「寒いね」

隣にいる彼女が漏らしたのは、そんな言葉ひとつ。俺がそれに対して何も返さないでいると、冬花は感情の無い顔でコーヒーを飲み始めた。俺はかなりの甘党だから、冬花が好んで飲むその苦い液体があまり得意ではない。コーヒーを飲むときには必ずミルクと砂糖をたっぷりと入れて掻き混ぜている。そして冬花がコーヒーを飲む所を見るまでは、彼女も自分と同じように甘くして飲むのではないかと思っていた。外面も鈴を鳴らすように響く声も、甘ったるい女子の匂いを纏っていたからだ。周りの男の評判ももっぱら、「久遠って女らしくて良いよな」という感じであるし、つるんでいる女友達も冬花と同じような乙女系の雰囲気の奴が多かった。あまりにも冬花と「女らしい」という単語は合致していたので、俺はそれに対して何の疑問も抱いていなかった。

「本当に、寒いね」

冬花はまた呟く。俺は今度は、そうだな。と小さく返した。多分この問答には何の意味もないが、それでも何か言葉があるというだけで安心出来る気がしていた。
――実際の冬花は。俺はコーヒーを啜る彼女を横目に見ながら、彼女の本性について考える。一緒にいる機会が増えた事で知り始めていた久遠冬花という一人の人間。冬花と関わるようになってから、俺はなんとなくこの女が見た目通りの性格ではない事に気がつき始めていた。時折ぼおっと、空を眺めながら立ち尽くしていたり、ふいに瞳の中に煙を燻らせたり。よくよく冬花を観察していると、そんな奇行じみた行動をよく見られた。俺がその時そんな冬花をどんな目で見ていたのかは忘れてしまったけど、少なくとも好意的な視線を彼女に向ける事はなかっただろう。その頃の俺からしたら、この色々と不思議な少女の事を好きになるなんて、想像すら出来なかったと思う。

「なあ冬花」
「なあに、あきおくん」

冬花が、長い睫毛をあえかに伏せる。彼女の紅梅色をした薄い唇から発っせられるのは、中学生の時から変わらない高くてとろけるように甘い声。だが変わらないのはその甘さだけではなく、乾いていて感情が込められていないという事も同じだ。

冬花には、一言で言うと感情が少ない。もう少し言葉を付け足すなら、喜びだとか嬉しさだとか、そういう当たり前の幸せな感情を素直に感じる事が出来ない女だった。彼女は自分の事を、「人とどこかずれている人間なの」と評価していたが、多分それは正解なのだと思う。何故なら彼女がこれまでに受けてきた、他の子供なら受けてしかるべき愛情が、まわりと比べると極端に少なかったからだ。そして、喜びや嬉しさ、幸せ。そんな中で1番欠落していた感情が、愛する、という本能に関わる大切な感情だった。愛し愛される喜びを知らない、必要ともしていない。幼少の頃から普通の人生を経験することが出来なかった、可哀相な少女。世間はそう彼女を称するだろう。だが実際のところ、冬花は自分の事を可哀相、だなんて思ってはいない。寧ろそう自覚してくれればどんなに良かった事だろうと思う。彼女は人と自分が違うという事は分かっていても、それが可哀相、という同情の言葉と繋がるのが理解出来ないらしかった。理由を問えば、彼女はそれでも私は生きているからだと述べた。可哀相なのだとしても、独りだとしても、生きているから。だからこれからも誰かを愛する事はしないのだと、苦笑しながら、それでもはっきりとした意志が込められた声で言った。そしてそれは確かに俺の想いを切り裂く刃となった事も、多分彼女は知っていたのだろう。

「俺やっぱり、お前の事が好きだよ」

返事なんてとうに分かりきっている。多分冬花から見たら、俺がこうして人を愛せないと言っている彼女に何度も告白を繰り返している方がおかしく見えていると思う。現に、隣にいる冬花は、やはりあの時と同じような、困ったような苦笑を浮かべていた。どうして?そう、疑問を含んだ視線が俺に注がれる。そんな事言われたって、俺にだって分からないと言い返してやりたくなるが、この告白は俺のただの自己満足であるので何も言えない。どうしようもなく、俺は冬花が好きで。彼女がからっぽな女だと知る度にその想いは強くなっていった。冬花の心に開いた穴を、俺で埋めつくしてやりたい。冬花が穴が開いているという事実に気づいていないのだから、それは全く無意味なのだけれど。結局のところ、俺もからっぽなのだ。愛が欲しくて、ひたすらに求めて、それでもまだ足りなくて。だから好きになった女と、冬花と一緒になりたいと何度も願ったが、それはどうやら罪らしい。俺は浅い呼吸を繰り返しながら、冬花のコーヒーを奪った。あっ、と彼女の可憐な唇から、白い吐息と共に小さく声が漏れたが、俺は構わずそれに口をつける。砂糖もミルクも入っていない液体は、とてつもなく苦くて、俺にとってはやはり美味しいものでは無かった。一口だけ飲んで、まだ中身がたっぷりと入った缶はすぐに持ち主である冬花に返される。ありがとな、そう呟くと彼女は心底分からないといった表情をした。それに対して俺は、分からないのはおまえの方だよ、と苦笑いを浮かべながら言ってみる。それを聞いた冬花は目をぱちくりと瞬かせてから、そこで今日初めて笑顔を見せた。彫刻みたいに整った、相変わらずの綺麗な顔に小さな花が咲く。ここで笑うのは反則だと、俺は憎々しげに思った。いっそ冬花が俺を心のそこから嫌ってくれるような人間だったら、どんなに良かっただろうか。そうしたら、きっと俺も彼女も今よりずっと傷つく事が少なかったはずだから。それでも、冬花は馬鹿みたいに人間に優しい。俺の事は愛する事は出来ないけど好きだと言う。多分これからも、俺が言い寄る度に、彼女は拒絶の言葉を口にし続けるのだろう。もう会いに来るな、とは絶対に言わないくせに。でもそれに甘えて、やっぱりしつこく彼女を忘れられない俺はもっと馬鹿だ。俺と冬花の吐く白い息と、コーヒーから立ち上る湯気が、ただでさえ曇っている空を更にぼやかせた。息苦しくなるくらいに重たい冬空の下、寒いと嘆いていたのは、本当は誰だったのだろうか。





冬の低すぎる空できみは圧死してしまった/2012.04.29
お題:ギルティ
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