※ED後捏造
※拓勝要素を含みます。





 グランドセレスタ・ギャラクシーを無事に勝ち抜き、黒岩監督を除いたアースイレブン一同が地球に帰還してから何ヵ月が経過した。
 まるであの果てしない冒険がすべて夢だったかのように、井吹宗正の毎日は特に何事もなく平和に過ぎていた。呆気ないほど滞りなく消化されていく日々。変わったことと言えば、バスケットボール業界から将来を有望視されていたにも関わらず戻ってきて早々サッカー部に入部したことが原因で、井吹に対する両業界からの注目度が上がったくらいだろう。それにしたって、もともと注目されることに慣れている井吹にしてみれば大したことではないのだが。
 場面場面を切り取って思い出しては魂が震えるような宇宙での戦いは、井吹にとっても既に鮮やかな過去と化している。色褪せることはないのだから決して寂しいとは思わない。けれども少し、地球での平穏な日々に物足りなさを感じてしまうのも恐らく仕方のないことだった。あの大会が自分を、チームを、そしてこの広い宇宙の運命すらも変えてしまったのだ。大変なことをやってのけたのだという自覚はあまり無いが、あの壮大な出来事は井吹の中に深く根を張った。タンスの中に仕舞われた思い出の断片たち。苦楽を共にしてきたグローブと、さまざまな想いを込めて握りしめた稲妻のマーク。単純な記憶として忘れてしまうには、それらはあまりにも惜しい感覚だったから。
 そんなある日のことだったか、事のはじまりは唐突に、そして静かに――また通常以上の衝撃を伴って井吹の元に訪れることになる。あの日は普段と比べてみてもとりわけ穏やかな休日だった。自主練を終え、自室のベッドに寝そべってぼうっとサッカー雑誌を読み耽っていた井吹の元に、神童拓人からこんな連絡が入ったのだ。


『一緒に、旅行に行かないか?』





 ――東京から神童家の車で数時間。たどりついた先にあったのは見慣れない賑やかな街だった。生まれて初めて体験した高級で窮屈な空気から解放されるように、井吹はそそくさと車を降りる。季節は春。心地よい風と新鮮な空気がたちまち井吹の肺を満たした。慣れない場所でじっとしているのは大の苦手だというのに、ここまでの道中嘘のように大人しくできた自分を褒めてやりたい。井吹は深く息を吸いながら力いっぱい背伸びをする。それからきょろきょろと警戒するように辺りを見回して、ひとしきり周囲の様子を観察したのち、再び神童に視線を戻した。すると、合宿中に見かけたものよりずいぶんと洒落た衣服に身を包んだ神童は、くるくるとよく動く井吹の表情を見てどこか生暖かい笑みをこぼしながら一言。

「犬か、お前は」

 井吹は思わずむっとなって口を尖らせた。

「――だって周り、知らないモンばっかだ」
「知らないものって、お前、それなら宇宙でさんざん見てきただろう」
「宇宙は宇宙だ。他の惑星も、惑星だ。けど、同じ地球の全然知らない場所は……なんとなく落ち着かねぇんだよ」
「そういうものなのか」
「ああ」

 神童は意味深に苦笑したあと、彼の執事だという人になにやら伝言を告げ始めた。ここからは二人で向かう。大丈夫、心配はしなくていい。約束の時間にはちゃんと待ち合わせるから。――要約するとそれはこのような内容だった、筈だ。どうにも曖昧なのは井吹がまだ周囲の景色に気をとられていたためで、そんな姿を見た神童がもう一度、井吹にばれないように笑みをこぼしていたことを彼は知るよしもない。
――名古屋。
 「一緒に旅行に行かないか」という誘いをかけられたとき、そのあまりの唐突さに呆気にとられていた井吹がよく状況を飲み込めないままに行き先を訪ねると、神童は少し考え込むように沈黙したあとそう答えた。名古屋の、特に那古屋城付近を探索してみたいのだと。どうして行き先をそこに決めたのか、井吹は咄嗟に聞き返せなかった。旅行に行く理由なんてわざわざ訊くようなことでもないだろうというのが彼の考えだった、というのも前提として存在するのだけれど。ただ、神童のやけに落ち着いた声は井吹の喉元に飲み込みきれない引っ掛かりを残すことになる。

