※ブラック本丸がテーマですので一部の刀剣男士が酷い扱いを受けています。ご留意を。 ナマエ殿に対する鬱憤が溜まっていた主は、通りすがりに乱の髪をざっくばらんに切り捨てた。 「!!」 この過酷な環境下で長く綺麗な髪を維持し続けていた乱は切り捨てられた自身の髪を抱えてその場で泣き崩れ、それを見た主は満足そうに去って行った。 私もその場に居合わせたのだが、私が少しでも庇おうものならば更にひどい仕打ちをすると分かっていたため助けてやることは出来なかった。 「乱! すまない……すまない乱……!」 「一にぃ……ひっく……」 せめて主の耳に届かぬよう、声を殺して泣く乱を抱きしめてやることしかできなかった。こうすることでしかお前たちを守ってやることの出来ない自分が情けなくて仕方がない。 私が顕現された時には既にここの空気は淀んでおり、残存する刀剣の殆どが碌な寝食も与えられておらず酷い有様だった。 主は私や三日月殿、鶯丸殿や数珠丸殿といった希少価値の高い刀を収集することに並々ならぬ熱情を注いでおり、故にそれ以外の刀剣男士はぞんざいな扱いを受けていたのだ。 己がストレスを発散するためだけに暴力を振るったり、必要のない刀は容赦なく刀解し資源とする。私がこの本丸に来た時には、彼女の初期刀は既にいなかった。 資源にすらならない短刀たちを中心にレベルの高い合戦場へと送られ、重症を負ってもまともな手入れもさせて貰えずまた合戦場へと送られる。破壊されたら新たな刀を入れるだけ、目的の刀を持ち帰らねば当然のように折檻される。 そんな終わりのない地獄に、悪魔が舞い降りたのはつい数日前のこと。 「あら、赤ん坊の鳴き声が聞こえたと思えば本当に赤ん坊が泣いていたわ」 「……ナマエ殿」 声のした方へ視線をやれば少し上の方に、長く綺麗な銀髪を揺らしながら上品に笑う女性が浮かんでいた。 この女性こそこの本丸に突如遭われた悪魔ことナマエ・スカーレット殿である。 従者を従え突如この本丸に姿を現した彼女は自らを“吸血鬼”だと言い、それに逆上した主が差し向けた長谷部殿を難なく往なしてみせた。 その時はこの惨状に舞い降りた救世主かと思えたのだが、その考えは甘かった。 ナマエ殿はただ気まぐれに本丸に訪れては主を好き勝手冷やかし弄んで、勝手に満足して何処かへ消える。自己中心で奔放的な彼女の言動は、主の心火を燃え上がらせるには十二分だったのだ。 自尊心の高い主は彼女への鬱憤を溜め、苛立ちを隠そうとしないため弟たちにとっては畏怖の対象であり、弟たちはそんな主の感情の捌け口でもあったため、ナマエ殿が現れる以前以上の恐怖がこの本丸を支配していた。 本当に、彼女が来てから禄なことがない。 最初こそ救世主かと思っていたが、彼女が我々に齎したことと言えば“混乱”と“落胆”だ。勝手に期待をした我々が悪いと言われればそれまでなのだが。 「全く、五月蝿くて仕方ないわ……」 「!」 「これは……」 上品な笑みを一変、じとりとこちらを睨んだかと思えば切られたはずの乱の髪の毛が一本残らず元の状態に戻っているではないか。切られていた形跡すら残っていない。 従者の女性が言うには“あらゆるものを切ったり繋げだり”出来るのだとか。にわかに信じがたかったが目の前で幾度となく見せられてしまっては信じざるを得ず。また、こいういった彼女の“気まぐれ”を見せられると期待せずにはいられなくなってしまうのだ。 「どう。泣き止んだかしら?」 「っ、うんっ。ナマエさんありがとう!」 「もうこれっきりだから、大事になさい」 「ナマエ殿、本当にありがとうございます」 元を辿れば彼女が原因なのだが、それでもあの主の性格からして彼女がいない状態でこうならなかったとも限らない。 私が深々と頭を下げると頭上から彼女の笑い声が再び降ってくる。 「何かおかしなことでも……?」 「ええ。こんなに遜った付喪神は珍しいもの」 ねぇ咲夜、と上品に笑う彼女に、不謹慎ながらも見惚れてしまった。 彼女の言う通り我々付喪神は一端とはいえ神に分類される存在だ。その気になれば女性一人をどうにかするなどたやすいことだと、そう言いたのだろう。 しかしそれが出来ないのも本科と政府が交わした契約にある。審神者を主とし、決して逆らわず、謀反を起こさず。 