「凄いね、倉間くん」
隣で、予め用意しておいた専用のシートを目に当てながら、晴れた空の太陽を見上げている彼女が歓声を上げた。鈴を転がしたように高い声が心地好く耳に響き、俺もそれに釣られて空を見た。俺の口からも、感嘆のため息が漏れる。――次、同じように見えるのは300年後だといっただろうか、到底俺達は生きていられないしきっとその頃には生まれ変わって別の人生を歩んでいる事だろう。生まれ育ったこの町で見ることのできた金環日食は、とても貴重なものに見えた。まあ実際貴重で特別なのだろうけど、もし遠い地に行かないと見えないという条件だったら、ちっぽけな子供の俺はわざわざ遠い距離を移動して太陽のリングを拝みにいこうなんて事はせず、今頃まだ布団と夢の中へデートをしていると思う。だから今大した移動もせずにこの目で見ることが出来ている、というのが俺にとっては大切なことなのだ。
そして、今日をもっと特別にさせてくれているのは、隣にふわふわ頭の山菜がいる事。俺は今日、彼女にどうしても言いたい事があった。それは特別で大切で非常に勇気のいる事。もしかしたら、この良い日を最悪の日にしてしまうかもしれない、そんな重要事項。だから俺は無い勇気を振り絞って、ほぼ駄目元で山菜に「一緒に金環日食、見ないか?」と浜野達にバレないように(もしバレたら囃し立てられてめんどくさい事になるから念入りにその場に居ないか確認した)誘ったのだ。場所は元から決めてあって、普段から太陽が綺麗に見えるお気に入りの場所だった。
しかしそんな心配とは裏腹に、山菜は二つ返事で了承してくれた。もうその時といったら、もう飛び上がって三回転半宙返りをその場で決めたいと思ったほど嬉しくて仕方なかった。勿論、そんな事は出来ないのだけれど。とにかくあの時の勇気のおかげで俺の隣には山菜がいて、空には神々しいリング状の太陽が輝きを放っている。一生に一度見れるかどうか分からない貴重なものに深い感動を抱きながら、俺はすうっと大きく息を吸い込んだ。さあ、ここからがもう一つの頑張り所。俺はこの太陽のしたで、――ヘタレという最悪の称号を克服しようと思っていたのだった。
「なあ、山菜」
「ん?なあに倉間くん」
「ドリカムの歌でさ、今日の金環日食の事が歌詞にのってある歌があるんだけど、知ってるか?」
「知ってるよ、時間旅行でしょ。」
「そ、〜2012年の金環食まで待ってるから〜、って奴」
「ニュースでやってたよね、ほら、今日歌に合わせてプロポーズする人も多いんだって…」
素敵だよね、と山菜は呟いた。彼女のほう、と夢見るようなため息と共に浮かべられる微笑を見て、俺の喉がごくりと唸る。渇いて、酷くがらがらだ。この期に及んで緊張しているのか!というツッコミは止してほしい、それぐらい緊張しているのだから。だが一世一代の大決意、今日しかチャンスはないのだし、それを無駄にはしたくなかったので、二度目の大きな勇気を振り絞り口を開く。
「や、山菜、それでさ」
山菜は、こくりと首を傾げた。
「?、どうしたの」
「ハイ、これ!」
素早くずいっと、ポケットに突っ込んでいたロイヤルブルーの小箱を取り出す。箱にはブランド物らしい金色で刻まれたロゴ、それと淡い空色のリボンも掛けてもらっていた。山菜が怖ず怖ずと遠慮がちにそれを受け取り、「なあに?」なんて尋ねてきたけれど、俺は緊張から何も言えず、ふるふると首を振って箱を開けるように促すことしか出来なかった。山菜はやはり不思議がりながらするすると丁寧にリボンを解き、ふっとロゴを眺めたあと、ぱかりと音をたてながら小箱を開いた。瞬間、その大きな瞳に驚きが浮かぶ。
「これ…」
