※学パロ
まばゆいほどの夕日が、閉じられた窓を通してしんとした教室内を煌々と照らし出している。暖かな橙に染まる部屋、その中に居座るふたりの男女。特に何事も無く過ぎ去った平日の放課後。遠くの方から聞こえて来る喧騒や、部活動中の生徒達のはきはきとした声から、この部屋は隔離されていた。唯一発っせられる音といえば、少女がさらさらと古ぼけたノートに文章を綴っていく音と、少女よりも前の方の椅子に座り、その作業を待っている少年が時折身体を動かすたびに鳴る微かなものだけ。とても、静かな空間だった。暮れかけの太陽がもたらす暖かみだけが、静寂に包まれたこの場所を支配している。
ふいに、ぱたりとノートが閉じられる軽い音がした。静かなのは気にならないが、如何せん何もする事の無い状況に退屈を感じ始めていた少年は下がっていた首をもとに戻す。わずかに泳いだもののすぐに対象を見つけた彼の視線の先には、深みのある色をした綺麗な瞳を持つ褐色の少女があった。少女は少年をじいと見つめながら、その小柄な体躯と裏腹に肉感的な色気のある唇を動かす。
「終わりました、エイナム。帰りましょう」
「そうか、じゃあ行こう」
「はい、分かりました」
エイナムと呼ばれた少年は、同じくレイザと呼ばれた少女が日誌を片付けるのをその場に立ちながらしばし眺めていた。
二人は、クラス委員である。クラス委員とは、この学校において内申書を気にする人かよほどの目立ちたがりしかやらないと言うほど人気の無い役職だった。何故かというと理由は簡単で、担う役目が大きすぎるからだ。普通のクラス委員でもするであろう学級の話し合いでのまとめ役や会議に出席する、という役目だけならまだしも、俗に言う風紀委員や交通指導委員、果ては校舎裏にある花壇の世話までしなくてはならないのだ。放課後は部活や遊びに励みたいお年頃の中学生にとってそれを苦行以外の何と呼べるのだろうか。体育委員や文化委員など、活動自体が楽しめる役職ならともかく、目立つわりには地味な仕事の多いクラス委員などやる気が起こらないのも無理はない。だから毎回委員決めの時は壮大な押し付け合い合戦が始まり、これまた毎度のごとく話し合いは長引く。だがずるずると決定が伸びれば伸びるほど、少しでもやる気があった生徒のやる気すら失われてきてしまうという悪循環のせいで、だいたいのクラスが役員決めに手こずってしまう。しかし、今年は一つだけ話し合いが早々に終わった珍しい且つラッキーなクラスがあった。そしてそれがエイナムとレイザのクラスだった。
エイナムもレイザも、非常に優秀かつ生真面目な生徒である。二人が表情を崩して笑う事は少ない、またそれを見たことのある生徒は居ないと思われる。そんな二人は役員決めの時、司会が立候補者はいませんか、と尋ねた5秒後に手を挙げて周りを驚かした。これから長く続くと思われた話し合いが一瞬で終わったため、司会は目を真ん丸に見開いたまま壇上からすべり落ちそうになっていた。同時に、その場にいた誰もが二人の勤勉さに感謝したのは言うまでもないだろう。
しかし、二人とも面倒な役職立候補した理由は何だと問われると、実は特に無かった。目立ちたいわけでも、内申書のためでもない。強いて言うならただ話し合いが長引き、時間を奪われるのが嫌だったというだけ。仕事はこなす自信があったし、学校という気に食わないルールで縛られた空間で無駄な時間を過ごすくらいなら自分がやった方がマシだから、と。そう、なんの違和感もなく考えられるぐらいに二人は真面目でありまた不真面目でもあった。委員会の仕事はやってみればやはりかなり面倒くさい仕事であったが、エイナムとレイザは比較的良好な関係だった為、今日もなんらく仕事をこなすことが出来ている。
