※捏造注意




 あの日は確か、驚くほどに闇の深い夜だった。

 許容範囲を遥かに越えた出来事に突然襲われたとき、人は咄嗟にどんな行動に移るのだろう、と、皆帆和人はふと考えてみる。例えば人の心の変化に敏感な森村好葉なんかはただあわあわと動転し、脳内がまるごと筋肉で出来ているのではないかと思うくらい、ああ見えて真っ直ぐな野咲さくらや鉄角真は「はぁ?」と素直で簡潔な疑問を提示することだろう。根が真面目な市川座名九郎や神童拓人、剣城京介などはとりあえず冷静になれ、と唸る頭を抱え、大雑把で面倒くさがりな九坂隆二や井吹宗正は「つまりどういうことなんだよ」と理解できない現状に苛立ち始め、流されやすいところのある西園信助は、なんだかよく分からないうちにそのまま相手や対象物のペースに飲み込まれてしまうに違いない。そしてアースイレブンの中で誰よりも突然のアクシデントに弱い真名部陣一郎は――一見冷静なようでいて内心では一番動揺していたりするのだろうか。いや、絶対にそうだ。真名部自身は成り立っているのか成り立っていないのか分からない論理を並べて必死に否定するだろうけども、それは面白さという観点から見ても非常に素晴らしいので今は肯定しておこう。
 そうして最終的に、ああ、キャプテンならきっとそんな出来事すらも受け入れてしまうんだろうなあという終着点に至り、皆帆はくすりと笑みをこぼした。さて――ここまで数十秒。
(そしてボクは、いたっていつも通り相手を観察する……はずなんだけど)
 時は夜の11時、場所は彼の自宅の自室。いつもなら父の写真に向かってその日あったことを報告しベッドに入っている時間帯だが、今日ばかりはそうもいかない。なんせ、地球では滅多にお目にかかれない貴重な客人がこの部屋にいらしているからだ。
 皆帆は改めて、目の前に座る人物の姿をじっと眺めた。透けるような白い肌、同じように白い髪、立派に尖った大きな角、地球人のそれより長いわりに聞こえが良い訳ではないらしい耳、額に浮かぶラベンダー色のダイヤのマーク。つやつやした立派な鬣を持つ白馬なんかに跨がっていそうな貴公子とでも言ったところか、見てくれだけを飲み込めばその整った顔かたちも幸いしていかにも賢そうな、"できる"男にしか見えないものだけど。が、しかし残念ながら皆帆は彼の内面を既に知ってしまっている。緑の惑星で出会ってから、その後の宇宙での戦いを通して、よーく知ってしまっている。彼の外見にまったく似合わない、けれど今となってはしっくりとくる、呆れ返っていっそ天才なのではないかと錯覚してしまうほどの――驚異的なアホの子具合について。

「つまりだな、皆帆」

 ファラム・オービアス紫天王が一人、リュゲル・バランは非常に優雅な所作で紅茶をすすった。

「不可抗力だったんだよ、全部。ララヤ様に近隣惑星の見学の任、それも国の代表として単独訪問するという名誉ある使命を任されて、ガンダレスと涙ながらの別れの挨拶を交わし意気揚々とファラムオービアスを発ったのはいいが、この俺もまさか出発して早々にエンジントラブルに巻き込まれるとは思ってもいなかったんだ――まあ、なんか手動操作盤にあったカラフルで変なボタンを押してしまったような気がしなくもないんだが、多分宇宙船が時空の流れに飲み込まれた際に生じてしまった一種の気のせいだろうし――やっぱり、仕方ないことなんだ。そのまま流れに任せてたどり着いたのが地球であったことも、しかもお前の家の門の前に不時着してしまったことも、いざという時のために持たされていた記憶操作装置でなんとかばれずにやり過ごしたことも、墜落の衝撃でファラムオービアスと連絡が取れなくなってしまったことも、もちろん宇宙船が大破してしまったことも、全部しょうがないことだったんだと、分かってくれるな皆帆。……寧ろそんな想定外の危機を何とか乗り越えて今ここに生きているこのリュゲル・バランの実力を、ああ、俺がいなくて酷く寂しがっているであろうガンダレスに見せてやりたかった!くそっ!何故こんなときに限って俺たち兄弟が離ればなれなのだ!なんということだガンダレスー!!」
「――あ、紅茶、おかわりいる?出がらしだけど」
「ああ。いただこう」

