Crying - 513
一定的な電子音が、薄ぼんやりとした意識の裏側で繰り返す。
深いソファーに沈み込んだように力が入らない。
意識が判然としないまま名前は虚ろな瞳で蜘蛛の巣のように張り巡らされた鉄骨を眺めていた。
自分は死んだのだろうか。なんだか実感がわかない。
けれど脱力しきった身体は綿のように軽く、あると言う認識だけが見せている幻に思えた。
確かなのは死ぬ間際に感じた恐怖と痛み。その恐怖さえ薄れかけている。
ともすればどうしてファイを庇ったのかさえ消えかけていた。
そのファイはどうなったのだろう。魔法を使って逃れたのだろうか。頑なに使わなかったのだろうか。
だとしたら――
頭上に張り巡らされたアーチ型の鉄骨の接点には、今自分が入っている物と同じ卵型のカプセルが乗っている。
開いているものもあれば閉じているものもある。
出てくる人間は残念そうな者もいれば、満足気な者もいる。
不快感を示している者もいたが、理不尽さに腹を立てているような一過性の感情で、すでに次のことに意識を巡らせている。
とても死んだ人間の表情とは思えなかった。
それは名前とて同じだったが、他の人間との感覚に奇妙な溝を感じていた。
不意に隣にあるカプセルが電子音とともに誰かの死を告げる。
開いていくカプセルの中にいたのは、さっき死別したはずのファイだった。
現状を把握したらしいファイが名前を見とめて眉をひそめる。
名前は苦い顔をするファイの真意を探る余裕もなく、側に行きたい衝動に駆られた。
カプセルから身を乗り出し、ファイの元へ繋がっている鉄骨の上を足早に通り過ぎる。
「走ると危ないよ」
すでにカプセルから出ていたファイの忠告も聞かずにファイの頬に触れた。
「あったかい……」
意図を理解したファイが困ったように笑う。
「生きてるよ。キミだって生きてる」
確かにあの時死んだはずだった。
でも――
名前はどうしてなのか湧き上がってくる疑問も、この奇妙な空間の違和感もなにもかもに蓋をした。
今はそんなことどうでもいい。生きているならそれでいい。
「よかった……」
安堵からか瞳が潤む。
目頭が熱くなり、込み上げてくる熱情をこらえるように笑った。
「本当によかった」
温もりを確かめるようにファイに身を寄せる。
耳元から伝わってくる鼓動に名前はそっと目を閉じた。
抱き締めるでもなく腰に回されたファイの腕に包まれて、名前はひたすらにファイの存在だけを感じていた。
どのくらいそうしていたのか、過剰とも言える衝動が落ち着きつつある名前は、この状況に顔を赤くしていた。
――ど、どうしよう。
生きていることがはっきりとわかった今、どうしても先のことを考えてしまう。
自分から抱きついた手前、突き放すのも変だ。
それに別に離れたいわけじゃない。
――え、今、私なにを考えてた?
落ち着いて、普通に離せばいい。
普通に――と意を決したものの今となってはその普通が難しい。
ただ手を離せばいいんだろうか。でもそれでは伝わらないのでは。
堂々巡りを繰り返す名前の肩が震える。
よく見るとファイが身を震わせていた。
既視感に名前が眉をしかめる。
混乱していた名前の思考もだいぶ戻りつつあった。
「なにを笑っているんですか」
「“やっぱり”離れたくないんだー」
「やっぱりってなんですか。今離れようと思ってたんです」
無理やり体を引き離した名前は内心、安堵していた。
いつものペースだ。
ファイもまた変わらず飄々と笑っている。
その仮面染みた笑顔が今の名前にはちょうどよかった。
「さて、生きてたことだし、話でも聞きに行こうか」
「それですけど、ファイは最初から死なないと知っていたんですか?」
「んー、まぁ、ちょっと変だったからねぇ。――怒ってるー?」
「いえ。確証があったのでしたら、後は気分的なものですし――なかったんですか?」
はぐらかすように笑うファイに名前の口調が険しくなる。
「無茶苦茶です」
「それは名前ちゃんも一緒だよー。知らなかった分よっぽどタチが悪いかなぁ」
瞳だけで諌めるファイに名前は眉を下げた。
「どっちにしても黒様のお叱りが待ってるだろうねぇ」
「あー、あぁ……」
心当たりがある名前は苦悶するように唸っていた。
――――
「ゲスト番号、辺得多(ベータ)――435691、死亡。桜都国より強制退去となりました」
一定的な電子音とともに、カプセルに入っていた小狼が目を覚ます。
死に際の心象に引き摺られているのか頭を抱えたまま、辺りを見渡す小狼にファイがカプセルをノックする。
「ファイさん!」と、小狼が気付くと同時に自動的にカプセルが開いた。
「……良かった」
カプセルの外で手を振っていたファイに、頭を抱えたまま小狼が安堵する。
「生きててー?」
鉄骨の隙間を縫うように設けられた広い通路に出たファイは笑顔で返していた。
「えへへー、死んだんだけどねぇ。桜都国では」
不思議そうな顔のまま小狼が後に続く。
「オレ達の方が先に死んだからちょっと聞いてまわっといたんだー。ここは桜都国じゃないんだよぉ。というかー、桜都国は現実には存在しない」