「なんでまた、……オレ?」

 その質問を投げ掛けない代わりに、次に井吹はそう尋ねた。人気者の神童なら旅行に同行してくれる友人などたくさんいることだろう。少なくとも雷門中サッカー部に所属している人間ならば2つ返事で快く了承するにちがいない。練習の休みを狙って出掛けているのだからスケジュール的にも問題はないはずで、それにも関わらず、どうしてよりにもよって離れた地域に暮らしている自分なのか、井吹は不思議でたまらなかった。誘い自体は正直、嬉しい。ちょうど淡々と過ぎていく春休みに退屈していたところだし、何と言っても誘ってきた相手があの神童拓人ときたものだ。浮かれているという自覚は十分ある。自分に理性がなかったら飛び回って部屋の中でサッカーボールを蹴り回してしまうかもしれないと、そんな突拍子もない悪い想像を巡らしてしまうくらいには。
 井吹が質問を投げてから数秒後。電話の向こうで神童の笑う声がした。思わぬ反応に、井吹は声を上擦らせる。

「な、なんだよ、何がおかしいんだよ」
「いや、おかしくはないが……理由なんて要るか?」
「へ」
「俺は、お前と行けたらいいなと思った。それだけだよ」
「――、」

 神童が、どんな表情を浮かべて言葉を紡いでいるのか、詳しくは分からない。けれどそんなことを言われてしまっては、悔しいけれど井吹の返答は一つだけだった。
 指定された日付は3日後。近場の駅で待ち合わせをした。同性と旅行に行くなど、バスケやサッカーの合宿を除いて初めてのことだった。神童との電話を切ったあと、まるで遠足の前日を迎えた小学生のように心を昂らせながら井吹はさっそく旅行の準備に取り掛かった。


 歩き始めてから数十分。神童の足取りは真っ直ぐで、揺るぎなかった。見たいものがあったらいつでも言ってほしい。ただ、時間は取らせないから、最初に俺の行きたいところを見てからでもいいか。それが、出発する前に神童から寄せられたたった一つの要求だった。
(まあ、要するに、どうしても行きたいところがあるって訳だ)
 当然ながら井吹はこの土地に関して詳しくない。見慣れない街の中、特に観光名所や有名店を調べてきた訳でもないので、井吹は素直に神童の後ろをついて行った。二人の歩みはだんだんと市街地から離れていった。春のみどりに覆われた緩やかな坂を言葉少なに登る。街中の賑やかさとはうって変わって、この世界から切り離されたかのように静かな坂道。時折小鳥の鳴き声が微かに響くくらいで、その場所は外界の雑音から完全に切り離されていた。先日は雨でも降っていたのだろうか。草花はみずみずしい空気を纏い、その先端からぽたりと透明な雫が垂れ落ちている。薫る水のにおい。微かな、本当に微かな歌の響き。華やかさとは対照的な素朴な美しさをたたえた景色に、井吹の意識も自然と冴えていく。前を歩く少年の表情はこちらからは伺えない。こんなしんとしたさやけさを持つ場所に対して神童が抱く思い出とは、一体どんなものなのだろう。それが少し気になった。


「――着いたぞ、井吹」


 柔らかなしじまを切り裂いたのは、他でもない神童の声で、井吹はそれに合わせてゆっくりと顔を上げた。
 瞬間。息が、止まる。
 開けた春の空。花の衣を纏った青。遠く地平線の果てまで見渡せる見晴らしの良さ。そんな視覚的な景色も確かに印象的だったが、井吹の呼吸を止めたのはもっと別のものだった。心臓を素手で掴まれたのではないかと錯覚を起こすくらいの閉塞感。この場所に眠る、何か。記憶のような、思い出のような存在。それらが井吹の心臓にまとわりつき、その全力を賭けて大切な想いを伝えようとしているような気がして――。