 何度も突っ込みをいれたくなるのような長い説明に呆気にとられてしまい、ちょうどその辺りではっとなった皆帆は一度空気を切り替えようと少々強引に話を止めさせた。
 ごほん、とひとつ咳払い。
 ――この皆帆和人、一生の不覚。どうにも予想がつかないリュゲルの行動に頭の整理が追い付かないなんて!
 どうやら地球の飲み物はお気に召していただけたらしく、数分前に出したばかりのカップの中身はもう空になっていた。先ほど使用したあと別の皿に移しておいたティーパックを再度カップの中に入れ、ポットからお湯を注ぐ。もくもくと立ち上る湯気。リュゲルはその様子を物珍しそうに眺めている。

「ファラムに紅茶はないのかい?」

 その様子がなんとなく気になった皆帆が問いかけてみると、リュゲルはこくんと一つ頷いた。

「うむ、こんな赤くて透明な飲み物は見たことない。青や緑色のスープがファラム・オービアスでは主流だな」
「へえ。ああでも、そういえば星くずのスープなんていうのがショップで売ってたの、ちょっと覚えてるよ。とても見た目が綺麗だったから」
「ああ、あれはガンダレスの好物なんだ」

 はい、とカップをリュゲルの方にずらすと「すまない、ありがとう」という意外にも丁寧な返事が返ってきたので皆帆は驚いた。ああでも、そういえばこの人仮にもあの国の幹部なんだよなあ――と失礼ながら忘れかけていた事実を後から思い出し、ひとり納得する。それを見たリュゲルにどうかしたかと不審げに尋ねられたが、そこはまあなんとか上手くかわしておいて。

「話を戻すけど」
「ああ」
「僕の推測によると、君はこれから自身の今後のことについて語ろうとしているんじゃないかと思うんだけど、当たってる?」
「――なっ、何故分かったっ!?」
「さっきからどう話を切り出そうかぐるぐる考えているのが丸分かりだよ。話が進むたびに貧乏ゆすりが激しさを増している。もっと落ち着きを持った方がいいんじゃないかな」
「ぐっ」
「宇宙船が大破して、頼みの綱である母星とも連絡が取れなくなってしまった。つまり今の君は、帰る場所も身寄りもなく行く宛てすらもない、ひとりぼっちの迷子という訳だ!」
「ぐうぅっ!!」

 大袈裟な、けれど本人はきっと真剣なのであろうオーバーリアクションを見て、皆帆の頭はようやく現状に追い付いた。なるほど――そういうことか。
 今から30分ほど前のこと。父の写真に向かっていつも通り報告を始めようとしたとき、表から凄まじい轟音が聞こえてきたのがそもそもの始まりだった。何事かと仰天した皆帆が慌てて外に出ると、同じ考えを以ってわらわらと集まってきたらしい近隣住民の輪の真ん中に――ぼろぼろになった小型の宇宙船と、見覚えのある宇宙人の姿が見えたのだ。

「な、なんということだ、これはまずい……まずいぞ!!うおおおおお!」

 そして、焦りに焦ったリュゲルは先の説明にもあったようにファラムの科学を結集して作られた記憶操作装置を使用した。未だに殆どの民間人は宇宙人の存在を知らないのだからその判断は正しかったように思う。一瞬にして周囲の人間の記憶は操作され、まるで目の前に落ちている宇宙からの来訪者など視界に映らないとでもいうようにそれぞれの家へ帰って行った。ただ、皆帆だけがそこでポカンと立ち尽くし、あわあわと宇宙船の欠片を拾い出すリュゲルと想像など出来るはずもないなんとも突飛な再会を果たした訳である。
 回収した宇宙船の実に無惨な残骸は皆帆の家の庭にある倉庫に隠しておいた。だから周囲の一般人に見つかって大騒ぎになるようなことはもう無い。長い耳と角以外、リュゲルの姿は地球人とほとんど変わらないのだし。今はとりあえず、行く宛ての無いリュゲルを一時的に匿っているという状況だ。まったく、こんなことになるならサッカー協会の会長であり、宇宙人の存在も認知している豪炎寺の電話番号を訊いておけばよかった、なんて、皆帆はカップに注いだ砂糖をスプーンでかき混ぜながら苦笑した。

