剣城京介は甘いものがあまり得意ではない。甘いものを食べすぎてしまうと胃が気持ち悪くなるし、頭も痛くなるからだ。だから、バレンタインデーなどという行事は剣城にとって地獄のイベントでしかなかった。まったく、なんでチョコレートなんていう甘くてくどい食べ物を人は好んで食するのだろうと、剣城は本気で考えている。貰ったチョコレートは一人では食べきれないのでだいたい兄にあげていた。兄の優一は剣城京介とは反対で、甘いものが大好物だったからだ。
とにかく、剣城京介は甘いものが苦手なのだ。だから、いくら気になっているやつの頼みでも、甘いもの絡みだと断りたくなってしまう。断るということにはいくら理由があろうと罪悪感を感じてしまうし、出来ればそういうお願いは避けたいといつも思っていた。頼まれてしまった場合は最悪な場面で、そして今、まさにその瞬間が訪れていた。
「剣城、」
やけに真剣な目で自分を見つめてくる少女は、サッカー部マネージャーの空野葵。剣城は葵の事が好きだった。その想いは口にも態度にも出していない筈だが、いつの間にか葵以外のサッカー部員の間中に知れ渡っていた。まったく、恐ろしく勘が鋭いやつらだと剣城は思っている。だが、そんなことは今はどうでもよい。問題は葵が持っている可愛らしいラッピングがされた箱だ。
「…えっと」
「これ」
葵はずいっと箱を前に出して剣城の胸に押し付けた。
「あげるから、食べてね」
…来た。剣城は正直に、そう思った。この箱の装丁からして中身は菓子類、しかも手作りだろう。剣城はしばしの間考え込む。
「…ああ…」
だが、断れない。上でも述べた通りよほどの事がない限り剣城は甘い物、菓子類などを受け取る事をしない。つまり、この場面はその"よほどのこと"に当て嵌まるという訳だ。
「ありがとう!」
葵がほんとうに嬉しそうな笑顔で笑うので、剣城は何も言えない。剣城にそれを渡し終えた葵は満足げに胸を張り、その後友達に呼ばれたようで剣城にお礼の言葉を言いながら去っていった。剣城は貰ってしまったものは仕方ない、というような微妙な表情で箱を抱えながら教室の中に入って行った。それに、実際死ぬほど嫌という訳でもなかったので、剣城はすべて食べ切ると覚悟を決めて持って帰る事にし、それにしても空野は何故バレンタインデーでもないのに自分にこんなものをくれるのだろうという疑問について、その後の授業中ずっと考えていた。
部活も終わり、家に帰った剣城はまっ先に葵から貰った箱の包装を解いていた。いつもならベリベリと破いていくところだが、葵から貰ったものなのでつとめて丁寧に開く。テープが紙をくっつけたまま破れてしまわないように気を配りながら慎重に剥がした。その作業を行いがら、ふと剣城は思う。そういえば、今年のバレンタインデーに空野葵からのチョコは貰えなかった。もちろん部員全員に、という義理でのクッキーは頂いたが、ここでいうチョコは個人的なチョコ、それも剣城が期待していたのは本命チョコの事だ。いくら甘いものが苦手だと言っても、本命チョコとあらば話は別だった。だが、本命どころか剣城宛ての義理チョコすら貰えなかったのだから、剣城はらしくもなく2月いっぱいしばらく落ち込んでいたものだ。しかし、もらった所で剣城には美味しく頂く自信も無かったため、残念に思う同時に安堵もしていた。せっかくの葵からのチョコを美味しく食べられなかったら、彼女に申し訳ないと思ったからだ。
そうこうしているうちに剣城は包装をすべて剥がし終える。カラフルなその紙やリボン等を丁寧に畳んで机の引き出しにしまい、さあいよいよ箱を開けるだけとなった。意地でも絶対に食べ切ってやると剣城は決意する。
改めて覚悟を決め、眉間にしわが寄るくらいきつく目を閉じてその箱を開けた。そのあとしばらく甘いものやチョコ独特のにおいが漂ってくるのを待ち構えていたのだが、なぜかそんなにおいは微塵もしてこなく、代わりに醤油の良いにおいがしてきたので、剣城は不審に思い目を開けて箱の中身を確認した。
そして、その中身を唖然としてしまうのだが、その直後に送られてきた葵からのメールを見てその意味を知った時、自然と頬が熱くなるのを感じた。剣城は頭に手を当て、座っていたイスにさらにもたれかかった。まったく、こんなの、最高のサプライズじゃないか。
"剣城へ
バレンタインに本当はチョコを用意していたのだけれど、甘いものが苦手と分かったので渡せなかったの。
だから、頑張って肉じゃが作ったんだよ!美味しく食べてねっ
剣城だけ、特別だからね!
葵より"
君の為に/2012.03.06
*こんなに短いのに当初と予定が変わったため文章がおかしいかも…すみません