※この作品はクロノストーン放映途中、黄名子の設定が全て出揃っていない時期に書いたものです。そのため彼女の設定と作品内で記述している内容が大きく違っています。ご了承ください。






『ご覧ください!うわぁ、凄いですね〜この人の群れ!皆さん、今日ここではハロウィンの仮装大会が開かれているんです!…』


 テレビから流れ出してくる女性アナウンサーのはしゃいだ声を耳にして、ふと、剣城京介は愛用している歯ブラシを動かす手を止めた。テレビの画面越しに見える景色の中では鮮やかなハロウィン用の衣装に身を包んだ人々が思い思いに街を練り歩いている。中には実に凝った仮装をしている者もいて、いつの間にハロウィンという行事がこんなにも世界に浸透したのだろう、と剣城はぼんやり疑問に思った。サッカー漬けの日々を過ごす剣城にとって、ハロウィンなど気が付けば過ぎてしまっているような軽い行事でしかない。そんな行事にこの人達はここまで気合いを入れる事が出来るのか。何となく、剣城は自分と世間との微妙なズレを感じた。仮装など自分はしなくて結構。行事に参加する気もあまりない。代わりに何も飾った形跡のない土まみれのボールを蹴らせてくれれば、それだけで良い。そう思いながら、片手でリモコンを取りチャンネルを変える。画面には、先程とは別のニュース番組の占いコーナーが映る。それによると、剣城の今日のラッキーアイテムは黄色の飴玉らしい。占いまで今日はハロウィン一色らしかった。
 両親に軽く声をかけ、外に出る。冷たい早朝の風は肌に突き刺さるようだった。まったく、秋という季節はすぐに過ぎ去ってしまうものだと、剣城は不満げにため息をつく。雲っているせいか暖かい太陽はまだ姿を見せていないので、影を擦り抜けて日だまりを目指す事も出来ず、周囲の草木が被さって暗くなった通学路を手を温めながら歩く。――そろそろ手袋が必要だろうか。そんな事を考えはじめた頃だった。

「つ、る、ぎぃ〜!」

 ――丸まりかけていた背中を思わずピンと伸ばしてしまうくらいに大きな声が、彼目掛けて思い切り投げつけられる。びくり、と一つ震え上がったあと、直後にドンっという強い衝撃を感じた。剣城は突然駆け寄ってきたその人物に、後ろから手を回され抱き着かれていた。突然の出来事に剣城は動揺するが、しかしこんな事を自分にしてくる人間は限られているので、抱き着いてきた「彼女」が誰かはすぐに分かった。ギ、ギ、と徐々に首を回して、自分の背中に抱き着いている彼女に剣城は声を掛ける。

「――黄名子っ」
「えっへへ〜おはよう剣城ー!」
「いいからまず離れろそして朝から驚かすな止めろうざい」
「朝から元気やんね、剣城は。まあまあ良いやんね!ウチと剣城の仲だし」
「良くねえ!」