「しかし、何故お前の記憶には干渉出来なかったんだろう……ファラム・オービアスの技術力は地球の200年後の未来に追い付いているとまでも言われているんだぞ」

 納得がいかないといった表情でリュゲルは唸る。それに対して皆帆は「ああ」と先ほど思いついた仮説を並べ始めた。

「うーん、それは多分、ボクがソウルを持っているからじゃないかなあ」
「ソウルを?」
「想いの力、ましてやソウルなんていうのは魂の奥に眠る強烈な力の化身だ。精神に直接干渉されそうになった主を守ってくれたって不思議じゃないだろう。それに、ボクはキミと面識があるからね。効きにくいのは当然だと思うよ」
「んん……」
「あと、そうだ、前にボクたちのキャプテンから面白い話を聞いたんだけど――君が追い付いたと言っていた地球の未来の技術のこと。キャプテンたち、なんでかそれを目の当たりにしたことがあるみたいなんだよね」
「なっ!?」
「しかもキミが使ったものと同じ記憶操作、改竄系の技術を。ボクもまだ詳しくは訊き出せてないけど、それが使用されたときも、ソウルと似たような別種の力……化身発動の力を持つ者だけが影響を受けなかったらしい。ほら、今回の話とちょっと関連性があると思わない?」
「……ふむ、そういうことか。よく分かったぞ皆帆!」

 リュゲルは興味深そうに顎に手を当て、そのまま2、3度頷いた。どうやら彼はあの弟のいないところでは真面目で勉強熱心な所を見せるらしい。実際どれだけ皆帆の言葉を理解しているのかは知らないが、まあ、形式上だけでも一応の会話が成り立つならばそれで良いということにしておこう。
 とは言え、このままリュゲルの今後を考えずに会話を楽しんでいる訳にもいかないので、思考を柔軟に転換させながら皆帆は腕を組む。

「さて、本題に入ろうか」
「んむ?」
「キミの今後についてだよ」
「!――ま、まあ、そうだよな。うん」

 リュゲルの肩はギクリと震えた。そのどこか怯えたような仕草を見ながら、皆帆は思考する。知らない星に、一人きりで飛ばされた宇宙人の心境について。
 とりあえず、現時点で導き出される結論はただひとつだった。

「……まあ、今日はボクのうちに泊まっていけば?」
「!」

 すると俯きがちになっていたリュゲルの顔がばっと上がった。期待に満ちた視線が、正面から真っ直ぐに飛んでくる。

「いいのか!」
「ああ、うん。特に問題ないよ。お腹空いてるならご飯も今日の残りがあるし、布団は客人用のものが下にある。幸いお母さんは町内会の旅行に出掛けてるしね」
「その、父上の方は?」
「いないよ。ボクが小さいとき亡くなった」

 一瞬の沈黙。しかしそれ以上言及されることはなく、皆帆は正直彼に助けられた気分だった。

「――そうか、」
「うん。だから、ボク的にはなんら問題ないよ。明日からのことは明日考えればいい。どうせ学校も休みだし、出来る限りのことは協力する。母さんは明後日には帰って来るだろうけど」

 言い終えて、紅茶を一口飲んだ。そういえば、こんな深夜近い時間帯にカフェインの摂取は失敗だったかもしれないと今さらながらに思う。精神のイレギュラーな高揚も相まってとても眠気が訪れてくれそうにないのだ。明日は確実に寝坊だな、と、今から妙な覚悟を決めざるをえない。
(せっかくの面白い状況なんだけどな、しょうがないよね)
 そんなことを考えていた皆帆だったが、ふと見えたリュゲルの表情に思考を止める。皆帆としてはこの場において最善の選択を提示したつもりだったのに、どうしてか彼はまだ釈然としない表情でぐぬぬと唸っていたからだ。

