まるで姉弟のような仲だよね、と、木暮夕弥と音無春奈の関係を見た者はまず彼等にたいして最初にそんな印象を持つらしい。二人の体格差や、せわしなく騒ぎまわる彼らの様子をすべて総合するとそんな印象を持つのも当然かもしれない。だが、当の本人達はというと、自分達にその「姉弟」という言葉を当て嵌めて考えた時、はたして本当にそうなのか?と二人揃って首を捻るのだった。
確かに自分達は姉と弟のような関係かもしれない、という事は二人とも理解しているつもりである。世話やきな音無はしょっちゅう姉のように木暮を叱るために彼を追い回しているし、木暮も多少不本意ながら彼女の事を口うるさい姉のようだと評価している。けれど第三者から「姉弟みたい」だと言われ、それで自分達の関係をすべて完結させるとなると途方もない違和感が体を駆け巡るのだ。姉弟の枠組みの仲に自分達が入っているのだとしても、他人から肯定されると何か違う。でもその理由が分からないのだからどうしようもなくて。それらの複雑な感情に、ここのところ二人は悩まされ続けているのであった。





これは、合宿中のジャパンチームのある休日の話である。



「どう思います?リカさん」

昼食時のピークを過ぎた都内のファミレスは閑散としている。走り回る子供の姿や、ぺちゃくちゃと有ること無いこと喋り続けるOLの姿もない。普段より静かな店内の中で、音無春奈と浦部リカは対峙していた。既に二人の手元には注文の品が届いており、音無はブルーベリーのソースが掛けられたチーズケーキと紅茶を、浦部はダイエット中のためか食べ物は頼まずコーヒーのみである。チーズケーキをぱくつきながら眉根を寄せて木暮について話す音無を、浦部は彼女と同様に顔をしかめながら見ていた。
浦部が音無に呼び出されたのは昨日の夜。「なんだかモヤモヤしてて」という言葉から始まった音無の呼び出し内容に、最初は浦部も心躍らされたものだった。浦部は生粋のお節介、特に恋愛事になると誰彼構わず首を突っ込み、引っ掻き回すのが大変好きな性分だ。だから明らかに「恋愛事」、しかも浦部が前々から目を付けていた木暮と春奈の関係についてとなると食いつき様も半端ではなかった。だからとんとん拍子に本日の予定は決まり、待ち合わせの場所にも何事も無くたどり着く事が出来たのだが。
しかし、浦部の機嫌は良くない。良くないというか、回答が分かりきった質問に対して呆れているのだ。音無の質問を、簡潔に纏めるとこうなる。――周囲から姉弟みたいだと認識されるのは嫌で、加えて自分達もそんな関係はしっくりこない。そこまで感じていて、何故回答にたどり着かないのかと、目の前で今だ不可解そうな顔をしながらメロンソーダにぶくぶくと泡をたてている少女を見ながら浦部はため息をついた。精神年齢が低いというか、なんというか。そういう類の経験が少ないのかもしれない(寧ろ有るようには見えない)けど、――なんや、めっちゃもどかしいなあ。そんな浦部の心の中の独り言は知らず知らずのうちに顔に出ていたらしく、ちょっとリカさん聞いてますか?という春奈の不満げな声が飛んできた。すまんすまん、と苦笑と共に顔を上げると、春奈の眉間のシワは更に深くなっている。

「私は真剣に悩んでるんですよ。経験豊富そうなリカさんなら何か、解決策とかそういうの…思い浮かびませんか?」
「せやけど…なあ。春奈、あんたホンマにわからんの?」
「何がですか?」
「だーかーら、そのペッタンコな胸の奥にしもうちゅう、木暮に対する思いみたいなモンや」

ペッタンコは余計です、と頬を林檎みたいに膨らませてから、それでも不思議そうに首を捻る春奈に、浦部はまたひとつ苦笑を漏らした。こんな疑問や状態は、たしかに彼ららしいのかもしれない。でも、ここまで想いが膨らんでしまっているのを見たら、浦部としては背中を押さざるをえないのだ。このまま疑問を抱えたままでいたら、きっと絡まった糸が解けて回答を導き出すまでに沢山の時間が掛かる事になる。それもひとつの形なのかもしれないが、結局のところ分かりきっている答えなのだから、時期が遅かろうが早かろうがもう関係はないだろうから。浦部は春奈の奥底に語りかけるように、ゆっくりともう一度口を開く。