本科が交わした契約の記憶を忠実に守っていることを知ったらナマエ殿はきっと、馬鹿ねと綺麗に笑うのだろう。 そんなことをぼんやりと考え事をしていたせいで急速に近づいて来た邪気に気づけなかった。 「見つけたぞクソアマッ!!」 立て付けの悪い障子を力任せに開けた時の耳障りな音すらかき消す怒声。普段運動なんてしない主は彼女の気配を探って廊下を走って来ただけで息が上がり、肩を上下させている。 私は咄嗟に、乱を隠すよう前に出た。 幸いその射殺さんばかりに鋭い眼光は私たちではなくナマエ殿に向いており、乱の髪が元に戻っていることには気付いていない。 「あら怖い。まるで鬼婆ねぇ」 言葉とは裏腹に愉快そうなナマエ殿に、主は益々怒りを溢れさせる。棘のある霊気が場を支配し、私は背筋が凍る思いだ。 「……長谷部あの女を殺して」 「はっ!」 主が静かに言い放つとそれに従い長谷部殿が自身を抜いてナマエ殿に斬りかかる。私は反射的に乱の目元に手を被せ視界を遮っていた。 しかし、私の心配も余所に彼女に近付こうにも従者であるメイドの女性がそうさせず、長谷部殿が近づこうとした次の瞬間に従者はナマエ殿の後ろから消え、彼の喉元にナイフを突き出していたのだ。 思い返せば彼女が初めてここに来た時も同じような展開だったのを思い出す。つい数日前の出来事だと言うのに随分と昔のことのように感じる。 「ナマエ様には指一本触れさせないわ」 「……っ!」 彼女の威圧的な声が、冷ややかな視線が長谷部殿に突き刺さる。冷や汗が首筋を伝うのが見えた。 「咲夜お止め」 「……はい」 ナマエ殿に少し低い声で諌められ、渋々手を止める咲夜殿。あとほんの僅かでも咲夜殿が手を動かしていたら長谷部殿の首の皮は貫かれていたのであろう。 突き付けるだけに留めたナイフによって未だ身動きが取れない長谷部殿を一瞥したナマエ殿は、徐ろに視線を主に移した。 悪魔とも言い得るその冷ややかな視線は主の背筋を凍らせたはずだ。しかし主は一瞬たじろぐも何とか踏ん張りを効かせ威勢を取り戻そうとする。 「……ここでの暇つぶしも飽きてきたことだし、そろそろもう一展開欲しいのよね」 「そっ、そんなの要らないからさっさとどっか行きなさいよ! ここはあたしだけの場所よ!!」 「ならばもっと強力な結界でも張っておくべきだったわね。尤も、ナマエ様には意味無いないでしょうけど」 「もう咲夜ったら。あんまり言っちゃうと可哀想よ」 「キィーッ! 絶対殺してやる!!」 「うふふ。楽しみにしてるわ」 ナマエ殿は本当に不思議なお人だ。 我々にとって畏怖の対象でしかなかった主が、赤子のように翻弄されている。 それだけで、途端に主がただの人間に過ぎないのだと思い知らされてくつくつと笑いがこみあげてきてしまった。 「……一期、何を笑っているの?」 「! す、すみません……」 「本当にどいつもこいつも……ムカつく……!」 主に睨まれ直ぐに口を噤み、咄嗟に乱を隠す。いけない、こちらまで彼女のペースに飲み込まれていた。 長谷部殿に肩を抱かれ息を整える主を他所に、ナマエ殿は視線を徐に移動させる。 「……そうね。そこの貴方」 深紅の双眼が私に向く。 主に向けたものとは違いその視線は扇情的で、不謹慎にも胸が高鳴ってしまう。これも前の主の影響か。 それと同時に主の視線も突き刺さり、ときめきなんて一瞬で、すぐに息が詰まるような圧迫感に襲われる。 「わ、私ですか……?」 「ええそう。貴方はどうしたい? 今は気分が良いから、望みを何でも一つだけ叶えてあげるわ」 「何でも、一つだけ……」 人間の出来得ることは限られている。それはきっと我々のような付喪神や吸血鬼にも当てはまることなのだ。 しかしナマエ殿の言う“何でも”は、本当にどんな望みでも叶えて貰えるような自信に満ち溢れており、事実彼女ならば何でも実現可能であろう。 気まぐれな彼女のことを顧みれば、今を逃すと二度とこんな機会は訪れないことは容易に理解出来る。 つまり、私の次の言葉でこの本丸の行く末が決まるということだ。喉が渇き唇が震えてくる。 「一兄……」 「一期!!!!」 不安そうな乱のか細い声が妙にはっきりと聞こえたのに対し、咎めようとする主の怒声はやけに遠く聞こえていた。 |