「何か他に不満があるの?」

 と、皆帆が問うと、リュゲルは眉間に寄ったしわを押さえながら首を横に振った。

「いや、不満はないが、……しかし、この俺がこのまま何もしないというのは紫天王の名折れじゃないか」
「はぁ」
「――俺はファラム・オービアス紫天王が一人、リュゲル・バランだぞ!国の見本と、何より大切な弟の見本とならなければならないこの俺が、他星の人間に迷惑だけかけたままでいられる訳がないだろう!」
「……いや、別に迷惑じゃないけど?」
「感情の問題じゃない、俺の誉れの問題だ!ララヤ女王の名を汚してしまうなんてことになったらオレはっ」
「えぇー……」

 困ったな、と皆帆は思う。想像していたよりも面倒なリュゲルの思考は、決して間違ってはいないのだろうけれど。それでもこれでは八方塞がりで、前進は出来ない。皆帆にはもはやどうしようもなくなってしまう。
(うーん……)
 しかし、打開策がなにも思い浮かばない訳でもなかった。要するに、この場合、何か対価となるようなものをこちらからリュゲルに対して要求すればよいのだ。互いに差し出したものが等価であれば、単純な彼の心はきっとすぐに満たされ、誇りだの誉れだのこの場に於いては面倒でしかないことを言い出さなくても済むはずだ。

「リュゲルくん」

 皆帆は少し思案したのち、未だ悶々と悩み込んでいるリュゲルの名を呼んだ。

「……なんだ」
「それなら、ここにいる間、ボクにいろいろと話を聞かせてくれないかな?」
「は?」
「匿ってあげる代わりの条件だよ。交渉とでも言うのかな。ほんと、ボク自身は別に全く構わないんだけどせっかくだし。今日だけとは言わず、いっそ明日からも。ボクが望んだことをキミがこなしてくれれば、キミの誉れは傷つかない。そうだろう?」
「――!、ふむ」

 二杯目の紅茶もいつの間にか空になり、ティースプーンがカチャリと小さな音を立てる。リュゲルが手をぽんっと打ち、それに合わせて皆帆が「それじゃあ決まりだね」と笑ってみせたことで、予想よりも面倒くさく、それでいて予想よりも呆気なく、その交渉は成立することになった。


「これからよろしく頼む、皆帆」


 かくして、その日から、リュゲル・バランと皆帆和人という異星人同士の奇妙な同居生活が始まったのである。





 翌日、やはり揃って寝坊してしまった二人が最初に向かったのはサッカー協会の本部だった。とりあえず、皆帆宅の裏庭に隠してある壊れた宇宙船をどうにかしなくてはならないだろうというのが二人の共通見解であったからだ。フードを被って何とか大きな角をカモフラージュしたリュゲルの姿は、それでも豪炎寺を大いに驚かせた。詳細な事情を説明すると彼は二つ返事で諸々の後処理を引き受けてくれた。あまりに迅速な理解に逆に皆帆の方が驚いていると、こういうぶっ飛んだことには慣れているんだと彼は柔らかく微笑んだ。すぐに皆帆の家には協会が派遣した業者が向かい、グランドセレスタ・ギャラクシーにおいて苦楽を共にした食堂のおばちゃんが指揮をとってその宇宙船を修理してくれることになった。

「良かったね、リュゲルくん」
「うむ。ひとまず安心だ!」

 それからまず、一番最初に直してもらったのは連絡用の通信機器だった。まずはこの非常事態を一刻も早く国の方に伝える必要があったのだ。電波が届くまでに回復したそれを使ってさっそくファラムに連絡をとってみると、すっかりご立腹らしく纏まらない叱咤をいきなり飛ばしてきたミネルを突き飛ばすようにして、目に涙を浮かべたガンダレス・バランが画面内に割り込んで来た。後ろには他の紫天王も控えているようだ。