「井吹?」

 神童の不審げな声で井吹ははっとなった。瞳の焦点が再び中心を結ぶと、ぼやけた景色の中にはっきりと神童の姿が映し出される。冷たい汗が首筋を伝う。
 今のはなんだ。白昼夢、なのか?
 なんでもない、と絞り出した声で何とか告げて、井吹は神童を追い越し歩き始めた。見晴らしのよい丘のてっぺんにのそりと向かう。神童は曇り顔のまま井吹の後をついてゆく。
 
「本当に大丈夫か?」
「だから大丈夫っつってんだろーが。それより、大事なのは景色だろ、景色。せっかく来たんだからちゃんと見とけよ」
「――、ああ、そうだな…」

 懐かしいよ、と微笑む神童を横目で見遣りながら、それでも何も問わないまま、井吹は眼前に広がる市街地を眺めた。神童が何故わざわざここを選んだのかは分からないが確かに綺麗な景色だった。ここに来る途中、今から行くところには「みはらしの丘」という名前がついているのだと神童から聞いていたが、その名前もこの素晴らしい展望によく似合っていると思った。
そして、ふと、井吹は丘の上にそびえ立つ大木の存在に気がついた。淡いピンク色の蕾をつけている――桜の木。  

「桜、だよなこれ」

 井吹が反射的に呟くのと、神童が井吹の隣に並び立つのとはほぼ同時だった。

「……、そうだな。相変わらず立派な木だよ。ここだけ時が止まっているみたいだ」
「神童は咲いているとこ、見たことあんのか」
「あるよ。ずっと昔」
「昔?」
「ああ。……ずっと昔、この桜の木が満開の花を咲かせていたとき、ある人と約束を交わしたことがあるんだ」

 神童は瞳を伏せた。それから胸に手を当てて、まるでここに在る空気のすべてを自らに染み込ませるように立ち尽くす。その頬を、髪を、たおやかな風がそっと撫でていく。井吹は神童の存在が酷く遠くにあるような気がして、何も言い返せなかった。何も、口に出すことが出来なかった。
 見上げた先には、まだ時期には早かった桜の木。寂しげに伸ばされた枝葉の色が、井吹の鮮やかな視界を満たす。
 大事な思い出があるのだろう。この、人気のない浮世離れした丘には。この世でただひとり、神童にしか分からない、神童拓人しか知らないとても大事な思い出が。そしてそこに井吹はいない。神童が大切に、誰にも開放せずに仕舞っている遠い記憶の彼方になど。そこで一気に、井吹はそれ以上言及する気を失った。訊いたところで何になるというのだ。神童の思い出を暴く権利なんて自分は持っていないのに。きっと、そこに入り込む余地すら無いにちがいない。
(もしかして、傷ついてるのか?俺は)
 思い返せば、井吹が神童の過去について質問したことなど殆どなかった。それは神童の歩いてきた道に自分が居ないことを知るのがどこか怖かったからかもしれない。それだけ神童拓人という人間は井吹にとって心の多くを占めている大きな存在だった。そして、井吹の知らない彼の過去を垣間見てしまった今、井吹の心はずきりと痛み始めている。井吹が神童を求めるように、神童にも同じくらい自分を求めて欲しかった。行き場のない独占欲と、それ以上入り込むことは出来ないのだという不可侵領域への焦燥は井吹の気分をじわじわと落ち込ませてゆく。しかし、だからといって彼と思い出を引き離そうなんていう考えは起きない。そんな自棄を起こしてしまうには、目の前の彼の姿はあまりにも誠実で、同時にあまりにも悲しげだったから。

「…そろそろ行こうか」

 しかし意外にも早く、神童は目を開けて自分から井吹を促した。想像していたよりも呆気ない終わりに井吹は一度言葉を失って、その一瞬間後にそれは喉の奥から飛び出した。

「は、もういいのかよ」
「ああ。時間は取らせないと言っただろう?」
「でも、おい、アンタ」
「?、何か他に気がかりでもあるのか」
「……釈然としねえ」
「なんだそれ」