 剣城が心底ウンザリした表情で凄んでみても、彼女は顔に浮かべた花のような笑顔を微塵も崩しはしない。楽しそうな表情で、子供のように剣城に向かってくる黄名子に、剣城は時折どう接していいか分からなくなる。彼はとうとう何も言えなくなって、どうにも収まりの着かない心を沈める為にその場はため息をついて終了させる事にした。黄名子はまたニコリと笑う。剣城よりも随分小さな頭が、冷えたアスファルトの上で太陽と化している。
 ――いつの間にかチームメイトとなっていた同学年の菜花黄名子。彼女は、どうやら剣城と同じ方向に家があるらしい。しかし、松風天馬たちが「どこに家があるの?」と尋ねても頑なに教えようとせず、お決まりの笑顔でなにもかもうやむやにしてしまうので、彼女の家が何処にあるのか正確には把握出来ていないのだが。それでも諦められなかったらしい天馬は何と、一度帰り道に黄名子を尾行をしたらしいのだが、途中の曲がり角で彼女を見失ってしまったらしくがっくりと肩を落としていた。何ともテンプレートな展開である。結局、彼女が抱える最も複雑な事情――菜花黄名子がタイムパラドックスにより生まれた特異な存在だという事情を考慮して、これ以上彼女の家を確かめようとするのは止める、というのに皆の結論に落ち着いた。それに、何をどう言おうが、黄名子が自分たちの大切なチームメイトであることに変わりはないのだから。
 ともかく、極めてアバウトな情報になってしまうが彼女が普段寝泊まりをしている場所は剣城の家の近所らしい。だから、朝と夕方の通学路も二人は同じということになる。それを利用してか黄名子はその通学路で事あるごとに剣城に何かを仕掛けてくるのだ。今朝の抱き着きもそうだし、この前は後ろからボールを蹴られて「このままサッカーしながら学校行こうよ!」と無茶なお願いをされたり、何の記念日でもないのに道端で突然クラッカーを鳴らされたりした。後者の場合勿論掃除をしなければならなくて、本人に「なんでこんなことするんだ」と少々怒りながら説教をしたが、黄名子はけろりとした顔で「剣城が喜ぶと思ったやんね」と言った。そこまで悪気が無いような、純粋な目をされるとこちらが間違っているような気がしてくる。だから、剣城はついつい黄名子には甘くなってしまうのだ。掃除もちゃんと手伝うし、検討違いの方向へ飛んでいったボールを彼女が追い掛けたならその場で待つ。剣城にとって、黄名子は基本的に何をしても不快感を与えない不思議な少女だった。

「にしても剣城冷えてるやんね〜ウチのがあったかい!」
「…まあな。俺は冷え症だから」
「へぇ、冷え症だと冬は運動大変やんね。身体動かんなるもん」
「アップの時間を長くするまでだ」
「へーぇ」

 大抵の場合、黄名子と遭遇した朝は彼女と共に登校する。帰り道も最近は彼女を送って帰る事が多い。しかしそれにも関わらず「剣城と菜花は付き合っている」といった類の浮いた話題が出ないのは完全に両者の関係性と性格のせいだろう。身長差も二人ほどあると最早恋人のレベルではなく兄妹だ。見た目もそうだが、同時に性格の方もしっかり者の兄とそれに懐く妹という図式に当て嵌められる。剣城も、恐らく黄名子もそのことを理解しているからこうして気兼ねなく一緒に居られるのだ。
 ――尤も、その関係に満足しているかと問われれば、少なくとも剣城の方はすぐに答えることが出来ないのだが。

「はぁ、今日で10月も終わりやんね。早いなあ」
「…まあな」
「ねぇ、剣城、今日何の日か分かるー?」

 唐突に、こちらの顔を覗きながら黄名子が尋ねてくる。その顔は明るい期待に満ちていて、なるほど、そういえばコイツはこういう行事が好きそうな性格だったな――と剣城はふと思った。黄名子はスカートを翻し、こちらに何か言おうとしている。しかし既にそのことを予想していた剣城が彼女が次に言うであろう台詞を先取り遮るのは容易な事であった。その対応はつまるところ、自己保身という奴である。

「…トリックオアトリート」

 
 満面の笑みを浮かべながら何かを発しようとしていた黄名子だが、剣城の言葉によってピシリと固まった。咄嗟に剣城は頭の中で海岸の岩石を思い浮かべる。黄名子の表情は徐々にへにゃりと柔らかくなり、口の端は先程とは真逆の方向にしかめられた。そして次の瞬間、「えええっっ!!」という朝の静かな空間には到底似合わない叫び声が響く。近所迷惑だろう、と眉をしかめながら剣城は目を閉じた。耳がキンキンと煩い。

「あああ…なんで先に言うやんね!!もうっ」
「うるせぇ!…お前の言う事ぐらい頭を使わなくても分かる。ハロウィンだからな」
「でも剣城が参加するイメージ浮かばないもんっ」
「…まあそれはそうだが、保身の為なんだから仕方ないだろ」
「ほしん?」
「――どこぞの悪戯好きな奴に隙を与えないようにするってこと」
「!うっ」

 黄名子は気まずそうに顔を逸らす。これは図星か――剣城の為に何らかの悪戯を用意していたのは確からしかった。剣城は防御用の菓子を持っていなかった為、自分の判断は間違っていなかったと息を吐き出した。朝から悪戯を仕掛けられては身が持たない。学校に着けばきっと天馬を初めとするサッカー部員達が剣城を待ち構えているだろうから。横から、黄名子の悔しそうなうめき声が聞こえてくる。何の、どんな悪戯を用意していたのかは敢えて聞かない事にした。代わりに、勝ち誇ったように微笑んでみせる。

