最近天馬が怖いの。何かあんまり口聞いてくれないし、スキンシップも減ったし。いっつも怒ってるみたいに頬を膨らませてたり、しかめっつらしてたり。私が男の子と話してると睨んで来るんだからびっくりしちゃった!おかしいと思わない?私何にもしてない…え?って、何いってるの?あれは今の話には関係ないでしょう。ただ剣城くんに荷物持ち手伝ってもらっただけじゃない。隣に天馬や信助もいたけど重たい荷物は剣城くんに任せるって決めてるのよ、なんとなく。…というかさ、狩屋いきなり抱き着くのやめてくれない?びっくりするからさあ。あの時天馬だって隣で驚いてたんだから。あ、輝くんは大丈夫だった?あの時。そうそう、校内で道に迷ってた時よ、私が道案内するって言ったのに天馬ったら急ぐからゴメン輝!とかいってすごい顔で私の手を握って走っちゃうんだもん。びっくりするよね… あ、剣城くん?顔に卵焼きついてるよ、吹いてあげる。もー、子供みたいだね。……皆なんで固まってんの?剣城くん顔青いよ?………?後ろになんかいるの…って、
「天馬!どうしたの?」
「………」
一年生で昼食を摂っている時だった。皆が団欒する中、松風だけが用事でその場を抜け出していたのだが、戻ってきて一番に目に映った光景が剣城の口元に顔を寄せてなにかを拭き取っている空野というもの。傍から見たら恋人にも見えかねん図である。その時、その場にいる空野を除く一年生全員はぴしりと見事に固まった。みな何とも言えない表情をしているが、なかでも1番ひどい顔をしている松風当人であった。顔面に貼付けられたまま、剥ぎ取られていない爽やかな笑顔が逆に恐ろしい。狩屋は状況を理解した後すぐさまダラダラと汗を流しながら影山の後ろに隠れ、影山はあたふたしながら後ずさる。そして西園は剣城の後ろに隠れようかと一瞬動きかけたが、この場合1番被害を受けそうなのが剣城であることを思い出し、更に狩屋の後ろに隠れた。不幸というべきか、珍しく目を見開いて驚いている剣城のみが、その場に残されてしまった。恐る恐る、固まっている松風に剣城は声を掛ける。
「………おい、松風…」
「…………」
松風は一見無言で静かにその場に佇んでいるように見えるのだが、その手はドアノブをぎりぎりと強くにぎりしめていた。ギシギシと握られているそれは苦しげに唸っている。
…まずい。これはまずい、非常にまずい。と剣城は冷めた頭の中で直感的にそう思った。なんで口の端に卵焼きなんか付けてたんだ俺…!数秒前の自分の行動を怨むけれど、時既に遅し。こうしている間にも彼の不のオーラは増大し続けていて、剣城を飲み込まん勢いだった。
「…葵」
「ん?どうしたの」
そんなピンチに立たされている剣城をよそに、珍しく低く抑えられた声で松風は空野を呼んだ。呼ばれた彼女が小首を傾げる姿からはことん、という、この寒い状況には相応しくない間抜けな擬音が聞こえて来そうだった。この期に及んでも今だ松風の怒りに気づいていない彼女の鈍感さは呆れてしまうものである。剣城を含む一年生達は、少しだけ松風に同情した。――こいつら、本当に付き合ってるんだよな?空野の態度があまりにも杜撰で無防備過ぎる為、一年生の誰もが時たまそれを疑問に思う。けれど、まさか松風の片思いとかじゃないよなとだれかが言うと、また別のだれかが即座にそれは違うと否定するように、二人が付き合っているという事は紛れも無い事実である。なので、この場合悪いのは彼氏への配慮というか意識が欠如している空野なのだが、あまりにも本人に悪気がないので部外者が口を挟むにはどうにも微妙な気持ちになり、彼らはいつも何か助言しかけては躊躇うのだった。(女子に対して強い口調がとれないというのもあったのだが、これは余談である。)
「こっち来て」
「…えー?」