「リュゲル兄!?ほんとにリュゲル兄!?」
「ガ、ガンダレスっ!そうだぞ、兄ちゃんだぞ!!」

 ガンダレスは画面の向こうでしばらくぷるぷると震え、それから一気に喜びを爆発させるかのように飛び上がった。テンションの高い叫びと振動に映像も激しく揺らぐ。この様子では落ち着けという皆帆の言葉も彼に届くことはないだろう。なんせ肝心の兄の方ですら、画面越しの弟との再会に感極まっているのか皆帆の方を見ようともしないのだ。

「〜〜っ、良かった、良かったよリュゲル兄!!ほらやっぱり無事だったじゃないかー!
「はっはっは、流石にしぶとい奴よなあ。コンクリートを突き破って咲く野の花のようにしぶといわ!」
「ふん、アイツ殺しても死なないんじゃないの?」
「ホントに、ホンッットーに心配したんだからな!リュゲル兄は天才だけど、万が一ってこともなくもないだろ!!だからっ……ロダンなんかも口ではリュゲル兄のことひどく言うのになんか変にそわそわしててさー!」
「ちょっガンダレスお前バカなこと言わないでくれる!?ボクは別にあのとんでもない馬鹿野郎の心配なんてこれっぽっちもしてないからッ」
「あらやだぁ、ロダンったら照れてるの?これだからお子ちゃまは」
「照れてねーよこのヒラリババア!!」
「――なっ、なっなんですってえ!?」
「ガンダレス、お前らっ……!ふん、このリュゲル・バラン、乗っていた宇宙船が大破し知らぬ惑星に落ちてしまったとしてもこのように生き延びてみせたぞ!!」
「ガッハッハ!修理代がばかにならんなぁ!」
「ええ!?それほんと!?すっげー!すげーよリュゲル兄!どこまですげーんだよリュゲル兄ぃい!!やっぱりリュゲル兄は天才だな!」
「言うなよガンダレス、何も言う…もがっ」
「――あの、お取り込み中のところ悪いんだけど、ララヤ女王様呼んでくれません?」
「げっ!」
「チキュウ人!?」
「お、お前は……真名帆和郎!?」

 それまでなんとか我慢していたため息は、ついにそこで漏れてしまった。

「皆帆和人ね。いろいろ混じってるよ……」

 普段ならひとつひとつを入念にチェックしながら頭にインプットしておきたいような、実に興味深い会話内容ではあるのだが、この状況においては訳が違う。だからこのままでは埒が開かないと判じた皆帆が割り込むと、今度は突き飛ばされたミネルが紫天王(主にぐずり続けたガンダレス)を画面外に追いやって、皆帆の要求通りララヤ・オビエスを連れてきてくれた。彼女の隣には、あれ以来ファラムの王宮で暮らすことになったらしい惑星キエルの元王女、カトラ・ペイジも付き添っていた。彼女らにリュゲルの置かれた現状を説明すると、ララヤは呆れたような表情を浮かべながらも一先ずほっと安心したようで、カトラと顔を合わせ微笑みあったあと、申し訳ないと謝辞を述べながら皆帆に頭を下げた。

「了解した、ありがとう。こちらから地球に使者を派遣することは宇宙との交流に乏しい地球の事情を考えると、ちと難しいのじゃが……すまん、どうか宇宙船が直るまでリュゲルのことを頼む」
「ええ、任せてください」
「皆帆さん。天馬や剣城さん、アースイレブンの皆さんにも宜しくお伝えくださいね」
「――そ、そうじゃっ!ツルギに、わらわたちもこちらでしっかりと頑張っておると伝えておいてくれ!」
「はは、分かったよ」