「俺の勝ちだな」
「――ぐぬぬぬぬっ!!…何の勝負かわからないけど!悔しいやんね!ああどうしよっ…ウチお菓子持ってきてないやんね」
「フッ。まあ、菓子も要らないし悪戯もしないけどな」
「え?」

「保身の為だから、それ以上は必要無いってこと」

 ぽかんとしている黄名子を置いて、剣城は大きな欠伸をしながら歩き出した。それから、彼は頭の中にうっすらと流れる映像を思い出す。あのアナウンサーは何であんなにはしゃぐことが出来るのだろう。仮装をして、楽しそうに街を回る人々も同様だ。剣城はサッカーさえあれば平気だし、興味も沸かない。思い出なんてサッカーを通して繋がれるものだけで良い。日常生活については意識しなくても記憶という形で蓄積されていくのだから、わざわざ「今日は何の日だ」と思い起こして楽しむ必要が無い。剣城はそう考えている。昔も今も、それは変わらないのた。
 ――しかし、軽く流した剣城とは裏腹に、何故か黄名子は悲しそうな表情を浮かべた。ちらと後ろを見遣った時に見えたその顔に剣城はぎょっとする。菓子を持っていない黄名子は本来悪戯を受けるはずだったが、それは剣城の無関心のおかげで回避出来た。何も悲しむことはないというのに、彼女が視線を落とす理由が剣城には分からなかった。ただ、慌てて声をかける。

「黄名子?…どうかしたのか」
「……剣城は、ウチとの思い出は作りたくないの?」
「―――は」

 今度は剣城が呆ける番だった。黄名子は、彼女らしくもない無表情で顔を逸らした。その丸い瞳に明るみ始めた空が映る。薄い紫を含んだ朝靄の中にいる彼女は、酷く不安定で、情けないほどに小さな存在のように思えた。霞んだ景色の中にそのまま消えていってもおかしくないほど、ちっぽけだった。

「剣城はサッカー以外…サッカーが絡まないイベントとかには興味ないやんね。それは、ウチも分かってるよ。…別に悪く言うつもりはないけどね、でも、ウチはせめて剣城と同じ物を共有したかったやんね」
「…黄名子?」
「……変なこと言ってごめんね、ただ、ウチは――」

 そこまで言って、黄名子は喋るのを止めた。しょぼんとさみしげに俯く姿を見て、剣城はうっと唸る。朝の光がうっすらと彼等を包み込み始めた。
 同じ物の共有。つとめて軽い調子で口に出されたその言葉に、剣城はそれ以上の重みを感じた。自分が皆と違うこと。隠しながらも生じてしまう周りとの軋轢に、黄名子は薄々気が付いているのかもしれない。剣城にとって、彼女は仲間以上の存在である。皆が言うように兄と妹という面から見ても、また、女性としての彼女も、剣城は誰よりも大切に思っている。自分でも自覚するのに随分かかったぐらい淡い想いだったので、彼女が自分の気持ちに気づいていないことは分かっているけれど。尤も彼に想いを告げる勇気も覚悟もある訳がないので、気付かぬまま仕舞い込んでおかせてくれる黄名子には寧ろ感謝したいくらいだ。
 それにしても、少し配慮というか、黄名子が抱える事情を汲み取れていなかったかもしれない――と、剣城は自身の行動を省みて思った。自分を行事に連れ出したいという彼女。共有、則ち、共に同じ時を過ごすこと。タイムパラドックスという自分達とは違う環境にある彼女の背景にについて、剣城は少しの知識すら持っていない。何かが原因で組み込まれたか過去の確かさとは、一体どれぐらいの物なのだろう。案外、上手く修正されてしっかりと基盤を持った物になっているのではないか――という見解を、今になって改める。彼女の表情から察するに、それは酷く不確かな物なのだ。だから、思い出を作ろうと躍起になるのか。所詮勝手な想像でしかないが、剣城はそんなふうに思った。と、同時にいたたまれない気持ちになる。意図的にやってしまった訳ではないが、どんな形であれ自分は黄名子を傷付けてしまったらしい。
 
