな」
「あはは、あきおくんがそれ言う?」
からからと乾いた鈴の音のような冬花の笑い声が、部屋に静かにこだました。それと同時に、不動の頭の中では冬花と自分は似ている、という言葉が反芻していた。
たしかに、似ているかもしれない。境遇も性格がひねくれているところも、根っこの部分に抱えている孤独感も、それを紛らわそうと快楽を求める姿すらも。だからこそ、互いにいることで、少しだけ寂しさが和らぐような気が、不動にもしていた。
「まーとにかく、似てるじゃん?」
「…そーかも、な」
「そう。だから、私を分かってくれるのはあきおくんだけなの」
「………」
「あきおくんからの愛はなくてもいいよ。それに私は貴方が好きだけど、それは多分普通の人の恋愛とは違うから。私からも普通の愛はあげられないの」
「…そ。」
「ね、でも。愛さなくていいから――」
わたしとずっと一緒にいてね。
冬花は、囁くように、歎くように、縋るように、求めるように、誓うように。静かにそう言った。その顔は温かで、せつなくて、それでも良いという決意があって。そして、ああ、愛しいと、自分はたしかに冬花を愛していると、不動は強く感じた。ただそれすらも、一般的な恋愛とは掛け離れた感情なのかもしれない。だから愛さなくていいと言う。一緒にいるだけでいいと言う。実際に、思っていても表には出さない。なぜなら愛しあうといことはふたりが1番求めているもので、そして1番恐れているものだったから。不動も冬花も、幼少期に複雑な環境におかれていたせいで極度に愛に飢えていて、かつ愛し方がよく分からなかった。どうやって愛したら、正解なのか。愛を拒まれたら、どうすればいいのだろうか。知らないということは、とても、怖い。つまりふたりはだれかを愛することが、怖いのだ。
「…もし神様がいるなら、叱られるかもな。愛は尊いのだーって」
「叱られてもいいよ、あきおくんとだったら堕ちてもいいもの」
「地獄に行ってもいいのか?」
「うん。むしろ、行ける場所があるって事だから、幸せじゃない?」
だからほんとに、離れないでね?冬花はそういいながらまた聖女の様に微笑んだ。不動は、それが精一杯の強がりだということを知っている。愛していると決して言わない冬花なりの、束縛の仕方。だから、不動は冬花を抱きしめた。夜になって冬花が帰宅すれば、きっと彼女を抱くだろう。いびつで、形しかなくて、本人達の自己満足でしかないふたりの恋は、一体なんの意味があるのだろうか。もしかしたら、意味などないのかもしれない。この冷たい部屋のなかで、ふたりは今日も身体を求めあい、交わり、なのに決して愛しているという言葉だけは口に出さないのだ。きっと意味など、限りなく無いのだろう。
そうしていると、冬花も強く抱きしめ返してきた。ふたりの体温が、ゆっくりとひとつになる。不動は、頭の中で「いつか」について考えていた。そう、それは訪れるかもしれない未来の話。いつか、不動も冬花も、愛される事を恐れないで済む時が来たのなら。恋愛ゴッコを終わらせて、身体だけの関係でなく、こころまで完全に交わることができたのなら。それはきっと、幸せな結末だろう。そしてその中で冬花は、瞳の星を目一杯輝かせて、ぼろぼろと涙を流しながら、優しく微笑んでいてくれたら良いと、不動は心の底から思うのだ。
地獄になら行けるね/2012.04.05
お題:ポケットに拳銃