「よーするにな、アンタは木暮と同じ土俵に立ちたいんや」
「同じ土俵?」
「そ、同じ立場、おんなじくらいの距離ってこと。姉と弟の関係じゃ嫌なんやろ?」
「嫌というか…まあ、そうなのかもしれないですけど」
「もっと素直になりい!そうすれば答えは見えてくるはずやで」
「素直に…」

幾らか真剣味を帯びた春奈の瞳に、ふっと睫毛が被さっている。きっと、もうすぐ。浦部はそれこそ目の前にいる少女の姉になったような気分で、先程より声を荒げながら推しの一言を口にした。

「鈍感なアンタのためにウチが回答を言っちゃる!もう認めい、春奈は木暮の事が好きなんや。ライクやなくラブなんや!」

再びメロンソーダに口づけた春奈は浦部の言葉を聞いてゴホゴホと盛大にむせた。一気に吸い込んでしまった炭酸が舌の上でばちばちと破裂しまくる。私が木暮くんを、恋愛的な意味で好き?春奈の頭の中で、浦部の言葉や木暮の顔、透き通った緑色のジュースやらがぐちゃぐちゃに混ざり合って甘ったるい混沌を作り出す。気がつけば首まで真っ赤になっていた。
――私が木暮くんを、好き。頭の中で呟かれれば呟かれるほど現実的になってくるその言葉にひどく動揺しているのは紛れも無い自分自身で。春奈は必死に頭を整理しようとするが、掻き回すほどに深く濃くなってゆく混沌を抑えるには、春奈の心は恋愛に対してうとすぎた。木暮の事が恋愛的に好きだなんて、不思議な事に春奈は一度もその可能性は考えた事がなかったのだ。だが心の底で疑問と共に降り積もっていた確かな恋情は、誰かの手によって自覚してしまえばなんとも純粋な回答であった。それだけに、初な彼女にもたらされる力は大きい。

「ああ…うぅ」
「な?考えてみれば間違いやないやろ?」
「わ、わかりませんよ?!今はリカさんに指摘されて動揺してるだけかも、しれないし…っ!」
「…アンタなあ」
「ま、まだわかんないです!…ああ、ケーキ美味しいなあ!」
「はー…、ま、ゆっくり考えてみーや」

春奈が残っているケーキをすべて平らげるまでにそう時間はかからないだろう。その間、浦部も苦いコーヒーを含みながら、すっかり真っ赤になった顔で残りを食べ進める春奈を見つめる。なんや、自覚したはずやのに。まだまだ時間はかかりそうやなあ、まあそれもアリか。そろそろ夕方と呼べる時間帯に差し掛かろうとしている頃、人気の少ないファミレスの中で、自称恋愛相談係の大阪娘はそんな事を考えていた。


――――――――


「木暮くん?」
「あ、ヒロトさん」

東京都内の大型デパート店。久しぶりの休日中、基山ヒロトはこれまた久しぶりに幼なじみ達に会いに帰省していた。そして帰って早々、お日様園で行われた熾烈な戦い――じゃんけん大会に不幸にも負けて買い物係を言い付けられた彼がそこを散策していると、女性向けの服屋のショーウインドー前で店内を真剣に見つめている木暮夕弥を発見する。何故あんなお店を木暮くんが覗いているのだろう?と、疑問に思った基山が木暮に声を掛けると、木暮は彼らしくもない神妙な顔でこちらに振り向いた。

「どうしたの?君がこんなお店を覗くなんて珍しいね」
「あ、いや…」
「別に悪い事じゃないよ。…もしかして、誰か女性へのプレゼントでも探してたのかい?」
「そういわけじゃ、ないんですけど」

