「真っ赤だなあ、真っ赤だなあ」

秋の公園は綺麗だった。紅く染まった葉は見事に鮮やかで綺麗。けれど10月も半分ほど過ぎた今日この頃、冬の足音はすぐそこまで近づいて来ていた。少し目線を下げれば、地面を埋め尽くす鈍い色の葉っぱたちがあるのだ。汚い、とは思わないけれど、綺麗とも思えない。
――そんな枯れ葉はもう死んでしまっているのか?それとも、まだ生きていて、次の春へと命を伝える為に土へ還ってゆくだけで、死んでしまった訳ではないのだろうか?ぱりぱりと渇いて穴だらけの落ち葉を踏みながら、ぼんやりと考えていた。そういえばいつか何処かで読んだ童話には、後者の意見が書かれていた気がする。思い返してみればその物語は美しく綺麗で、それでいてひどく切ない話だった。読み進めるうちに口の中に淡雪がたまり、震えるほどの冷たさがじんわりと舌に溶けてゆくような。あの本を読んでいると、そんな不思議でやわらかな気持ちになったという事を少しだけ思い出す。

「真っ赤だなあ、真っ赤だな」

ぱりぱり、足元で潰れてゆく葉の音がやけに耳に響いた。
先程の問いに答えろ、といわれたら私は、前者の意見を回答とするだろう。枯れ葉は、死んでいる。いくら次の命にバトンを渡しているとしても、枝から落ちて地面に着地し、それから何かに踏まれてぐしゃぐしゃになったとき、たしかに彼等は死んでいるのだと思う。だって、もう成長しないのに、こわれてしまったのに。そこから先に、何があると言うのかしら?蘇生するなんて奇跡は有り得ない。優しいキスをしてくれる王子様なんていないのだから、仕方ないのだ。死に絶えて、溶ける。そこから先の事など記憶は薄れてしまうのだし関係ない。

「真っ赤だなあ…」
「もう、冬花さんったらちっちゃい子供みたいね」

聞いていて凄く落ちつく温かな声が、枯れ葉が壊れる音に混じって聞こえて来る。その音源を眼で追うと、隣で一緒に散歩をしていた秋さんがくすくすと微笑ましそうに私を見つめていた。そうですか?と首を傾げながら私が尋ねると、彼女はいっそう微笑みを浮かべてから、ええ、と囁くように言った。
彼女の足元でも、優しく踏み締められた葉のくしゃりという音が鳴っている。その時、私はふと、秋さんならさっきの問いにどう答えるのだろう、と思った。この聖母のように清らかな女性は、どうしようもない命の連鎖について問い掛けられた時、何を思うのか。徐々にそれが気になり初める。気がついた時には、もう口が動いていた。こういうときだけ、私の口は実に素直なのだ。

「秋さん」
「なあに、冬花さん」
「秋さんは、この落ち葉、死んでいると思います?」
「…?、冬花さん?」
「それとも、死んだって表現はおかしいと思いますか?死ぬんじゃなくて、土に還るだけなんでしょうか?」

早口にまくし立てられた私の言葉に、秋さんは気の抜けたような、きょとんとしたあどけない表情を浮かべる。きっと何故そんなことを聞くのだろうという疑問が彼女の頭の中を渦巻いていることだろう。それでも私がじいっとその続きを待っていると秋さんは、うーん、と唇に人差し指を当てながら空を見上げた。いくらか真剣味を帯びた彼女の横顔が、鮮やかでやわらかな橙色に染まっている。ああ、なんだ、もう日沈の時間なのね。

「私は、土に還るんだと思うわ」

しばらく静かな雰囲気が続いたあと、ふいに秋さんが口を開いた。正直、予想していた通りの回答だった。

「…なんでですか?」

彼女はそれを聞いて、困ったような笑みを浮かべる。

「特に理由は無いけれど…いくら葉っぱが枯れ果てていたとしても、その葉っぱが土に還って眠って…そのあと、真冬の夢から覚めた時にはまた新たな命として生きていくんだって想像したら、それは素敵だなあって思うからかな。」