今日も空野に何も言えずにいると、そんなときに松風が葵を手招いた。葵は弁当に箸を伸ばすのを中断されて、あからさまに顔をしかながら面倒くさそうな声を出すが、松風が手を急かすので渋々とだが立ち上がる。とたとた、と上履きの軽い足音をたてながら松風に駆け寄り、空野は彼を見上げた。彼女も実を言うと今非常に不機嫌である。周りだけ何かと自分の事について話すくせに肝心の理由は話してくれなくて、まるでおいてけぼりをくらっているみたいだし、松風は何か怖いし、今もお弁当食べれないし、喉渇いたし、録画したか心配だし――、不満というものはどんどん関係ない事に飛び火していくものであり、空野の怒りに似たそれもつぎつぎに関係ないことまで及んでいっていた。そしてそれは確実に空野の理性を蝕む。
ああ、もう苛々する!なんなのよ!そんなふうに苛々が頭に蓄積されていっている空野をよそに、松風はいたって冷静に怒っており、そして真顔で黙ったままだ。何故かしばらくそうしているので、松風は何をしたいんだと傍観している一年生組の皆が疑問に思い始め、辺りは異様に緊迫し始めていた。するとそんな状況に耐え兼ねたのか、静寂をびりびりに破って天馬!と空野は声を荒げる。西園が驚いたのか狩屋の後ろで肩を跳ね上がらせた。なにがしたいの?もーはやくしてよ!と空野の口から溜め込んだ不満がつぎつぎに漏れ出してきて、ああもう喧嘩になるなよ!と不幸な傍観者たちが止めに入ろうとする。
そんなふうに事態は悪化するかに思われた――その時。
「!」
剣城も狩屋も西園も影山もふたりを凝視している中、松風と空野の顔がぴたりと重なった。その距離、まさにゼロ。松風以外の全員、もちろん空野も、驚きから目を真ん丸に見開く。そして全員が見事に固まったあと、最初に顔を真っ赤に染めたのは至近距離から二人の口づけを交わすシーンを見せつけられた剣城だった。彼の顔はみるみる染め上がり、耳を重点的にこれでもかと言うほど赤くなる。それにつられてか他の一年生もわたわた焦りながら赤面し始めた。なななな何してんの天馬!て、てんまくん…! キ、キ、キス…、そこにいる全員がそんな言葉と共にうろたえるのを気にもせず、松風と空野の接吻は長い間続いた。淫らに小さく響く音に思わず耳を塞いでしまう。
「…ぷはっ」
「っは!……て、天馬ぁ、いきなり何…するのよっ!」
ようやく口が離され、新鮮な空気が入り込んで来てから、口を開けるようになった空野が赤面しながら不満げに叫ぶと、松風はよく焼けた餅のように頬を膨らませる。だって、とごねるその姿はまるで拗ねきった園児のようだった。
「何って…葵が悪いんだ、俺にヤキモチ妬かせるから!」
「へ?」
「葵が、ほかの男に無防備な状態で近づいてばっかだから!心配だし、いらいらするし、」
「て、天馬」
「だから俺のモンだって宣言したの!こうしなきゃお前わかんないだろっ」
そして、松風は空野をぎゅうと抱きしめた。…それにしても行動が大胆過ぎないか…と、心底思う他の一年生であったが、ふたりはもう自分達の空間に入り込んでしまっている。先ほどまで怒っていた空野も、松風の行動に驚きこそしたが既に彼の虜らしい。頬を熟れた林檎のように染めながら、愛おしそうに天馬、ごめん、とつぶやき彼の肩に顔を乗せた。松風はそれでようやく満足したらしく、葵、とこれまた愛おしむように彼女の名前を囁く。まさにバカップルというものである。
――そんなこんなで美しい恋人同士の仲直り、と締めくくられれば良かったのだが、傍観していた人物達からしたらただカップルの喧嘩に巻き込まれた挙げ句イチャイチャを見せ付けられただけなので、たまったものではない。屋上に、もうおまえら爆発しろよお!と真っ赤な顔で叫ぶ狩屋の声と、他の一年三人の口から漏れでた深いため息だけが静かに響いた。
たとえばそんなラブ・コメディ/それは昼間の喜劇/20120517
お題: きこえていた
―――――――
▼リクエストしてくださった方へ
とりあえず、すみません!
本当にすみません!!
大変遅くなってしまいました…実はこれを書いているとき3000字辺りで見事にスランプに入ってしまい完成がこんなに遅くなってしまったんです。すみませんでした!とりあえず気合いだけは込めました。今まで書いた中でも特に甘い部類に入ると思います…気に入ってくださったら幸いです。
それではありがとうございました!