切っ掛けはかなり些細なことだったとナマエは記憶している。 組織に所属しているナマエはその日の任務を片付け、偶然近くに停泊していたグランサイファーに戻った。 グランサイファーには団長であるグランやルリアたちのようにこの船に居住している者にはなる丈個室が与えられており、身内同士の相部屋や種族同士で集まって生活している種族部屋なんてものも存在するが今は割愛する。 ナマエのように団には所属しているが居住している訳ではない者には二段ベッドが二つだけある簡易的な宿泊部屋が多数用意されていて、基本どの宿泊部屋のどのベッドを利用しても良いのだが利用日数が多い者は大体定位置が決まってくる。 風呂場で返り血を落とし後は寝るだけの状態となって彼女は、今では定位置となってしまった宿泊部屋までのそれなりに長い道程を月明かりに照らされながら歩いてた。 夜も遅いこの時間に賑やかなのは毎夜酒盛りが行われている食堂か個室くらいのもので。眠気が無ければそれに加わっていただろう。 しかし今日の任務は少々骨が折れた。兎に角眠たかったのだ。 「……?」 道すがらに困った様子で食堂の様子を伺っている男性を見つけた。 背が高くエルーン特有の形をしたフードを被ったその人物に見覚えはないが、そもそもグランサイファーは大所帯も大所帯、加えてナマエは任務で外に出ていることが多い故見知った者の方が少ないのだ。 相手が何者かなんて考えるのは早々に辞め、とりあえず親切心から声を掛けてみることに。 「どうしたの?」 「あっ……」 ナマエが話しかけると大袈裟なまでに肩を揺らして振り返った彼の顔は、食堂からの逆光と目深に被ったフードで伺い知れない。 「あなた新入り?」 ナマエの質問に男は小さく頷く。 そういえばこの間団長が近々仲間が増えると喜んでいたのを思い出した。きっとこの男のことだったのだろうとナマエは目の前で力無くへたるフードの耳を眺めた。 「こんな時間にこんな場所で、何を困ってるの?」 「……っ、」 「……」 「あの、その……」 しどろもどろになりながらも何とか出された弱々しい声に聴き逃さぬようナマエは耳を傾ける。 「仮面……取られて……」 「仮面?……あー……つまり酔っ払いに仮面取られたから困っていると」 テーブルの隅に置かれた黒い仮面を指差す彼にようやく合点がいった。取りに行こうにもまた酔っ払いに絡まれるのではないかと考えたら入るに入れなかったと。 このまま放っておけば食堂が空になるまで立ち往生し兼ねない、そう思ったナマエは彼に少し待っててと声をかけ再度ドア越しに獲物を確認する。 そして音も無く食堂に立ち入ると何食わぬ顔で喧騒を掻い潜り目的の物を手に取り誰にも気づかれずにさっさと食堂から出てきた。時間にして十数秒足らず、気配を消して獲物に近付くのはナマエの十八番だ。 「はい。これで合ってる?」 ナマエから仮面を受け取った彼は嬉しそうに何度も頷いてみせた。 「それじゃあね。次からは気をつけなよ〜」 「……あ、ありがとう……!」 兎に角早く寝たかったということもあってナマエは振り返ることなく、ひらひらと右手を上げてそれに応えた。 彼との邂逅はたったそれだけだ。 ナマエにとっては困っていた新入りを助けただけに過ぎないし、その新入りにとってもたまたま通りかかった優しい人くらいにしか思われていないはず。だのに。 「どうしてこうなった」 翌日食堂で朝食を食べていたナマエの横に座ったのは昨夜の彼で。 昨日は助かった、と仮面越しに改めて礼を言われたまではいい。そこまでならばナマエにとってまただの律儀な奴で済ませられたのだ。 しかし食後のコーヒーを飲んでいる時も、甲板までの移動の時も、甲板で武器の手入れをしている間も、ずっと付いてくるのだ。 ベアトリクスが見たらカモの親子かとツッコミを入れそうなくらい、付いてくる。しかも朝食以降彼は一言さえも発さない。ただひたすらに送られてくる彼からの視線に耐えるしかない現状は、不思議を通り越して不気味ですらある。 折角組織からの任務も無ければ団の仕事も入っていない休日だから日がな船上でのんびり過ごそうと考えていたのに、これならば任務が入っていた方が幾分かマシだ。 「……あのさぁ……」 「あ、ナマエいたいた! ってシスも一緒にいたんだ。丁度いいや」 「グラン。どうしたの?」 一向に無言を貫く彼に痺れを切らしてナマエが話しかけようとした刹那、タイミングが良いのか悪いのかグランサイファーの団長であるグランが走ってきた。 ナマエを探している様子だが彼女の隣にいるフードの男を見てシスと呼んだのできっとそれが彼の名だろう。世間に疎いナマエにはやはり、聞き知らぬ名だった。 「明日シスのレベル上げついでにマグナ回ろうと思って。そのメンバーにナマエも入って欲しくてさぁ」 「了解。任せといて〜」 「頼りにしてるよー。……それにしてもナマエはいつの間にシスと仲良くなったの?」 「それが私にもさっぱり」 「は、何それ……?」 本人が横にいるのも気に留めず昨夜の出来事と今朝から今に至るまで、グランが呼ぶまで名前すら知らなかったことをありのまま話すナマエ。 短く簡潔に一部始終を聞いたグランの顔は憐れみに満ちており、その視線はシスに向いている。 「シス……せめて名前くらいは言おうよ」 「……言ってなかったか?」 「うん。今のところあなたの口からは“仮面取られた”と謝辞しか聞いてない」 「! それは、すまない。俺はシスだ」 「私はナマエよ。よろしくね〜」 「ちなみにシスは十天衆の一人で格闘術の使い手なんだよー」 「……へぇ」 笑みを浮かべ得意気にシスを紹介したグランは、直ぐに他の団員に呼ばれさっさと行ってしまった。 その場に残されたナマエとシスは何故だが気まずい空気に包まれていた。 「あー……あなた十天衆だったの」 世間に疎いナマエでもその言葉は聞いたことがある。全天の化け物こと七曜の騎士と並び称される程の全空の脅威、その十人に付けられた畏怖の称号。 噂には聞いていたが実際眼前にすると余り強そうには見えない上に第一印象が第一印象故に拍子抜けだというのが彼女の正直な感想だった。 「十天衆の名称など単なる飾りだ。俺には何の価値もない」 「……ふふっ……ふは! あははは!」 ナマエの失笑により気まずかった空気が一気に柔らかくなったのだが、シスはそれどころではなく何故彼女が急に笑いだしたのかが不思議でならなかった。 「? 何がおかしい……?」 「昨日の夜の情けない姿とのギャップが面白くて、つい」 その言葉にシスも昨夜の己の情けない姿を思い出し仮面の下をほんのり赤くさせる。仮面がなかったら再びナマエに笑われるところだ。 「あっ……それは、その……昨夜のことは感謝している。が、出来れば忘れてくれ」 「そうだなぁ、あなたが昨日よりかっこいい姿を見せてくれたら忘れるかも」 昨夜の出来事が根本にあるとしても、彼女は肩書きによって態度を変えるような人物ではないことは昨日今日出会ったばかりのシスにも分かった。 だから、こうして目の前で笑われても不思議と悪い気はしなかった。 「……努力する」 「ふふふ。期待してるね」 ナマエがその姿を目の当たりにするのはそう遠くない未来であるが、それはまた別の話。 「シス」 「何だ」 「これからよろしく」 「ああ」 戻る |