木暮はふらふらと落ち着きのない仕草で手を上に遣り、ショーウインドーの向こう側に佇む一つのマネキンを指差した。少しだけ埃を被ったその模型が着せられているのは、淡い空色をした薄めのチュニック。ひらひらと涼しげに揺れる長い裾が、きっとこれからの暑い季節にはピッタリだろうと、基山は無意識のうちに考察する。

「あれがどうかしたのかい?」
「……に、」
「え?」

「音無が着てたら、まあちょっとは似合うかな、って思ってたんです」

意外な答えだった。基山は瞳を丸くしながら、自身の心が微笑ましく暖かい気分で満たされるのを感じた。ああ、青春だなあ、なんて年齢にそぐわぬ事を内心で呟いてみたり。それにしても、木暮くんと春奈さんは仲が良い事は知っていたけど、ここまで好意的な意見を素直に言ってくれるとは思わなかったなあ、とどこか浮かない表情のままでいる木暮のおかしさと、非常に彼らしくもない素直さとを重ねて疑問を感じた基山は、思いきってそれを直球にぶつけてみよう、という結論に達した。

「木暮くん、なにかあったの?」
「え?」
「なんだかいつもの君らしくないと思うんだけど、何か悩み事でも?」
「あー…うーん」
「例えば、そう…春奈さんの事とか」
「ぶはっ!?」

基山は良い反応に手応えを感じる。やはり、春奈さん関係か。激しくむせる木暮は回答を体で表現しているようなものだった。なんで分かるんですか、なんていう木暮の質問に対して基山は爽やかな笑みを浮かべ、何となくだよ、とこれまた初夏の風のように爽やかな口調で返す。木暮は少し不満げな顔のままだった。

「というか、君の態度や言動を見ていたら一目瞭然だよ?自覚ないみたいだけど」
「そ、そうなんですか…?」
「うん。…それはともかく、何か悩み事があるなら俺に相談してみなよ」
「え」
「俺が力になれるかはわかんないけどね、聞くぐらいは出来るからさ。」

言い終えてからまたニッコリと笑ってみせる基山に、木暮は眉をしかめてしばらく考えるような仕草を見せたあと、じゃあお願いします、と遠慮がちに言った。

「悩んでる…のかはよくわかんないんですけど」
「うん」
「モヤモヤするってか…」

納得いかないんです、と続けた言葉はまだ幾らか濁されていて、基山の笑みに少し困ったような陰りが混じる。うーんと、つまり?と、頭の中で考えていた言葉は図らずも口に出ていたらしく、それを聞いた木暮はぎゅっと目をつむり何かを念じたようにしたあと、再度口を開いた。春奈と姉弟のように思われるのに納得がいかないこと、そんなふうだという自覚はあるが、他人から言われるとやはりモヤモヤすること。自分はどうしてこんな感情を抱いているのか、わからないということ。
そうやって全てを語り終えたあと、木暮はハア、と重たげなため息をついてから少し顔を上げて基山を見遣る。眼が基山に回答を求めているのが容易に分かってしまう。基山は、正直のところ木暮が何故「それ」を自覚していないのか、と心底疑問に思っていた。ここまで進んでいたら普通わかるんじゃないかなあ。――さてどうしようか。思考しながら、口元に手を当てる。はっきり口にした方が良いのか、はたまた「思春期特有の悩みみたいなものだから気にしなくていいよ!」と明るく言ってみせるべきか。前者の方が正しいのかもしれないが、基山としては後者を選択して少し楽しみたい気もするのである。
と、そんな考えをぐるぐると巡らせていた折、彼のポケットの中で携帯電話が震え、けたたましい着信音が流れて来た。

「うわっ」

ひどく驚いたらしい木暮は、基山の隣でびくりと肩を跳ね上がらした。基山はちょっと待ってて、と小さな彼に告げてから、少し離れて通話ボタンを押した。ちなみに、相手は分かっていた。携帯から流れ出してきた最近流行りの曲は、電話をかけてきた彼女直々のご指名であり、加えてその曲を着信音に設定しているのは彼女だけだからだ。

