※この作品はクロノストーン放映途中、黄名子の設定が全て出揃っていない時期に書いたものです。そのため彼女の設定と作品内で記述している内容が大きく違っています。ご了承ください。
白と黒のはっきりとしたコントラストが目立つボールと、地面との衝突音が、さびれたグラウンドにしずかに響く。
絶え間無く流れ出る汗を手の甲で拭いながら、剣城京介は息を整えていた。次の時代に向かう直前の少ない空き時間を使って、彼はこうして自主練習に励んでいる。辺りには誰もいない。チームメイトは皆、それぞれに休息を取っているか剣城のように隠れてサッカーをしているのだろう。同胞達を想いながら、剣城はゆっくりと目を閉じる。
サッカー禁止令が発令されている限り、こうして練習をすることは違反なのだが、未来の組織に勝手に作り替えられた歴史を黙って飲み込めるほど剣城は上品でもないし、また常に練習を怠らないことこそ更なるパワーアップに繋がる一番の近道だと彼は思っている。幸い、この小さなグラウンドは普段、それも歴史介入が行われる前から人気が少ない。誰か来たらボールを隠してしまえば良いだろう――と彼は割と呑気な頭で考えていた。
とりあえず、喉が渇いた。そう思った剣城は、元々グラウンドに放置されている、所々錆の目立つ古ぼけたベンチに向かい、持って来た鞄からボトルを取り出して一気に飲んだ。疲れているからか、大型量販店で販売されている安物のスポーツドリンクはやけに美味しく感じた。口の端からこぼれた水が、ひんやりとした筋を作りながら喉を伝って滴る。薄く目を開けると、霞んだ白光が飛び込んできて目が眩む。どことなく気持ちの良い午後だった。
――ガサッ!
そんな時だったか、休憩を取る剣城の耳に留まったのは、草を掻き分ける怪しげな音だった。怪しげ、と表現したのには理由があって、何故か、その音が故意的に抑えられた結果生じたような、つまり隠れていた所でうっかり音を起ててしまったような物だったからだ。明らかに違和感がある。剣城は耳をピクリと動かして、ほぼ反射的に素早くサッカーボールを隠した。もしかしたら、エルドラドの手先でもやってきたのかもしれない。そう不審に思い、用心しながら辺りを見渡す。もし予感が的中していたら、一人きりの現状は非常に危険だ。
確かあっちの方で聞こえた、と剣城は相手を逃がさないよう素早く駆け出した。と、同時に、剣城が向かっていた方から再度ガサゴソという何とも疑いの余地がある音が聞こえて、剣城はそこに人がいることを確信する。隠れているのは一体誰なんだ、何が目的なんだろう――そう考えているうちに、彼はあっという間にその草むらの位置へとたどり着いた。用心を続けながら、低めの抑えた声で「おい」とその中に向けて声がける。
「誰だ、お前」
「――うひゃぁ!」
すると突然、素っ頓狂な声を上げながら、剣城の前に人が転がり出て来た。剣城は驚き、目を丸くしてその人物を見つめた。今の状況は、不審がっていた剣城の予想には完全に反していた。緊迫するどころかすっかり拍子抜けしてしまい、剣城はまた違った意味で疑念を抱きながら眉をひそめる。
なぜなら、そこにいたのがエルドラドの使者でも剣城の敵でもなく、
「ちょっとぉ、いきなり声かけるのは卑怯やんね!」
尻餅をつき、転がった打ち付けたらしい頭を押さえながら、豊かな茶色の髪を手櫛で整えるジャージ姿の菜花黄名子だったから。
「――なにしてたんだよ、黄名子」
「ん?ああ、見学やんねー」
菜花は転んだ時、髪に大量の砂がついたらしく、それを落とすために剣城の予備のタオルを半ば強引に取り、砂に塗れた部分を拭きながら剣城の言葉に対応している。再度喉にドリンクを流し込む剣城は、そんな菜花の様子を見て呆れた顔をしていた。菜花は全く気にしていない様子なのだが。
「見学ぅ?」
「剣城がここで練習してるって聞いたやんね」
「は?誰に…」
「たまたま通りかかった時に見たって言ってたよ。音無先生が」
「ああ、先生が。…というかここ通ってたのか…」
「うん。だから、ウチも一緒に練習しよーと思ったやんね!」
「――じゃあ、なんで隠れてたりしたんだよ。声かければ良いだろーが」
「だって剣城があんまりにも真剣に練習してるんだもん。声かけずらくなったから思わず隠れたやんね」
こめかみを押さえながら、菜花は大袈裟に眉をしかめる。剣城はその動作を見た後、間を置いてから大きなため息を吐き出した。
菜花には、剣城にとって性格上理解しがたい事が沢山ある。常にと表現して言いほど日常的に、持ち前の明るい性格を駆使して奇行に走る菜花に剣城はしょっちゅう振り回されていた。変わった性格といえば山菜茜や瀬戸水鳥もそれに当たるが、菜花は彼女自体の存在も相まってその度合いが格段に上がっているのだ。正直、剣城の周りにいる常識的な女子は同学年の空野葵ただ一人である。しかし、その彼女すら松風と組むと時折変な行動を取るものだから、剣城の女性運が兄に比べると変な方向性に伸びているのは明らかだ。思わず、苦笑を漏らしてしまうほどに。