彼女のやわらかな声が、優しくて綺麗な言葉を紡ぎだした。しかし温かいその声は、なぜだか今の私にはひどく耳障りで。思考が重たい苛つきで掻き乱される。自分で聞いたくせに回答を聞いて不機嫌になったりして、なんて我が儘なんだろう、私は。それでも、やはり正直な口は勝手に開いてしまっていた。

「…そんなの、うそです」

しんとした辺りに響く、私の冷めた声。自分で言うのもなんだが、とても意地悪な声色だ。それを聞いた秋さんは、かなり驚いているようだった。オレンジをともした瞳が真ん丸に見開かれていて、そして微かに揺れる。

「…え?」
「どうして、もう生命機能は止まっていて、ぐじゃぐしゃで、壊れていて、未来なんてないのに。どうして、生きてるなんて」
「冬花さん?」
「どうして、生きてる…だなんて、夢を見ているなんてしあわせなこと、言えるんですか。分からないです」

吐き捨てるように、弱々しい声で私は言う。秋さんはやはり驚きながら立ち尽くしている。ふたりそろって足を止め、辺りが再び静寂に包まれる。きっと後ろでは大きく輝いているであろう太陽が、雲に覆われたのか少しだけ陰った。私は後ろを振り返る事は出来ない。陰っていても太陽は太陽。輝いている事に変わりはなく、一際綺麗な秋の夕暮れの景色など、私には凝視するなんて出来ないから。

数分だったか、もっと短かったのかは分からない。けれど、私にとってとても長い時間に思えた静寂を破ったのは、秋さんだった。薄い唇がゆっくりと開く。

「冬花さん」
「……なんですか?」

そう呟いた瞬間に、ふわっと、頭がわずかな温かみで包まれた。びっくりした私が慌てて秋さんに向き直ると、いっそう表情を穏やかにさせて微笑んでいる彼女の顔があった。ぽん、ぽん、とリズム良く、まるで赤ん坊を撫でる母親のような手つきで、時折「冬花さんの髪はさらさらね」なんてしずかに呟きながら秋さんは私を撫でた。それはとても気持ち良くて、こころが温まり、落ち着く。――が、少しだけ不可解だった。何故今このタイミングで、秋さんは私の頭を撫でたりするのだろう。気分が良くて、さっきまでの訳が分からない苛々なんかすっかり抜け落ちてしまったけれど、やっぱりこころに立ち込めた靄は消えない。そんなことを考えながら、私が変わらずしかめっつらで秋さんがくすりとおかしそうに笑う。

「もう、そんな顔しないの。やっぱり子供なんだから」
「…子供じゃ、ないです。というか、なんで撫でるんですかっ」
「んー?伝えてるんだよ」
「……何を?」
「そんなに張り詰めなくても良いんだよーって。冬花さん、きっと疲れてるんだわ、何か悩んでるの?」

ひらりと、そんなことを尋ねる秋さんの後ろでまた一枚の葉が地面に落ちたのが見えた。風も吹いていないのに、独りで地面に落ちていった葉っぱに、やはり死んだものを哀れむような視線を送ってしまう。そんな光景を眼に焼き付けながらも、私は秋さんの問いにわざとぶっきらぼうな態度で答えた。

「…悩んでますよ、恋の悩みです」

秋さんの瞳がまたもや露骨に見開かれる。

「まあ!恋?好きなひとがいるの?」
「ええ、いました。でもフラれちゃったんです」
「え…」
「同情とかはしないでくださいね、そんなのは嫌です」
「そ、そんな事はしないけれど…そうだったの」
「でも、満足ですから」

今のは嘘。心の中でひそやかに嘘をカウントしながら、私は気にしていないふうを装った。理由は明白、よりにもよって秋さんに同情なんかされたくなかったから。私の最後の意地、少しの抵抗だった。
失恋をしたというのに全く傷ついたそぶりを見せない私を秋さんがどう思ったのかは知らないが、彼女は間をおいて、冬花さんにはすぐに素敵な春がやってくるわ、と少しだけわざとらしく明るい声で言った。それが彼女なりの精一杯の気の使い方だと知っていたから、私は苦しさを喉元に溜めたまま無理矢理笑ってみせる。ちゃんと綺麗に笑えていたのかは、確認しようがないのだけれど。