 そこで、電波が急に乱れ、映像はぷつりと途絶えることになる。

 科学者班の話によると、ファラム・オービアスと地球とでは電波状況が大分異なるため、どうやらすべてにおいてまだまだ改善が必要らしい。何にせよ、この調子では宇宙船の修理自体にもかなり時間がかかりそうとのことだった。肝心のリュゲルが宇宙船の構造についてあまり詳しくなかったというのもある種致命的な問題ではあったが、この兄にそんな知識があるとは前提の時点で誰も考えていないのでそれについては全く無問題である。機体の酷い損傷具合を直接見ているので、科学者たちから告げられた結論は至って想定内のことであったが、改めて振り返ると――これまた大変なことに巻き込まれてしまったものだ。

「相変わらず楽しそうな星だね」

 と、そんなことを考えながらおもむろに皆帆が言うと、皆帆の意図を理解しているのかいないのか、リュゲルは「そうだろう」と自慢げに胸を張った。
 ちなみに、帰り際、地球滞在中のリュゲルの泊まり先について豪炎寺が協会の宿舎はどうだろうかという案を持ち出してくれたのだが、皆帆が何か言う前に、リュゲルが「それは出来ない!ファラム・オービアスの戦士としての責任と約束をまだ果たしていないからな!」と進言したので、その場で即座に無しとなった。不思議そうに「そうか」とこぼす豪炎寺には申し訳なかったが、その一連のやり取りについていまさら説明する気は起こらなかったので、皆帆はただすみませんという意思を込めてこっそり肩を竦めておいた。ごめんなさい、豪炎寺さん。残念ながらボクが彼の先約を貰ってしまったみたいです。




 家に帰ればそこにリュゲルがいるというのは皆帆にとって非常に新鮮なことだった。リュゲル自体に原因があるというより、いつもどこか静かだった自分の家に母親以外の人間がいるというのが、彼にはとても珍しく感じられたのだ。父が亡くなってから、決して無機質という訳ではないけれど、皆帆家は比較的静寂に支配される時間が長くなったように思う。かといって、生前の父の家にいる時間が長かったかと言われればそうでもないし、父が生きていた時間というのは皆帆の人生の十分の一にも満たない短い時間であったのだろうけど、けれど思い出す父と母の笑顔はいつだって温かくて、思い出す食卓はいまよりずっと賑やかだった気がしてならないのだ。今現在の生活のことも皆帆はじゅうぶん愛しているが、それでも――この胸にぽっかりと空いた空白はきっと何をもってしても埋められない。それは母だって同様の筈だ。
(なんか、懐かしいな)
 二人で作ったカレーにがっつくリュゲルを見つめながら、皆帆はぼんやりと考えた。リュゲルのものの食べ方は最低限のマナーは押さえているものの、とはいえ上品とは言い難く、まるで小さな子どものようだ。皆帆はスプーンを静かに口に運びながら彼の食べ方を観察し続ける。上品さは欠片もないが、その代わり、リュゲルはほんとうに美味しそうにものを食べた。わずかに紅潮した頬、眼前の食べ物を消化することしか考えていないように爛々と光る瞳、そして短い咀嚼。昔の自分もこんなふうに楽しそうに食事に挑んでいたのかと思うと、どうしても皆帆は不思議な気分になる。一体、いつからなのだろう。なるべく早急に、なるべく物音をたてずに食事を済ませてしまおうと意識し始めたのは。

「ん?皆帆、お前食べないのか」
「え、」
「手が止まっているぞ」
「――あ、ああ、ごめん。ちょっと考え事してた」
「?、何故謝る?」

 純粋なクエスチョンマークが浮かべられたリュゲルの言葉に、皆帆は言い返す言葉が見つからず、誤魔化すようにそのまま食事を再開した。リュゲルはそんな彼をしばらく(といっても僅かな時間だが)見つめたあと、「相変わらず変な奴だな、お前は」と、ぼそりとこぼした。どうやら宇宙での出来事を未だにいろいろ根に持たれているらしい。
 変なのはキミの方じゃないか――と言い返したいのは山々だったが、皆帆はその言葉をまだ熱いカレーごと飲み込んだ。どうにも、リュゲルという少年と接していると自分は調子が狂ってしまうようだ。
 この少年が家にいる間、一体何回「一生の不覚」を重ねなければならなくなるのだろう。それを考えてみると、もう皆帆はただただ苦笑するしかなくなるのだった。