「……おい、黄名子」

 辺りには冷たく気まずい空気が流れている。剣城は重たい口を開いてから初めて、彼女に掛けるべき言葉を模索し始めた。何故勢いにまかせて口を開いてしまったのだろう。思考を放棄していた脳を叱り付けながら、必死に考える。黄名子がちらりと遠慮がちにこちらを覗いているのが分かった。
 それから、暫くの時を黙ったまま過ごした、その後。

「…オラ」
「――あいた!?」

 神経を全て使って考えてみても、結局彼の中から上手い言葉は出てこなかった。だから、剣城が台詞の代わりに放ったのは極めて直接的なもの。――額を指で弾かれて、黄名子は盛大によろけた。我ながら良い音だった、と剣城は指に残った感触を確かめて思う。

「痛いーっ!!…な、なにするやんね!?」
「デコピン」
「そうじゃなくて!」
「…悪戯」
「―――へっ」
「い、悪戯だよ。菓子持ってないんだろ」

 言いながら、剣城はきょとんとこちらを見上げている黄名子の頭に軽く手を置いた。優しくしたい時に素直になれない癖と言うのは、いい加減不器用過ぎて自分でも困ってしまうものだが、少なくとも今の精一杯の優しさは出し切った。そのまま、ぽんぽん、と二回ほど彼女の頭を撫でる。柔らかい温かみが彼の冷えた手を温めた。すると、不思議がるような色に満ちていた黄名子の瞳がふっと揺らぎ、彼女の表情は瞬く間にへにゃりと崩れた。とても自然で、綺麗な笑顔だった。

「へへっ、そっか」
「…痛いのに嬉しがるってのも変だな、何か」
「うっ。た、たしかに痛かったけど…でもこれもハロウィンの形やんね!きっと正確!」
「ふーん、そーかよ」
「…うんっ。――ハッピーハロウィン、剣城!」
「ん、…ハッピーハロウィン」

 流れで祝福しあった後、二人は再び並んで歩き始めた。太陽の光は強さを増し、冷えきった世界にほんのりと優しい明かりが燈る。剣城は、いちいち行事に盛り上がる人々の気持ちがほんの少しだけ分かったような気がした。彼等は決して一人ではない。仲間もしくは大好きな人達と、一年に一度の祭を祝い、楽しむ。そこに行事の意味や個人の趣向など関係無いのだ。大切な人の笑顔が見られる事こそ、一番の恩恵なのだから。
 暫くハロウィンの事は忘れ、いつも通りにサッカーの話などをしながら歩いていた二人だったが、雷門中の手前の曲がり角でふと黄名子が歩みを止める。一歩先を進んでいた剣城もそれに気が付いて立ち止まり、振り返りながら「どうしたんだ」と彼女に声をかけた。見ると、黄名子は鞄の中を漁っているようだった。ちょっと待って、と言いながら、黄名子は少しの間その場に経ってごそごそとし続けた。やがて、数十秒かが経過した頃に漸くその成果は現れて。「あっ」という嬉しげな驚嘆と共に、何かを握った黄名子が困ったような笑顔でこちらに向かって来る。その優しい表情を見て、剣城の心音が静かに高鳴った事は彼だけの秘密だ。

「――もぉ、ウチったらおっちょこちょいやんねぇ〜…はいっ!剣城、お菓子あげるっ」
「あったのかよ」
「朝入れてきたのすっかり忘れちゃってたみたいやんね…とにかく、貰ってくれるでしょ?」
「…ああ、ありがとな」
「ふふっ!うん!」

 剣城は、ふと自分の手の平の中に握らされた飴玉を見つめる。――そして、隠せない驚きに大きく目を見開き、それから徐々に口元を緩めて、彼はゆっくりと微笑んだ。
 祭事にささやかながら参加してみるのも、決して悪くはないのかもしれない。今の剣城は無関心ではなく、穏やかな気持ちの中そう思う事が出来る。手の中で転がるレモン味の飴玉は、きっと彼等に幸せを運んできてくれたのだ。





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happy Halloween!
その欠片こそが愛しいんです
Title by ダボスへ
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