「あー終わったー!」 名前の溜め息混じりの声が事務所の休憩室内に木霊する。時刻は月曜日の午後九時丁度。 事務所の友人と揃いで購入した根付がぶら下げられているスマートフォンを飲みかけのコーヒーの横に置き、両腕を伸ばしてぐぐっと伸びをする。 スマホの画面をタップし続けた親指もそうだが、何より腕が痛い。帰ったら湿布を貼らねば明後日からの仕事に響くだろう。 「名前ちゃんお疲れ〜」 「名前ちゃんお疲れさまー!」 タイミングを見計らったように休憩室へなだれ込んで来た志希とフレデリカに、名前は瞠目する。確か今日彼女らは現場から直帰のはず。 驚いた形のまま固まっている名前を見て二人は悪戯が成功した子供のように顔を見合わせて笑った。 「フッフッフ。サプライズこ本人登場作戦大成功ですぞ」 「名前ちゃんの驚い顔も可愛い〜。写真撮っちゃお」 「あ、フレちゃんも!」 スマホを取り出して名前の呆けた顔をパシャパシャと撮り始めた二人に、ようやく疲れ切った脳の処理が追いついた。 「え、あっ。ちょっと二人とも撮らないでよー! 今すごい間抜けな顔してたから恥ずかしいって!」 「大丈夫大丈夫。超可愛いから!」 「もー。テキトー言わない!」 こんな疲労困憊のだらしない顔がメディアに流れでもしたら自分のアイドル生命は一環の終わりだと、内心ハラハラしつつも彼女らがそんなことをする人間ではないことは重々知っているため名前もあまり強くは言わない。 「ていうか何でいるの? 今日は撮影終わったら直帰のはずじゃ……」 「今日イベントが終わるから労いに来たよ〜」 「イベント終わりの名前ちゃんをハスハスしに!」 「おい」 一通り撮り終えて満足したのかスマホを仕舞った二人は名前を挟むようにソファーに腰掛け、ぴったりと両サイドから名前に肩を寄せる。 「名前ちゃん、“クレイジークレイジー”お疲れさま」 「仕事と睡眠以外ずーっとスマホと睨めっこだったからフレちゃん寂しかったんだよぉ」 「志希ちゃんフレちゃんありがとぉ……構ってあげられなくてごめんねぇ……」 感極まった名前が腱鞘炎であることを忘れてまで二人を抱き締めれば、二人も名前を抱きしめ返す。三人ともファンが泣いて喜ぶ飛び切りの笑顔だ。志希に至っては名前の首筋の匂いをハスハスしている。 346プロのアイドルたちがプロデュース出来る音楽ゲームの、九日間に及んだレイジーレイジーのイベントがようやく終わりを告げたのだ。 みんなそれなりに遊んでいるがここまで本格的にプロデュースしているのは名前や紗南くらいだ。取り分け名前は特に仲の良いアイドルのイベントの時だけは本気で走るタイプだ。ちなみに自分が上位報酬の時はてんでやる気がないタイプでもある。 「さてさて名前ちゃんはどれだけ走ってくれたのかな?」 「一応24万ポイントくらい取ったから順位三桁は余裕だと思うよ」 「ワオ! 凄いじゃん!」 「あたしたち超愛されてる〜」 驚きと嬉しさに瞠目するフレデリカ。幸せそうに目を細める志希。 「特大の愛のお返しに志希にゃん特製“名前ちゃんスペシャルブレンド”をプレゼントしちゃう」 「フレちゃんブレンドは?」 「フレちゃん何もしてないじゃん!」 「あ、そうだった!」 液体の入った、ハートマークが描かれた小瓶を受け取った名前は早速蓋を開けて匂いを嗅いでみる。 甘いがくどく無く花のような自然系の香りは鼻腔から脳を優しく包み込んでリラックスさせてくれる。名前好みの匂いだ。 「ん〜、すごいいい匂い」 「フレちゃんもこの匂い大好き〜。名前ちゃんみたい」 「私みたいって……私こんなにいい匂いしないよぉ」 「えー、名前ちゃんいい匂いだよ?」 「フレちゃんの言うとおり、これは名前ちゃん匂いをサンプリングして独自の配合で云々……」 「え、ちょっと、私の匂いをサンプリングって何」 「あー……気にしない気にしない。ほら、眠くなってきたんじゃない?」 志希の言う通り、九日間の疲労とアロマによるリラックス効果が重なって名前の瞼が僅かに重くなってきた。 「ん、確かに眠くってきた、かも……?」 元より事務所の仮眠室を利用して翌朝帰宅する予定であった名前は、何とか仮眠室に移動するまでは寝るわけにはいかないと、飲みかけのコーヒーが入ったマグへと手を伸ばす。が、陶器の質感に触れる前にフレデリカのそれにより止められてしまう。 「?」 首を傾げる名前に対し、にんまりと、またも悪戯が成功したような笑みを浮かべている二人。 いつもならば彼女らの企みもそれとなく読めるのだが今の眠たい脳みそではまともな思考は難しい。 彼女らの口から直接聞くしかなく、弧を描いていた唇が徐ろに開かれるのをただ大人しく見ていた。 「さ、寝よっか」 「えっ」 「仮眠室まで行くの面倒だからここのベッドでいいよね」 仮眠室とは別に休憩室にも仮眠用のベッドが一つだけ用意されている。静かな仮眠室とは違い誰かしらがいつもいるここで寝ることにより仮眠が睡眠になるのを防ぐことが出来るのだが、基本的には杏らに占領されている場合が多い。 今日は三人以外誰もいない夜の休憩室だ。朝までは誰も入ってこない邪魔する人間も、ここで騒ぎ立てる輩も来ない。 「名前ちゃん疲れてるんだしアタシたちが癒やしてあげるね」 「いや、嬉しいけどここのベッドシングルだよぉ……」 「くっついて寝れば大丈夫!」 「一緒にレイジーなラブに抱かれて寝よう?」 「それクレイジーになっちゃうやつ……」 「つべこべ言わずに寝なさーい!」 志希がスペシャルブレンドの入った小瓶を名前の顔に近付け強制的に眠気を誘い、フレデリカは握った名前の手をそのまま引っ張り立ち上がらせると仮眠用ベッドへと誘導する。イベントが始まってから禄に睡眠を摂っていないことを知っている二人からの、労いだった。 二人に促されるがままにベッドへと寝転んだ名前の横に、すかさず二人がダイブする。三人とも細身とはいえシングルベッドに並ぶとかなり狭い。 ぴったりと落ちないように両サイドから名前に引っ付けば寝る準備は完了だ。 「アタシたちの為に頑張ってくれてありがとうね」 「一緒に良い夢見ようね」 「二人とも、大好きだよぉ」 「アタシも名前ちゃんだーいすき」 「アタシも、名前ちゃんのこと大好きだよん」 「……ねぇ、次に私が上位報酬になったら二人も走ってくれる?」 「それはムリ」 「それはムリ」 二人の声が見事に重なる。再三言うがあのゲームを本格的にプロデュースしているのは名前か紗南くらいである。例え大好きな名前の頼みでも、レイジーな二人には荷が重い話である。 「……ふっ。ふふふっ」 予想通りの反応に名前は失笑し、それを見たフレデリカと志希も思わず笑みをこぼす。 「おやすみ」 枕元に置かれてあるリモコンを操作し灯りを消せば後は甘い香りに包まれて空飛ぶ夢を見るだけ。 戻る |