 リュゲルは皆帆の部屋に布団を敷いて寝ることになった。皆帆家には客人用の部屋もちゃんとあるのだが、何故かリュゲルがそうすることを希望したのだ。理由を問うと、どうせ長話をするなら夜の方が良いだろうと彼は自信たっぷりな顔で答えた。その理屈はよく分からなかったが、皆帆としてもさして断る理由はなかったので彼の希望を叶えることにしたのだった。
 寝るときに隣に誰かがいるというのも皆帆をひどく不思議な気分にさせた。リュゲルは今でも弟と一緒に寝たりしているらしいからいまさら抵抗も何も無いのだろうけど、兄弟もおらず泊まりがけで誰かと遊ぶようなこともなかった皆帆にとって、同世代の人間がすぐ近くで寝転がっているという状況はやはり違和感しか孕まなかった。そのうち慣れるのだろうか、と思いながらベッドに入っていると、ふとリュゲルの視線を感じたので皆帆はゆっくりと顔を上げた。まばゆい月の光に照らされて、ただでさえ白いリュゲルの身体がいっそう真っ直ぐな白さを帯び、薄い紫色の目だけがはっきりと見えた。
 そんな彼の姿を、純粋に、皆帆はきれいだと思う。

「皆帆」

 あまりにも容姿が完璧過ぎるあまり、彼は頭のネジをどこかに置き忘れて生まれてきたのかもしれない。美しさの対価になるような、とても重要な何かを。本当にそうだとすれば、それはなんと滑稽な話だろうか。
 ――尤もそれが悪いことなのかどうなのか、それはまだ皆帆には分からないのだけれど。

「なんだい、リュゲルくん」
「なあ、今気がついたんだが、チキュウから見える星はとても綺麗だな!」
「星?」

 彼は窓の向こうを指差した。ギシリ、とスプリングの音を立てながら、皆帆も身体を起こしリュゲルの指先を追った。月光ばかりが満たしていると思い込んでいた空では、確かに星が点々と光輝いていた。しかし、皆帆にとってはそれまでのことだ。所詮濁りきった関東の空。ちょっと田舎に赴けばもっと綺麗な星空を拝むことなんかいくらでもできるし、それに自分たちはここよりもっと星に近い宇宙の中を旅したことだってあるのだ。見上げた星が少し綺麗だったとしても、単に今日はいつもより少しは空気の状態が良かったのかな、と思うまでに過ぎない。けれどリュゲルは違った。淡い、霞んだ小さな星を、まるで素晴らしい宝物でも見つけたかのようにとろけた瞳で見上げている。

「ファラムの空を愚弄する訳じゃないが、とても綺麗だ」
「……ねぇ、キミ、ほんとに宇宙を旅してここまで来たんだよね?」

 耐えかねた皆帆が思わず口を出すと、リュゲルはきょとんと呆けたような眼差しを向けてきた。

「ああ、そうに決まってるだろう」
「ならいまさら珍しくもなんともないんじゃないの?」
「そんなことはない。宇宙から見る星と、地上から見上げる星とはまるで別物じゃないか」
「そうかなあ…」
「そういうものだ」

 どうして、いつだってそんなにもはっきりと物事を言い切れるの?そう問いかけてみたくはなったけれど声は出なかった。不意に、そんな彼の姿勢が――自分にはよくわからないもので構成されたどこか滑稽な論理が、皆帆はひどくうらやましくなった。そうだ、うらやましい。理由は分からないけれど、どうしようもなくうらやましい。きっとこれは真名部に抱いた「羨ましさ」とは違うところにある羨望なのだろう。だって、リュゲルに対するこの羨望には要となるものが何もないのだ。彼に振り回される中で、皆帆はただ、その眩しさだけを受け止める。リュゲル・バランの抱える純粋なたからもの。皆帆の観察力をもってしても見抜けない、不可能に近い論理の秘密――。

