過保護、と一言で片付けてしまうには彼の親愛は大き過ぎて申し訳ない気持ちになるけれど、だからといって恋する乙女がこの状況に満足している訳がない。最近の女子高校生は欲張りなのよ、虎丸さん。――乱れたスーツ姿の彼の上に跨がりながら、心の中で語りかける。彼は非常に困ったような顔をしながら、私を押し退けようとしているけど残念ながらそこまで私はか弱くないんです。それに貴方がひどく疲れてるの知ってるんだから、ざまあみろ。口角をにやりと上げながら、私はゆっくりと口を開いた。
「虎丸さーん」
「…夕香さん、もう子供じゃないんだから止めてください」
彼は少々焦りながらも、基本的に冷静なようだ。私に真摯な視線を向けながらあくまで大人ぶってお説教をしてきた。まるで口うるさいお母さんみたい、そう思いながらも、私の心は不満だらけ。大事にされてるのは分かるけど、スッゴく分かるけど!…でも、ちょっとくらい大人扱いしてくれたって良いじゃない。――お察しの通り、私は宇都宮虎丸という人間に恋をしている。年の差はあるけど、勿論子供の背伸びなんかじゃなくてちゃんとした恋情、だと私は主張するのだが全く相手にされない。なんだか空しいの一言に尽きるけど、それで諦める程私もヤワジャなかった。幾つのアピールを繰り返しているだろうか、恋愛関係のみならず彼に関する様々な情報を調べたり(主に元イナズマジャパンの人達が協力してくれているのは内緒だ)、彼自身に質問攻めをするのは最早当たり前。化粧やお洋服選びも頑張って、可愛いと思われる仕草や立ち振る舞いの研究、手料理の練習など、長い事訓練して来たかいあってか大分女らしくなれたのではないかと思う。実際周りの友達やお兄ちゃんは褒めてくれるし、この前自分で作ってみた肉じゃがだってなかなか美味しく出来ていた。…なのに、肝心の虎丸さんからは一度も反応をもらった事がないのはどういう事だろう。いくら頑張っても彼は全くといっていいほど反応をしてくれないし、たまに何かリアクションを見せてくれたかと思えば「その服露出が多過ぎませんか」や「私はもうちょっと味付けが濃い方が好みです」、などと優しく諭すようなものばかり。最初はそれでもまあ仕方ないか、くらいに考える余裕があったけれど、そろそろ精神的に限界だった。だから今回強攻策に走ったのだ。友達曰く、今の男の人は押しに弱いらしいからいっそ押し倒しちゃいなさいよ!らしい。正直躊躇いはなかった。虎丸さんが一筋縄ではいかないのは重々承知だし、押し倒したとしても説教をくらうだけだろうと分かっていたから。でも、虎丸さんが私に押し倒されてどんな反応を示すかには、凄く興味があった。その時私の心に浮かびあがったのはもしかしたら、という淡い希望。あまりにも望む結果を手に入れる事に飢えていた私は、その一縷の希望に賭けてみる事にしたのだ。――そして、今この状態に至る。仕事で疲れきっている体力のない今が押し倒し時、そう見込んでいた私は、お兄ちゃんの元から帰ってきた彼にたやすく跨がることが出来た。ふらふらと頼りない足取りの虎丸さんを押し倒す事は本当に簡単で、あまりにも手早く出来てしまったために少し拍子抜けしてしまった程だ。だが、ここからが本当の勝負。これから私が何処まで虎丸さんを誘惑出来るかが重要となってくるのだから。私はすうっと息を吸い込んで、もう此処は素直に「抱いて!」と叫んでしまおうと覚悟を決める。よし、大丈夫。貴方はもう大人なんだから、頑張れ自分!――吸い込んだ息を吐き出そうと口を開いた時。
「あーっ、もう!」
どさり。うわっ!?私の軽い悲鳴が小さく響き、視界がぐらりと揺れる。目に電球の光が飛び込んできたその時、私は自分が尻餅をついているのだと理解出来た。はて、と思いながら虎丸さんを見ると、彼は頭を摩りながらこちらをぎろりと強い目つきで睨んで来ている。あれ、これはもしかして本気で怒っているのかな。失敗してしまった、という残念な気持ちよりも先に、思ったよりもずっと怒っている彼の姿への疑問が先に出てきた。てっきり呆れるか相手にされないかの二択だと思ってたのに。
虎丸さんがしかめっつらで大きな溜息をついてから、話し始めたすべての事を語るには時間が足りなさすぎるから、此処では割愛しようと思う。とにかく、そんじょそこらの両親には真似できないくらいに長い時間、私は彼からお叱りを受けた。それはもう、うんざりするぐらいだったけど、彼の気迫が凄まじくていつものように口答えなんか出来なかった。ようやく話が途切れるか、と思えばまた別の話題を出して説教を始める、そしてそれが途切れれば…というのの繰り返し。いい加減疲れてきた、と私が心底思っているとどうやら彼も疲れてきたようで(元から疲労困憊だったのだから当然だろう)、ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返しながら言葉を止めた。一通り怒って、少しくらいは気が晴れたのか幾分かすっきりした様子であることに私は安心する。虎丸さんは胸元に手を当てて最後の一息をついたあと、真っすぐに私を見つめた。いつになく真剣な彼の眼差しにどくりと心臓が跳ね上がる。
「…とにかく貴方はもう、子供ではないんです」
低くて、怒りを抑えたような声。散々の説教に加え私はとどめをさされたような気分になった。やり過ぎた、かな。彼の態度に、少し反省せざるをえなかった。しゅん、と自然にうなだれて、ごめんなさい、と小さく呟くと、彼はいくらか困ったように眉を歪めてから少し溜息をついた。
「俺だって夕香さんのことをちゃんと女性として意識してるんだから、今後こういった事は自嘲してくれないと困る!貴方は無防備過ぎるんだ、自制をきかせなきゃいけないこっちの身にもなってくれないか!」
はい、と珍しく心の底から反省の気分に浸っていた私は、虎丸さんの言葉をよくよく繰り返し再生してから、その違和感に気づく。女性として、って、え?首を上に上げて虎丸さんを見遣ると、彼はもうこちらに背中を向けていたので顔は確認出来なかったけど、本人は気づいているのかいないのか耳が真っ赤に染まっているのが分かった。――これはもしかして、ほんの少しでも、期待して良いのだろうか。思いがけない虎丸さんの表情に私の胸は鼓動の速度をどんどん速めていく。頭の中は恥ずかしいやら驚きやらで混乱するけれど、それでも幸せな感情でいっぱいだった。虎丸さん、と呼び掛けると、彼はばつが悪そうな顔でこちらに向き直った。ほんのり赤く染まったその顔は、昔からそんなに変わっていなくて。思ったよりも早く彼に追い付けそうだと、私は彼に笑いかけながら思った。虎丸さん、もう少しだけ待っていてね。きっともうちょっと大人になれば、私は貴方の隣にいられるくらいに成れるから。そう、貴方が胸を張って、私に向き合えるようになるくらいに。
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歳の差男女企画に提出しました。