※瞬→天←葵 ※短め 「うらやましかった」 それは、少年が初めて耳にした本音だった。 瞬木隼人はふと振り返る。そのとき一瞬、桜の花びらのような幻が視界の端に映った気がしたが、しかしそれは本当に、ただの幻に過ぎなかった。いつか、まだ桜が咲くには早すぎる季節のことだった。透明な春の空の下、そこには、アースイレブンの元マネージャーである空野葵ひとりしかいなかった。葵は瞬木を見てはいなかった。ぼんやりとした眼差しを、四分咲きの桜の蕾をつけた枝に向けながらその場に立ち尽くしている。 「すごく、うらやましかったの。瞬木くんのことが」 ああ、こいつこんな顔もするのか、と瞬木は率直な感想を抱いた。――空野葵。ひとつ年下の、明るく元気で快活な少女。模範生という言葉がアースイレブンのだれよりもぴったりと似合うのは彼女だろうと、瞬木はそう思っていた。それは彼女が社会の規律に沿っているとか恐ろしく真面目だとかそういうことではなくて、彼はもっと根本的な部分で、彼女が非常に「模範的」な人間であると捉えていたのだ。それはそれは綺麗なもので出来たオンナノコ。瞬木の知らないもの、かつて持っていたかもしれない安寧に満ちた明るさばかりで構成された人間。ベンチから惜しみ無い声援を送ってくれた葵の姿はひどく眩しかった。彼女は、それはもう、少々薄気味わるく感じるほどに完璧で完全なマネージャーだった。 けれど。 「うらやましくて、うらやましくて、……けど、ちょっと安心もしちゃったんだ。おかしいよね」 けれど、瞬木はいまの葵の姿の方が好きだと思った。ああ、確かに、こいつはこの世界に生きている。そんな感じがする姿だったから。そのとき初めて、瞬木は真っ直ぐに彼女の顔を見たような気がした。それなりに鍛えてきたつもりだった自分の観察眼も、どうやらまだまだ磨く必要があるらしい。彼女の表情、仕草、その一つ一つの正体を瞬木は知っていたというのに。 (ばっかみたいに、俺とおんなじ) 彼女が誰のことを見ているか、また誰のことを言っているかはすぐに分かった。もとより、彼女の瞳が帰結するのはたったひとりだけ、「あいつ」しかいないのだと瞬木も知っていたのだ。そうしてようやく瞬木の方に視線を移した葵は、すぐに消えてしまいそうなささやかな笑みを浮かべながら「ひみつだよ」とささやいた。秘密だよ。甘ったるく、それでいてひどく厳かに告げられた言葉に瞬木は何も返さない。代わりに、「早く行こうぜ」と呆れ顔で言って彼女を急かす。 「俺は、お前がうらやましいよ」 続けてそう言うと、何言ってるの瞬木くん、と葵は心底可笑しそうにころころ笑った。彼女のそんな笑顔は、まるで花みたいだと瞬木は思った。そう、花だ。太陽を羨み、海を羨み、風が吹くのをじっと待ちながら生きて、そうしていつか必ず枯れてしまう――優しい花だと。 「ねぇ、瞬木くん。天馬のこと、宜しくね」 しかしそれでも、彼女はまた春を待つのだろう。いつまでも。何度でも。瞬木はやはり、これからもずっと彼のそばに居るに違いない葵のことをうらやましく思った。心から、そっと。 ―――――――――――― おれはお前みたいに笑って「さよなら」なんて言えないよ、絶対。/20140724 Title by さよならの惑星 ×
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