「そうですかね?じゃあ、それまでは秋さんの言った通り春を…恋を夢見る乙女にでもなりましょうか」
「そうね。でもきっとすぐにお相手が見つかっちゃうわ。冬花さんは髪だってさらさらだし、すっごく美人だし、性格だって面白いんだもの」
「ふふ。性格が良い、とかじゃなくて、面白いなんですか?
「良い意味での"面白い"よ!冬花さんといると楽しくてしあわせよ」

大事な秘め事を明かすかのように、彼女は上目遣いで悪戯っぼく笑った。とてもとても、綺麗だった。だからこそ私は、そんな彼女を見て泣きそうになる。ずるくて優しくて、あたたかな心を持った大好きなひと。そしてわずかだけれど、素直にもなれないけれど、このひとが幸せになってくれますように、とこっそり願いもした。
秋さんの少女時代の夢は叶わなかった。先程朗らかな声で語ったように、枯れ葉になっても恋を諦めなかった彼女は夢が覚めることを待ちづけていたけれど、いざ起きてみれば彼女は木の根本にさいた小さな花になっていて、遥か頭上で咲き誇る桜を見上げることしか出来なかったのだ。果てしない蒼穹をバックに、しなやかな枝を伸ばしながら幸せを囁き合う桜は、彼女の位置からだとひどく美しく見えた事だろう。
しかし、小さくても花は花。大人になった彼女はまた新しい春を迎えようとしている。秋さんが言ったように命は巡って、時が流れれば必ず夢は覚め春が来る。枯れ葉はその時生まれ変わるのだ。私は、彼女を幸せにしてくれるであろうあのひとの存在を知っていた。だからその幸せが少しでも続くようにと、秋さんの事が大好きな私は祈るしか無い。お願いだから、私に見せ付けるように、私の目の前で幸せになってください。そうでもしないと頑固で我が儘な私は貴方を諦めきれないのだから。

くしゃり。ぱりぱり。忘れかけた頃に、またひとつ葉が潰れる音が響く。私はその音に顔をしかめながらも、しずかに後ろを振り返った。ほんとうは秋の夕暮れに美しく映える太陽をちょっとだけ拝んでおこうと思ったのだけれど、もうそこに太陽は無く、星の輝きすら見えない闇が広がっている。
――ほら、私に綺麗な秋を見る権利なんか無いんだよ。独り苦笑を漏らしながら納得した。私が夢を見るとしたら、きっと映るのは美しい秋の夕暮れの風景だ。現実で直視は出来ないけど、夢の中で焦がれるくらいなら出来るから。そしてそのまま眠りについて、私は枯れたまま消えてゆく。生まれ変わらなくていい。踏み潰される枯れ葉のままで良い。女としての幸せなんかもういらない。そのままずっとずっと、美しい夢だけを見られるなら本望だ。

「もう真っ暗ね、びっくり」
「…秋さん」
「なあに?」
「彼氏さんと幸せになってくださいね」
「…いきなり、どうしたの?」
「別に。何となくです」
「今日の冬花さん、やっぱり少しおかしいわ。」
「ふふ、そうですか?」
「うん。…けど、ありがとう」

幸せそうに彼女ははにかんだ。私もにこりと笑い返してから、ふたりで帰路に付き始める。

最後に聞こえたくしゃり、という音はたしかに、私のこころが潰れる音だった。夜を捉えた眼を閉じて、代わりに瞼に映る夢を見よう。永遠に輝き続ける秋の中に私を閉じ込めて、そうしていま、枯れ葉だった私はそのままひっそりと死を遂げる。







褪せてもいいと思った/20120601

Title by ギルティ

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少女花様への相互記念に捧げさせていただきます。

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