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「ゲンさん、好きです」

 そう彼女は微笑んだ。この笑顔が自分に向けられていると思うとこれ以上の幸福はない。
 私も好きだよ、そう言おうとした刹那――、目が覚めた。

 良い夢を見た日は目覚めも良い、コーヒーの香りが私を目覚めさせた。夢の続きを見たかったが、二度寝をしても続きを見られる保証はないので仕方なく起きることにした。体を起こすとスプリングが軋んだ。
 眠気眼でテーブルの上を見ると、ミオの図書館で借りてきた大量の本が積み重なっていた。一番上の本に手を伸ばし、しおり代わりにしてある返却カードを取り出す。返却期間は本日、後で返却しに行かないとな……。

「あ、ゲンさんお早うございます」

 ああ、私はまだ夢でも見ているのだろうか、ヒカリがエプロンを着て私に微笑みかけている。可愛い、今すぐにでも抱きしめたい衝動に駆られる。夢だからといって行動に移して良いものなのだろうが、仮に夢だと思って抱きしめて実は夢じゃなかったら……きっと彼女に軽蔑される、そして私が今まで積み上げてきた『紳士』というイメージが跡形もなく崩れ去るに違いない……

「ゲンさーん、どうしました? もしかして寝ぼけてます?」

 あまり働かない頭をフル回転させているとヒカリが私の顔を覗き込んできた。
 クスクスと笑う彼女を見つめると、起きてくださーい、と白いカップを渡された。受け取ると温かく、コーヒーの香りが鼻を掠める。喉に通すとほろ苦い、ブラック独特な味が口内に広がり、脳をハッキリとさせる……。

「……美味しい」
「良かったー……あ、あとちょっとで朝食で来ますから待っててくださいね」
「ああ」

 きっと彼女は若者らしく、若者らしい恋をしているのだろう。コウキ君やジュン君のような同年代の男の子だって沢山いる、その沢山いる男の子の中の一人と恋に落ちて、結婚して、幸せな家庭を築くんだろう。
 いい年をした男が年下の少女に恋するなんて馬鹿げた話しだ。

「朝食出来ましたよ、どうぞ」
「ありがとう」

 トレーを持った彼女に、大量に積まれている本を退けてテーブルを明け渡した。彼女が作ってくれた朝食は、パンとハムエッグとサラダ。こんなに充実した朝食は久しぶりだ、そういえばヒカリの手料理も久しぶりだな……
 ……とても美味しい。ああ、私は今幸せだ。
 美味しいものを食べると食が進む。あっという間に胃に収まってしまった。

「美味しかったよ、ごちそうさま」
「ありがとうございます!」
「……そういえば、」
「はい?」
「どうしてここに……?」

 起きてからずっと気になっていた疑問をぶつけてみる。それから彼女を見ると、彼女は食器を洗いながら少し考えている様子だった。何か言えない様な理由なのだろうか、誰かに追われているとか、だったら大変だ!

「何か、私に話せないような理由でも……?」
「あ、いや、違いますよ! ただ、たまたま、ほんとに、たまたま近くを通ったから挨拶でも、と思って、寄っただけですから! 何もやましい気持ちなんてこれっぽっちもございませんですはい!」

 少々文章がおかしい言葉を、顔を赤くして言い切ったヒカリは肩で呼吸していた。
 そうだよな、彼女がわざわざ私に会いに来てくれたなんて考え持つべきではないな。ちょっとへこむ。
 まあ、私はやましい気持ちがあるから彼女にこの家の合鍵を渡したんだけどね。

「そうか……で、旅の方はどうだい?」
「あ、はい、おかげさまで怖いくらい順調です!」
「そうか、それは良かった」

 彼女は何事も、大きな怪我も無く旅を続けているらしい、あと一つでバッチが全てそろうと喜んでいる。バッチが全て揃ったらきっと彼女はシンオウチャンピオンリーグを目指すのだろう。挑戦したいと言っていたのを覚えている。
 洗い物を終え、布巾で水気を拭った食器を丁寧に元に戻している彼女を見ると、新妻に似て非なるものを感じる。
 それにしてもピンクのフリルエプロンなんて私の家にあっただろうか……。