「むかし、ガンダレスにあの星を取ってきて、とねだられたことがあったな」

 リュゲルの昔話はいつになく唐突に始まった。皆帆は考えるのを止め、彼の話に耳を立てた。
 カーテンの隙間から漏れだした月明かりは彼を照らし、皆帆の上にぼたりと影を落とす。

「もちろん、今は俺にそんな力はない。だから申し訳ないが無理だよとあの時は返した。……そう、今は、無理だ。けどいつか、兄ちゃんが取ってきてやるからなと」

 その後のガンダレスの反応は想像に容易かった。きっといつものように「スゲーよリュゲル兄!!」と無邪気な顔で騒いだにちがいない。ガンダレスの、あのきらきらした目を、瞬いたまぶたの向こうに思い浮かべてみる。

「"今は"…か、」

 しかし彼のお願いがお願いだから、皆帆はなんとも反応することができなかった。いつか寄せられた無垢な信頼を、また清らかな約束を打ち砕いてしまうような、そんな果たせない約束を交わすことははたして許されることなのだろうかと、どうしても変に冷静な心で考えてしまったのだ。

「――ねぇ、リュゲルくん。そのいつかっていうのはホントに来るの?」
「わからない。でも、可能性がない訳じゃないだろ」
「……ボクには無理だとしか言いようがないけどなあ。惑星に降り立って、そこの地面を削り取って持ち帰るとか、そういうことなら話は別だけど」
「それじゃあ駄目だな」
「でしょ?」
「それでも、夢を見ることは悪いのか?」
「え」

 リュゲルの言葉に、皆帆は今度こそ何も言えなくなった。善悪の問題ははっきりしているようで非常に曖昧なもので、ただでさえリュゲルと皆帆の価値観は惑星を越えたところで違っているというのに、これ以上不毛な問答を続ける意味などあるのだろうかと、そんな考えも浮かんでいた。その先に興味がない訳じゃないのだ。けれども今は少し――と、浮かび上がってきた続きの言葉を皆帆はもう一度沈めた。こんなの、全くもって自分らしくない。
(ううん、いろいろと難航しそうだよ、父さん)
 行えなかった日課の代わりとして、心の中でおやすみを告げる。今日は少しだけ困ったような調子を乗せておこう。父さん、うちに住むことになった宇宙人の知り合いは、どうやら存外扱いの難しい人だったみたいなんだ。とても、面白い。興味深い。それなのに、なんでか自分がおかしくなってしまいそうなんだ。一番戸惑っているのはもしかしたらそんなボク自身なのかもしれないけど。ねぇ、父さん。ボクに彼のすべて、それからよく分からないモヤモヤが溜まった自分自身の心のすべて、解き明かせると思う?
 むろん、返事はない。
 だから皆帆は、そこでゆるゆると目を閉じる。
 視線を背け、枕に横顔をうずめることで「今日はもう眠いから話は終わり」ということをそれとなく示した。そういえばボク昨晩から寝不足だったんだっけ、と他人事のように考える頭は、もう半分まどろんでいる。まるで逃避のような突然の重たい睡魔だった。しかし、リュゲルの方もそれ以上会話をしようという気ではなかったようで、「おい皆帆、寝たのか?」という質問を最後に彼の声はだんだんと小さくなった。
 だからそのあとに続いた言葉は皆帆に向けられたものではなく、きっとただの、他愛のない独り言だったのだろう。

「でも、そうだな。やはり無理なのかもしれない。地上から見上げるあの美しい星は、届かないからこそ美しいってことくらい俺も知っている。なんたって天才だからな。……それでもそばにおきたいという思いも悪くはないと思うけど。ああ、そうか、ガンダレスもいつかそのことに気がつくのかもしれない。しかしこのリュゲル、それはそれで良い結末だと受け止めてみせよう。俺はアイツの頭を撫でてやるんだ。よく気がついたな、お前はさすが、俺に似て賢い弟だなと――、」


 その先は、夢の中に溶けてしまったのでよく覚えていない。けれどただ、かすみがかったリュゲルの声の響きがやたらと優しかったということだけを――皆帆は、ずいぶん後になって、時折思い出すことになる。






(2)へ
∵20140327

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