 神童はまるで屁理屈を垂れる子どもを見るような目付きをして笑った。それがどうしても気にくわない井吹はぐぬぬと唸りながら消化しきれなかった感情に苛まれる。自分が誰の視点に立っているのかすらもはや分からない。

「お前、ほんとにそれでいいのかよ。もっと他になんかないのか!」

 さっきまであんなに切なげな表情を浮かべていたくせに、未練など何もないとでも言うようにすたすたと歩き出した神童の背中を睨み付けながら井吹は叫んだ。

「なあ、神童」
「――いいんだ。また別の機会があったらもう一度来るから」
「そういうことじゃなくて!」
「何をそんなに苛立っているんだ。誘ったとき、お前と一緒に来たいと言っただろう。……お前聞いてなかったのか?」
「は?」

 唐突な言葉。神童は振り返らない。わざと顔を見せないようにしているのか、それとも。不意にその身体が、淡いピンク色に包まれる。既視感のある色。でも、それでいて同時に知らない色。

「お前とここに来ること、それが達成できれば今回はそれで良かったんだ。――お前は俺に新しい始まりをくれた人間だから」

 井吹の声帯は震えなかった。言い返したいことはたくさんあったが、何も言えなかった。なぜなら彼はここであってここではないどこかに立って、そこから神童の声を聴いていたから。
 気が付いたら、蕾だったはずの桜の花が満開になっていた。幻想的な花吹雪の中。神童の姿はいつの間にか見えなくなっている。一人取り残された井吹はどう足掻いても動きそうない身体をもどかしく思った。明らかに周囲の様子がおかしいのに、それを確認するすべはない。一体、ここはどこなんだ?そんな形にならなかった言葉すらも花びらとなって空気に溶ける世界で、視界を覆ってしまうほどの暖色の風が止んだとき。その向こうに立っていた一人の少女の姿を、井吹は視界の真ん中に見つけることになる。

「――あなたは?」

 潤んだ瞳が井吹を捉える。その少女は涙を流しながら細く白い手で木の幹に触れていた。やはり声の出せない井吹は、ただ自身を包む驚愕に飲み込まれたまま彼女と対峙した。頭のてっぺんできっちりと纏められたお団子頭。少しくすんだ橙いろの和服。知らない少女だった。井吹の記憶のどこを探してもこんな古風なたたずまいの少女は見当たらない。向こうの反応から考えても完全に面識はないはずだ。しかし、一つ気になったのは、彼女と向き合っているときに生じる違和感や苦しさが――みはらしの丘に到着したばかりのときに感じたものと同じものだったこと。

(もしかして、こいつが、神童の思い出?)

 ぽろぽろと流れ落ちる涙を拭うことなく、少女は井吹のことをまばっている。花びらがそんな彼女の頬の上をすべってゆく。特別に美人という訳ではないが、折れそうな身体をそばで支えて守ってあげたくなるような可憐な少女だった。何より、彼女が胸のうちに秘めているのであろう想いが井吹を掴んで離さなかった。
 するとやがて、井吹と同じように驚きに満ちた彼女の瞳は、どこか安心したようにすっと細められた。
 なんと晴れやかな顔で笑うのだろう、と井吹は思った。彼女が発する眩しさに今にも吸いこまれてしまいそうだった。木の幹から華奢な腕が離れる。少女は井吹に少しずつ近づいて、人ひとりぶんの間を空けたところで静止した。細い指が井吹の胸に優しくふれる。ふれた箇所から伝わってくる、人肌の温度。

「ああ、きっとあなたが、そうなのですね……良かった」

 何もかも悟ったような顔で少女は呟く。彼女の言っていることの意味は井吹には伝わらなかったけれど、どうしてか、彼女が限りなく穏やかな気持ちで井吹に接していることだけは分かった。まるで愛おしい者を抱き寄せるような手つきに不覚にもどきりとなる。きらきらと光る雫が滴った瞳に浮かんでいたのは、一体どんな色だったのだろう。

