透魔竜ハイドラを倒したカムイは新たな透魔王として君臨することを決めた。 暗夜、白夜の両国家の新たな王に即位したマークスとリョウマも透魔王国の復興に協力する旨を発表し、三国間における和平協定が滞りなく成立される。 ついては記念式典でのパフォーマンスを、透魔王妃アクアの歌による舞いが披露される運びとなった。踊り手は白夜王国出身の踊り子ナマエと、暗夜王マークスの臣下ラズワルドの二人である。 ナマエは生まれこそ白夜貴族だが身内の権力争いに嫌気が差し家を飛び出し、ミュージアにてかねてよりの夢であった踊り子として生きることを決め、後にミュージアを代表するまでに至る。つい最近までカムイ軍に所属していたが元々は彼女の踊りを一目見ようと遥か遠方から訪れる客もいる程の実力者であり、今回のパフォーマンスは寧ろ本業と言って良い。 一方のラズワルドはと言うと、踊りの才は母親譲りであり行軍の折星界での休息時に密かに練習を重ね、ナマエ程ではなくとも彼女が認めるレベルの出来であることは確かだ。 何を隠そうラズワルドとナマエは行軍中に国際結婚した夫婦のうちの一組でもある。 透魔王妃のアクア、暗夜王国所属のラズワルド、白夜王国民のナマエ。和平協定におけるパフォーマーとしてこれ程最適な三人はいないだろう。 この話をカムイから受けた際、ナマエはこれ程誉れ高いことはないと二つ返事で快諾。ラズワルドは少々渋りはしたがナマエと一緒ならばとこちらも承諾。ちなみに発案者はアクアである。 「……いよいよ明日だね」 「緊張する?」 「そりゃあするよ。人前で踊りを披露するのなんて初めてだから」 男性とはいえ衣装の露出もそれなりにある。それに、言ってしまえば彼は暗夜の代表として明日のパフォーマンスに臨まなくてはならないのだ。実は恥ずかしがり屋である彼にとって緊張してしまうのは致し方ないことである。 それに、ラズワルドの緊張にはマークスの顔に泥を塗らないようにとの思いも含まれている。素性を明かさぬ自分に臣下として信頼を寄せてくれ、時には己のナンパ癖で苦労を掛けた主君に出来る最後の恩返しなのだ。 ぎこちない表情を浮かべる夫の手を、ナマエはそっと掬い取る。人は緊張すると末端が冷えると聞いたことがあった彼女は冷たくなっているそれを優しく握り込んだ。 「大丈夫、私が指導したんだから。貴方の踊りは完璧よ」 「ナマエの指導、容赦なかったなぁ……」 殊踊りに関しては妥協を許さないのがナマエの信条だ。十全に仕上げるのは当然であり、例え夫であっても甘くはいかない。 「うふふ。私のそういうところも好きなんでしょう?」 「勿論。こういう意地悪なところも可愛くて好きだよ」 そう言って意地悪な口を塞ぐラズワルドに名前は目を細める。彼の唇はこんなにも熱いのに、手の温度は変わらずに冷たい。 彼の緊張は明日のパフォーマンスへの不安からくるものだけではない。 「……」 「ナマエ、好きだよ」 「ラズワルド。貴方式典の後のことを考えてるんでしょ?」 「……ははは。ナマエには全てお見通しかぁ」 彼女が言い当てた通り、彼の緊張のもう一つの原因はパフォーマンスを終えた後のことだった。 「……ナマエ。本当に良いのかい?」 「しつこい。二言はないわ」 明日、三国の和平協定記念式典でのパフォーマンスを終えたら、ラズワルドはナマエを連れて故郷へ帰る。 それは、ナマエにとってこの世界との離別となる。 「でも……二度とこの世界には戻ってこられないんだよ」 「……結婚する前、貴方にも話したでしょう。家を出た時に故郷も捨てたって」 「……」 「私の帰る場所は貴方の隣しかないの」 ナマエが一度決めたことを曲げないのは彼も知っている。そんな真っ直ぐな女性だから、全てを晒してでも結婚したいと思ったのだ。それほどに彼女を愛してしまったのだ。 同時にナマエも、家を飛び出し踊りしかなかった自分の世界を広げてくれたラズワルドを心から愛している。だからこそ生まれ育ったこの世界を捨てでも彼の傍に居たいと願ったのだ。 この世は常に選択を迫ってくることをナマエは知っている。故に、常にそれが“選択”であると意識し、後悔しない方を選んできた。今回の決断もそうだ。 「そうね、心配事があるとしたらソレイユのことかしら」 「うん」 「あの子に母親らしいこと全然してあげられなかったことが心残りなの……」 当時は行軍中だったこともあり戦場から遠ざける目的を含めて透魔国の手の及ばぬ星界に子供を預けていて、子供の成長をその目で見ることも叶わなかった。 その代わりとばかりに彼女がカムイ軍に加わってからは事ある毎に気にかけ、時には彼女に踊りを教えたりもした。