いっそう強くなり、窓から差し込み続ける西日は、校舎内に放課後の特別な暖かい雰囲気をもたらしていた。がらんとした校舎内には二人の足音だけが響く。だいたい同じタイミングで鳴るそれには、たまにぱたぱたと小刻みな響きが混ざり、それは歩幅の小さいレイザがついていけなくなり小走りになってエイナムを追い掛ける音だった。レイザは自分が平均よりも小さい事に多少のコンプレックスを抱いていたので、何としてでもエイナムについていこうとわざとらしい大股で歩いている。エイナムはそれをほほえましく思いながらも、徐々に歩くペースを遅くするように心掛けた。二人の足音が重なる時間がだんだん長くなる。
「レイザ」
「なんですか、エイナム」
「…委員会の仕事、忙しいけど…特に何とも無かったな」
「そうですね。貴方が優秀だからですよ、きっと」
「そんな事は無い。きみが真面目だからじゃないか」
「…そんな事ありません」
お互いに褒め合いながら、謙遜し合う二人。はたから見たらこの二人は、実に似合いの恋人同士だった。互いに真面目な性格を持っていて考え方や価値観なども似ており、何より普段無口で堅い態度の二人が、二人で話している時だけは柔らかい顔を見せるのだ。差し込む夕日のような暖かい雰囲気が、二人の間にはある。だが周りの人間がしつこいほど調べても、二人が付き合っているという事実は存在しなかった。一時はエイナムとレイザの関係が噂になったものだったが、二人があまりにもアクションを起こさなかった為すぐに風化してしまったものだ。
靴を履き変え、オレンジに包まれた校舎から二人揃って外に出る。空には赤や橙に混ざって、透き通った紺色や一等星の輝きが目立っていた。もう、日没。二人とも心の中で思う。エイナムは夕暮れの空、レイザの横顔、自身の腕時計の針、とその順に視線を遣り、事実確認の後ポケットから携帯を取り出してメールを打ちはじめた。レイザはいきなり始められた行為に少し驚くが、それはすぐに終わり空色の携帯電話はまた彼のポケットの中に仕舞われる。そのあとエイナムは軽く息を吐き出してからレイザの方に向き直った。
「レイザ、もう遅いから送っていくよ」
レイザの魅惑的な瞳が一心にエイナムに注がれる。褐色の肌はオレンジ色に包まれながら艶やかに輝いているようにも思えた。二人はいつも校門付近で別れ、別々に帰っていくため、エイナムがレイザを「送る」と言ったのはこれが始めてだった。驚いたレイザはしどろもどろになりながら胸の辺りで手を横に降る。
「そんな、悪い、ですから」
「いいんだ、送らせてくれよ」
「…でもエイナムのご家族も心配されるかもしれません」
「さっき友達を送るってメールしたから、大丈夫」
「な、……」
「おまえの家は遠いのだから、そこは俺に甘えてくれ」
エイナムは微笑んだ。少しだけ目を細めて、柔らかく笑う彼の顔を見たレイザは、その大粒の瞳を見開きながら深い衝撃を感じていた。橙色に染められた肌が、彼の始めて見る表情へのどぎまぎから更に赤みを増す。ほぼ反射的に、彼女はエイナムの誘いにコクコクと頷き返した。エイナムはますます顔を綻ばせてからふっといつもの表情に戻り、じゃあ行こうとレイザを急かす。歩く速さはなるべくゆっくり、歩幅は小さく。しばらく呆けながら立ち尽くして、彼の背中を見つめていたレイザは、追いていかれている事にハッとなって小走りに彼を追い掛ける。先をゆくエイナムにはその音がひどく心地好い響きに聞こえていた。レイザがエイナムに追いついた時には、また他愛もない日常会話が始まることだろう。つめたい夕闇の中でも、二人の間に流れる空気には穏やかな温かさがあった。数分後、明日、明後日。ゆっくりと、だが確実に、その暖かさはいつか今とは違った色を持って、きっとどこまでも広がっていく。
あさっての領土/20120602
Title by きこえていた