「ヒカリ、」
「ん、なんですか?」
「そのエプロン……」
「あ、このエプロンですか?」

 くるりと回ってエプロンごとスカートを翻した魅せた。

「ああ、とても可愛いよ、でも私が聴きたいのは……って、大丈夫かい?」

 私が素直に言うと彼女は急にしゃがみこんでしまった。側へ寄って覗き込んだら顔が赤いし、具合でも悪いのだろうか。

「どうしたんだい、具合でも……」
「ち、違うんです! 大丈夫です! どこも悪くないし元気ですからっ」
「そうかい? 具合が悪くなったらこのベッド使っていいからね」

 ベッドに腰掛けてポンポンと枕を叩くと彼女は、赤い顔をさらに赤くしてしまった。私のベッドに何かあるのだろうか。
 そそくさと台所へ逃げていくヒカリの後ろ姿が視界に入った瞬間、自分を抑えることが出来なくなってしまった。
 すぐさま立ち上がりヒカリを追いかける。

「……ヒカリ」
「何です……きゃっ! げ、ゲンさん!?」
 それから、振り向こうとしたヒカリを背後から抱きしめ、言う。

「好きだ」

 …………。長い沈黙と、やってしまったという空気がこの場を支配する。時計の針が進む音で私は我に返った。ああ、私はなんて事をしてしまったんだろう。
 すぐに彼女を解放し、謝る。

「……すまない、忘れてくれ」

 先ほどまで私が抱きしめていた彼女の背中は小さく震えている。余程嫌だったのだろうか……。
 この家から逃げるように出て行って、もう二度と私の前に姿を見せなくなる。そうなったとしても仕方ないだろう、私はそれほどの事を彼女にしたのだ。
 でも、私は後悔はしていない。あのまま片思い状態がだらだらと続くくらいなら、告白して彼女に嫌われるほうがいいだろう。彼女のためにもなる。

「……い」
「ん?」

 ヒカリが、私の方を向いたかと思えば何かを呟いた。上手く聞き取れなかったので近づこうとすると彼女が急に顔を上げた。
 彼女のそれは一面が赤く、目じりには涙が溜まっていた。正直言って可愛い。

「ヒカリ、」
「ゲンさんずるい」

 見詰められたかと思うと、距離を詰められ言われた。一体私のどこがずるいのだろうか……。訳がわからなくなって、困惑した表情で彼女観る。
 すると彼女は私を抱きしめた。

「っ、ヒカリ……?」

「私も……ゲンさんが好きです」

 ああ、私はまだ夢を見ているのだろうか。
 ヒカリが私に抱きついている。
 ヒカリが私を好きだと言う。

「だからゲンさん……って、ゲンさん何してるんですか!?」
「ひや、ゆへじゃらいかと……」

 夢か確かめるために頬を抓ってみたが、痛い、ということは夢じゃない。
 夢ではない、私とヒカリが相思相愛なのだ。

「ゲンさん、夢じゃないですよ。私はゲンさんが好きです」

 夢で見ていたことが今現実となった。あれは正夢だったのだろうか、でも今そんなのはどうでもいい。今は顔を赤くした恋人を力いっぱいに抱きしめた。

「ゲンさん苦しいですー」
「ああ、嬉しくてつい」
「もう!」



 ひとしきりヒカリの抱き心地を堪能した後、落ち着く意味も込めてコーヒーを飲んでいる。
 余韻に額いてるとヒカリが口を開いた。

「……あ、そういえばゲンさん」
「なんだい? デートにでも行くかい?」

 初デートはどこに行こうか、とか乙女チックな事ばっかり考えてしまう。

「じゃなくって……この本、返却期限が今日じゃないですか」

 テーブルの横においてある、ミオの図書館で借りてきた本をパラパラと捲って、返却期限カードを見せ付けてきた。
 そういえば起きた時に返さないと、と思っていたんだった。さっきのことですっかり忘れていた。

「忘れてた、あとで返しとくよ」
「ダメです! そういってゲンさんまた忘れるでしょう?」

 うーん、あながち否定できないから困る。

「では今返しに行けと……?」
「今なら図書館も開いてますしね」
「じゃ、行ってくるよ」

 大量の本を持って立ち上がるりヒカリに、いってきます、と告げる。すると、何言ってるんですか、と笑われた。

「二人で行くに決まってるでしょう?」
「あ、ああ、行こうか」

 初デートはミオの図書館で決まりだ。


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