彼女は壊滅的に踊りが下手だったがそれは己のリズムを知らなかったからで、ナマエがそれを正してやれば一応見れるものにはなった。 ソレイユは大層喜んでいたが彼女にとって踊りが上達したことよりも母親に踊りを教わったことの方がずっと大切な思い出だ。 彼に付いていくと決めてから式典が行われる明日を控えた今日に至るまで、家族であることを心に刻むようにナマエはラズワルドと共に、ソレイユと三人で過ごしていた。身内の権力争いに巻き込まれ暗殺者を送り込まれる日々を過ごしていたナマエにとって娘とは、夫とは、家族とは、何にも替え難いものなのだ。 「それは、僕も心残りだけど……永遠に会えなくなるわけじゃあないさ」 ソレイユには転移の水晶玉の欠片を、彼女の剣に括って渡してある。彼女が本当に両親に会いたいと願えばまた会える。 それでなくとも彼がかつて仲間と共に絶望の未来より転移してきた時のように、世の中は何が起こるか分からない。“奇跡”という可能性に溢れている。 翌日、三国和平協定記念式典は滞りなく進行し、現在は暗夜王と白夜王の演説が終わり透魔王カムイの演説中である。これが終わればパフォーマンスへと移る。 舞台袖では緊張の面持ちのラズワルドといつも通りのナマエ、二人の様子を見に来たソレイユがいて。揃いの衣装に身を包んだ両親を前にいつも以上の笑みを浮かべている。 「父さん表情が堅いよー、ほらいつもみたいに笑顔笑顔!」 「ソレイユの言うとおりよ。肩の力を抜いてリラックスして」 「うう……すー、はぁー……そうだね。うん、もう大丈夫」 「それにしても、はぁ……母さん、すごく綺麗だよ。今すぐにでも抱きしめたいくらい」 「あら、抱きしめてくれていいのよ?」 「母さん大好きー!」 衣装や髪型が崩れることに配慮するソレイユに、ナマエが両手を広げてアピールすれば素直に抱きついてくる。娘の存在をその身に刻み付けるように、しっかりと抱き返してやる。身長も伸びて、顔立ちも凛々しく、何より逞しくなった。女の子に使うには相応しくない言葉だが、人々の笑顔を護ることを誇りにする彼女にとっては褒め言葉だ。 「ソレイユ」 「何? 母さん」 「貴女はどこに行って何をしていようと私の子よ。この先何があってもそれだけは変わらないわ」 「母さん……」 「ソレイユ、僕は君の父親になれて誇りに思う。どんな時でも笑顔を忘れないで」 「父さん……」 ああ、もう終わりか。ソレイユは名残惜しくもそっと母親から離れ、改めて己の両親を見上げる。きっと、自分は泣きそうな顔をしているのだろう。優しく微笑む両親に、行かないでと言えたらどんなに良いか。 それでも二人の幸せを優先してしまう彼女は、誰よりも優しく育ってしまった。 「ソレイユにこれを渡しておくわ」 「これって母さんの腕輪……」 ナマエが娘の手を取りその上に置いたのは彼女が肌身離さず両の腕に着けていた腕輪の、片方であった。細やかな装飾のそれはナマエが踊り子を目指すずっと前に、今は亡き彼女の母から贈られた物である。 ナマエがあの家から出る際に自分の身以外に持ち出した唯一のものでもあり、何よりも大切にしていた。 「小さい頃欲しがっていたでしょ?」 「でもこれ母さんがお祖母ちゃんに貰った大切なものじゃ……」 「だから貴女に貰ってほしいの」 「その腕輪は君の名前の由来でもあるんだ」 「あたしの……名前の……?」 「その腕輪は“太陽の腕輪”。明るくて温かくて強くて眩しい、“太陽”」 「僕たちの子にぴったりの名前だろ?」 「っ、うぅ……笑顔で見送ろうと思ったのに」 それでもソレイユは笑った。涙でぐしゃぐしゃになった顔で、一生懸命に笑って見せた。 父親の手が頭を撫でるものだから、止めようとしていた涙がまた溢れた。 会場が拍手と声援で包まれる。 ナマエの厳しい特訓の甲斐もありパフォーマンスは大成功を収め、盛大に執り行われた式典も客席の興奮を残し無事終わりを迎えた。 「ラズワルドさーんナマエさーん! この後会食が……ってあれ? いません……」 今日のために彼らに宛がえた楽屋へ訪れたフェリシアだったが夫婦の姿は無くもぬけの殻であった。パフォーマンスの後に三国の功労者を集めての会食が行われる旨は事前に知らせていたので迎えに行くまで楽屋で待機しているはずなのに。 「どこに行ってしまったんでしょう……?」 もしかしたら入れ違いになって先に会場へ行ってしまったのかもしれない。フェリシアは慌てて踵を返した。 【花咲く笑顔】【素敵な踊り子】 夫ラズワルドは記録から姿を消す。 彼の踊りは後の踊り子の礎として残り、 見る者を元気にする力を持ったという。 妻ナマエも同時期に姿を消す。 彼女の踊りもまた特別なものとして、 素敵な踊り子の話説と共に後世へ伝わった。 戻る |