「拓人さまを、宜しくお願い致します。私はあなたの幸せを心から願っていますと――、」

 不意をついて少女が発した名前に、井吹は目を見開いた。想い人の名前。拓人さま。少女は、最後までまっすぐに笑っていた。ありがとうと言いながらまぼろしのような花びらの中に溶けてゆく身体。光を帯びたまま舞う涙。結い上げていた紐がちぎれ、美しい黒い髪がなめらかな波を描きながら広がって、そうして――。
 それと同時に、井吹の意識も解放された。


「井吹、」


 井吹は、再びはっとなった。先ほどまでの出来事が嘘のように身体が軽かった。まぶたの裏にまだ広がっている景色。見知らぬ少女の声が、井吹の鼓膜をふるわせる。井吹は恐る恐る顔を上げた。そうして、神童の視線とかち合った瞬間、心の底から形容しがたい寂寥が溢れだしてきた。少女の悲しみに、あのとき確かにきらめいてた想いに呼応するように。

「なんだ、お前。やっぱり具合が悪いんじゃないか?」
「……、いや、大丈夫だ」
「?、まあ、くれぐれも無理はするなよ」
「ああ」
「ほら、もう行こう。置いてくぞ」

 その言葉を受け、あわてて歩き出したあと、井吹はもう一度桜の木の方を見た。そこにはもう少女の姿も満開の花吹雪もない。元通り、やがて花開く蕾をたくさんつけた木が春を待っている。時の止まった丘。いつか誰かが、すぐにでも消えてしまいそうなのに狂おしいほど強い想いを残した場所。
(なんか、託されちまったんだよな)
 完全な理解には程遠いだろうけれど。少女の言葉を思い出す。宜しくお願い致しますと笑顔と共に紡がれた、彼女の声を頭に焼き付ける。
 痛みがない訳じゃない。いくら悩んでみたって無意味に終わる悔しさが、片隅に存在しない訳じゃない。自分では神童拓人の過去を埋められない。けれど、と少年は続けてみる。それなら、未来を自分で埋めてしまえばいいだけじゃないかと。持ち前の前向きな思考が、井吹の中でようやく開花し始めていた。ぐだぐだ悩むのはまったくもってらしくない。あの儚げな少女だって綺麗に笑えていたというのに。負けていられない、と思った。心配しなくても、井吹と神童が見上げるのは同じ明日へと繋がる空なのだ。
 ――お前は俺に新しい始まりをくれた人間だから。
 神童の言葉が、今になって井吹の胸に染み込んでいく。らしくもなく彼にありがとうと伝えたい気分だった。井吹は足を早め、今度は神童の隣に並んだ。彼は相変わらず不思議そうに井吹のことを見上げている。そして、少し経ったあと「あっ」と驚嘆の声を上げた。

「どうした?」
「花びら、」
「え」
「お前の肩に花びらが、……これ、桜か?どうして……」

 神童の指先につままれていたのは確かに一枚の花びらだった。一瞬にして動揺に包まれた彼の表情を見て、井吹はふふんと自慢げに笑ってみせた。

「――ちょっとな、いろいろあってうっかり過去を拾ってきちまったんだよ」
「はぁ?」

 意味が分からない、と言いたげな表情を浮かべる神童を置き去りに、井吹はエナメルバックから旅行者向けのパンフレットを取り出して、何かいい店はないかとおもむろに探し始めた。ページをめくる指の動きはいつにもまして軽やかだ。目まぐるしく訪れた出来事にすっかり気をとられていたが、長い坂道を長時間登ってきたものだからずいぶん腹が減ってしまっている。賑わう観光地に食べ盛りの運動部員が二人、さぞ食べ歩きが捗ることだろう。尤も神童は行儀がよくないだとかなんとか言ってわざわざベンチを探すかもしれないが。何にせよ、二人で過ごすこの旅行は、そして新生イナズマジャパン結成から始まったこの物語も、きっとまだ始まりに立ったばかりなのだ。終わってなど、いない。せっかちな未来は、もうすぐそこまで来て井吹たちを待ち構えている。


(まあ、たまにはそんなのも――いいねえ!)


 くすくすと、花びらの向こうで丘からの景色を臨む少女が可笑しそうに笑った気がした。




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ここは優しい惑星/20140316
Title by エバーラスティングブルー
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