「はい、ありがとやんね!」
「…別に構わない」
砂で少し汚れたタオルを受け取り、予め用意してあるビニール袋にそれを入れた。菜花は剣城の隣に腰掛けながら楽しげに足を揺らしており、時折調子外れの鼻歌も聞こえて来る。気楽そうで良いよな、と口を縛ったビニールを仕舞いながら剣城はぼんやりと思った。
「剣城、いつ練習再開する?」
「もう少し休んだら」
「そっか!じゃあそれまでお話しよう」
「…何を?」
「何を、ってぇ?そんなのなんでも良いの!話すること自体が大切やんね」
晴れやかな顔で、わかってないなあ、と聞き慣れない方言を使う菜花を横目に見ながら、剣城は彼女の過去について考える。菜花は剣城にとって、その奇行を除いても実に不思議な少女だ。戦国時代から現代に帰って来てみると、いつの間にかサッカー部に入部していた上にエースストライカーの座まで奪われていたのだから無理もない。いくら彼女が歴史改変の影響――タイムパラドックスだとしても、10番を奪われた事について少しも落ち込まなかったといえば嘘になる。なんで負けたんだよ俺、とパラレルワールド上の自分を情けなく思った。彼女が女性だからというわけではなく、誰かに負けた事が純粋に悔しかった。
まだ量りきれない実力と、彼女全体をオブラートのように包む得体の知れない不思議さを持った少女。それが菜花黄名子に対して抱いている印象の全てである。
一体、この少女は何処から来たのだろう。俺とどれくらいの距離感で、どんなふうに会話していたんだろう。ふとした時に、よくそう思う。
「――剣城は凄いやんね」
「…お前に負けたんだろ、俺」
「それはそうだけど!あんなに練習頑張って、努力してて…ウチも負けてられないなーって」
菜花は、うー!と変に高い声を発しながら大きく伸びをした。
「あのさ」
「ん?なあに?」
「俺達とサッカーするの、楽しいか」
剣城は純粋に疑問に思うことを、ぼそりと呟くように確かめる。すでに答えは分かっていたが、何となく再確認したかった。
菜花はぱちくりと不思議そうに瞬いて、それから満面の笑顔になった。呆れるほど陰のない純粋な笑顔は、剣城には少し眩しい。
「そんなの決まってるやんね!楽しいよっ、すっごく楽しい!」
――正直最初は、怪しいと思っていた。
剣城達がこんな事態に巻き込まれてから仲間になったもう一人の人物、フェイ・ルーンの事は、彼と仲良くしている松風には悪いが、剣城はまだ信用しきれていない。どうにもうさん臭さが抜けないし、何より決して悪い事ではないと仮定してもフェイが何かを自分達に隠しているのは事実だ。だから剣城は、最初はフェイと同じように歴史介入が始まった後に雷門に加わった菜花の事も疑っていたのだ。出会いの状況の不自然さもあり、下手したら彼女はフェイよりも怪しい。明るい表情の下で菜花も実は隠し事をしていて、もしかしたら自分達を裏切るかもしれない――という疑念がどうしても剣城の中からは消えなかった。
だが、菜花のサッカーを愛する気持ちは本物らしいということは、彼女が浮かべる笑顔からあふれるほど伝わって来る。これほどまでに無垢な少女を、どうやって疑い続けたら良いのか剣城には分からない。菜花と触れ合う回数が多くなった今では、彼女の存在について未だに疑問に思いながらも、剣城は菜花を疑うことは止めていた。ボールを蹴れば、それがちゃんと返ってくる。つまるところ、菜花に対するそんな安心感の方が疑いより勝ったのだ。
「剣城おかしー、なんで今更そんなこと聞くやんね?」
「フッ、どうでも良いだろ」
「えー、なぁに?それ」
「というか、練習やるぞ。練習」
「はぐらかさんといてよぉー」
「――やらないのか?」
「練習はやるー!するー!」
ぴょんぴょん跳ねながら手を振り上げて声を上げる菜花に、剣城は先程とは違う呆れながらも温かみのこもったため息をついた。
不思議な少女だ。でも、一緒にいる時の居心地は悪くない。
鞄の中から、先程隠したサッカーボールを取り出すと、菜花の顔が楽しそうに輝いた。いつか、こうして隠れなくてもサッカーが出来る世界に戻った時――その時彼女が、どう存在しているのか剣城には検討もつかない。あまり考えたくないが、菜花が自分達の中から綺麗さっぱり消え去ってしまう可能性だって有り得る。でも、結局それは随分と先の事になるだろう。「その時」がくるまでは、世話の焼ける妹のような彼女とサッカーをしていたい。その気持ちは、剣城の中にはっきりとした輪郭を持ったまま存在している。
少し走ってから、ボールを地面に置く。菜花も先程より明らかに士気が上がった様子で、今か今かとボールを待ち侘びながら準備を終えたようだ。剣城は薄く笑ったあと、掛け声を上げてボールを蹴り上げた。青空に向かって真っ直ぐな軌跡を描く白黒の輝きは、すぐに剣城の元へ戻ってくるだろう。小柄で不思議で厄介な、太陽のように明るいライバルの足は今、大きく振り上げられる。
――――――――
透き間のひかり/20120922
Title by ギルティ