『ヒロトォ、出るの遅いねん!』

基山の幼なじみに引けをとらない強引さを持つ浦部リカの叫び声が基山の頭に響く。少々煩く感じるぐらいの元気さは常に変わる事がない。

「やあリカさん。買い物してたんだから許してくれよ」
『あ、そうなん?じゃーオマケして許すわー。というか聞いてや!もう、さっきまで春奈とおうたんやけど』
「え、春奈さんと?」
『?、なんやその食いつきようは。…ああ!!?もしかしてアンタ春奈の事狙っとるん!?あーあー残念、それじゃあ勝ち目ないわあ…』
「そんなんじゃないよ。それにその事は俺も分かってるからさ」
『なーんや、つまらんの。…そうそう、本題の話なんやけどさあ』

間も置かず喋りつづける浦部はまさに撃ち放たれた弾丸の如くで聞き手にかなりの体力や精神力を強いるのだが、日々幼なじみの中でも気の強い女性達に振り回されている基山にとってそれはさほど問題でもなかった。それに彼女からもたらされた情報は基山にとって、いや木暮にとってと言うべきか、とにかく有意義なものだったのである。基山が、この時ほど浦部のお喋りに感謝したことは無いだろう。しかし今の基山や木暮に関する情報がすべて伝えられたその先は蛇足というもの。浦部の話題の方向は既に先日食べに行ったらしいお好み焼き屋への文句となっていて、きっとこの先も転がり続けるのだろう。基山の帰りを待っている悩める少年のために、彼は「俺はもんじゃ焼き派だから」という繋がっているのか繋がっていないのかよく分からない返答で強引に話を区切り、通話を切って、先程と同じような笑顔で木暮の元へと帰った。

「ヒロトさん」
「ごめんね、待たせちゃった。ちょっとリカさんがね」
「ああ、あの人か…」

木暮が基山に向けて来た同情の色を含んだ苦笑に、彼も同じような表情を返した。

「で、話の続きだけど。」

そうして、話を本題の方へと切り替えると、木暮は幾らか心配そうな、それでいてどこか真剣な顔つきになる。本気で悩んでいるんだなあ、必死なんだなあ、と、基山は人事のように(実際人事なのだが)思いつつも、最初彼に対して抱いた新鮮な微笑ましさも復活してきて、同時に彼の表情も柔らかくなった。たどり着いた回答はつとめて淡々と、そして少しばかりの愉しさを詰めてそんな彼から語られる。

「単刀直入に言うとね、君は春奈さんの事が好きなんだよ。姉弟で満足出来ないくらいに」

ぶはっ!というデジャヴュを感じる反応に、基山はまたも強い手応えを感じた。もっとも、最初からわかりきっている答えではあるのだが。しばらくむせたあと、木暮が酷く動揺し混乱しているのが見て取れて、基山は対応し切れない感情に素直過ぎる木暮に対して思わず笑いをこぼす。その後の彼等のやり取りも、木暮が真っ赤な様子で反論してくる場面も、余談になってしまうが基山が帰りを待つ女子達の抗議の電話を受け取ることも。最早語るべきではない、ありふれた午後の情景である。






「あっ」
「あっ」

少年少女が色めいた休日の次の日。練習は再開され、朝の合宿所。ジャパンのメンバー達でごった返す中、食堂の手前の曲がり角で、音無春奈と木暮夕弥は偶然にもお互い一番に顔を合わしてしまう。

「お、おはよう、木暮くん」
「…おおお、おはよう」
「……なんか"お"が多いよ?」
「そっちこそなんかヘン」
「あっ、そ。…じゃあねっ」
「………」

二人ともぎこちない動作や言動である。自覚させられても、まだまだ上手くはいかないらしいと、随分お怒りの浦部からのメールに返信しながらそれらを傍観していた基山は思う。
自覚してスタートライン。では、その先は?と、考えてみると、やはりペースはあくまでもスロー。これから徐々に加速していくであろう二人は、きっと戸惑いながら、悩みを相談しながら、それでも彼等らしく歩いていくのだ。



――――――

1万打リクエスト
漂うバクテリアはきっと僕らより賢い/20120625

Title by ギルティ
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