彼女の柔らかくてほそっこい指が、中に入っていたシルバーリングの表面を撫でた。真ん中にちょこんと、まあまがい物なのだけど、俺が店頭で見て絶対山菜に似合うと確信した水色の小さな球が乗っかっている。俺は山菜から目を反らしながら、ぽつぽつと話しはじめた。恥ずかしくて顔なんか見れやしない。
「やる、から」
「…なんで?」
山菜の視線を感じる。どんな表情をしているのか見るのはやはり怖かった。いくじなし、と心の中でもう一人の俺がふがいない自分を罵る声が聞こえた気がする。
「将来の、予約」
「…予約?」
「山菜が俺以外の何処にも行かないようにって、約束。今はこんな安っぽいのしか無理だけど、いつか将来、あの金環日食みたいな…綺麗な指輪、プレゼントしたいんだ」
「………」
「俺、山菜の事、好きだから。だから俺と、ずっと一緒にいてくれない、かな」
それは告白とプロポーズの予約を兼ねた、大切な言葉だった。
彼女の視線はまだ、感じる。俺は喉が焼けるくらいの恥ずかしさを感じて、かああと頬が熱くなるのを必死に隠そうとしていた。あああ、ヤベえ恥ずかしい!ていうかコレ、めちゃくちゃキザじゃないか!?俺、もしかしてスベった?うわああそうだったら山菜に引かれたかも。どうしよう、今から取り消すとかは無理だし、うわあ。グルグル回り始める思考。頭の中で山菜の顔と太陽のリングの映像がぐちゃぐちゃに混ざり合って混沌と化し、俺は思わず直で太陽を見上げそうになって慌てて下を向く。もし精一杯の告白がスベッていたとして、さらに眼科の世話にならなくてはいけないとなったら最悪過ぎる。それだけは絶対にいけない。
そこからもう一度、思考を占領するカオスの中に飲み込まれそうになった時、俺を現実に呼び戻したのは先ほど山菜に渡した箱が閉まる音だった。ぱたり、今はそんな軽い音が地獄の扉が開く音のように聞こえる。え、え、もしかして付けられもせずに箱閉められた!?と大きなショックを受けながら、俺はばっと反射的に俺は隣を向いた。
「あ…」
だが、俺の視界に映ってきたのは想像とは180度違った光景で。
山菜は、リングを左手の――薬指に嵌めながら、それを眺めていた。リングを見つめる瞳からは、透明な大粒の涙がぽろぽろとこぼれ出ている。頬は微かに紅潮していて、唇がほうけたように少し開いていた。太陽の光を背中にそんな顔をした山菜が、俺の視線を感じたのかこちらに目を向ける。どくり、心臓を高鳴らせながら、俺も今度はちゃんと山菜を見つめた。
「倉間くん」
「…はい」
「ありがとう。私ね、とってもうれしいの」
「ほ、本当、か?」
「…此処で嘘つくわけ、ないでしょ。うれしくて泣きたいくらい幸せ。…ありがとう。私も倉間くんが、好きだよ」
そう言いながら彼女ははにかんだ。微笑む山菜の顔は、今まで見たどの表情よりも綺麗で、とても美しかった。そんな彼女を見る俺も、きっと最高に幸せそうな表情をしていたと思う。同時に訪れる深い安堵。山菜に好きだと言われて、今一人になったら俺も泣いてしまいそうなくらいにうれしい。も山菜がこんなに喜んでくれて、良かった。決意を新たに、俺が「将来、絶対幸せにするからな」というと彼女も「期待してます」と言いながら、ふふふと微笑む。それから、私を逃がさないでね、なんて意地悪げな口調で付け足すもんだから、俺は任せとけ!とらしくもなく自慢げに胸を反らしてみせる。そして互いに笑いあいながら、指輪が嵌められた山菜の手をそっと握ると、彼女も少し驚いたあと頬を桃いろに染めながら握りかえしてきた。それだけでもう、胸がいっぱいになるくらい幸せだった。
もう一度遥か彼方の空を見上げる。太陽はやはり神々しく、荘厳な雰囲気で空を照らしていた。
きんいろのゆびわ/20120521