道の突き当たりに辿り着くと自動的に扉が開き、眩い光とともに賑やかな声がこぼれた。
深いソファーに沈み込んだように力が入らない。
意識が判然としないまま名前は虚ろな瞳で蜘蛛の巣のように張り巡らされた鉄骨を眺めていた。
自分は死んだのだろうか。なんだか実感がわかない。
けれど脱力しきった身体は綿のように軽く、あると言う認識だけが見せている幻に思えた。
確かなのは死ぬ間際に感じた恐怖と痛み。その恐怖さえ薄れかけている。
ともすればどうしてファイを庇ったのかさえ消えかけていた。
そのファイはどうなったのだろう。魔法を使って逃れたのだろうか。頑なに使わなかったのだろうか。
だとしたら――
頭上に張り巡らされたアーチ型の鉄骨の接点には、今自分が入っている物と同じ卵型のカプセルが乗っている。
開いているものもあれば閉じているものもある。
出てくる人間は残念そうな者もいれば、満足気な者もいる。
不快感を示している者もいたが、理不尽さに腹を立てているような一過性の感情で、すでに次のことに意識を巡らせている。
とても死んだ人間の表情とは思えなかった。
それは名前とて同じだったが、他の人間との感覚に奇妙な溝を感じていた。
不意に隣にあるカプセルが電子音とともに誰かの死を告げる。
開いていくカプセルの中にいたのは、さっき死別したはずのファイだった。
現状を把握したらしいファイが名前を見とめて眉をひそめる。
名前は苦い顔をするファイの真意を探る余裕もなく、側に行きたい衝動に駆られた。
カプセルから身を乗り出し、ファイの元へ繋がっている鉄骨の上を足早に通り過ぎる。
「走ると危ないよ」
すでにカプセルから出ていたファイの忠告も聞かずにファイの頬に触れた。
「あったかい……」
意図を理解したファイが困ったように笑う。
「生きてるよ。キミだって生きてる」
確かにあの時死んだはずだった。
でも――
名前はどうしてなのか湧き上がってくる疑問も、この奇妙な空間の違和感もなにもかもに蓋をした。
今はそんなことどうでもいい。生きているならそれでいい。
「よかった……」
安堵からか瞳が潤む。
目頭が熱くなり、込み上げてくる熱情をこらえるように笑った。
「本当によかった」
温もりを確かめるようにファイに身を寄せる。
耳元から伝わってくる鼓動に名前はそっと目を閉じた。
抱き締めるでもなく腰に回されたファイの腕に包まれて、名前はひたすらにファイの存在だけを感じていた。
どのくらいそうしていたのか、過剰とも言える衝動が落ち着きつつある名前は、この状況に顔を赤くしていた。
――ど、どうしよう。
生きていることがはっきりとわかった今、どうしても先のことを考えてしまう。
自分から抱きついた手前、突き放すのも変だ。
それに別に離れたいわけじゃない。
――え、今、私なにを考えてた?
落ち着いて、普通に離せばいい。
普通に――と意を決したものの今となってはその普通が難しい。
ただ手を離せばいいんだろうか。でもそれでは伝わらないのでは。
堂々巡りを繰り返す名前の肩が震える。
よく見るとファイが身を震わせていた。
既視感に名前が眉をしかめる。
混乱していた名前の思考もだいぶ戻りつつあった。
「なにを笑っているんですか」
「“やっぱり”離れたくないんだー」
「やっぱりってなんですか。今離れようと思ってたんです」
無理やり体を引き離した名前は内心、安堵していた。
いつものペースだ。
ファイもまた変わらず飄々と笑っている。
その仮面染みた笑顔が今の名前にはちょうどよかった。
「さて、生きてたことだし、話でも聞きに行こうか」
「それですけど、ファイは最初から死なないと知っていたんですか?」
「んー、まぁ、ちょっと変だったからねぇ。――怒ってるー?」
「いえ。確証があったのでしたら、後は気分的なものですし――なかったんですか?」
はぐらかすように笑うファイに名前の口調が険しくなる。
「無茶苦茶です」
「それは名前ちゃんも一緒だよー。知らなかった分よっぽどタチが悪いかなぁ」
瞳だけで諌めるファイに名前は眉を下げた。
「どっちにしても黒様のお叱りが待ってるだろうねぇ」
「あー、あぁ……」
心当たりがある名前は苦悶するように唸っていた。
――――
「ゲスト番号、辺得多(ベータ)――435691、死亡。桜都国より強制退去となりました」
一定的な電子音とともに、カプセルに入っていた小狼が目を覚ます。
死に際の心象に引き摺られているのか頭を抱えたまま、辺りを見渡す小狼にファイがカプセルをノックする。
「ファイさん!」と、小狼が気付くと同時に自動的にカプセルが開いた。
「……良かった」
カプセルの外で手を振っていたファイに、頭を抱えたまま小狼が安堵する。
「生きててー?」
鉄骨の隙間を縫うように設けられた広い通路に出たファイは笑顔で返していた。
「えへへー、死んだんだけどねぇ。桜都国では」
不思議そうな顔のまま小狼が後に続く。
「オレ達の方が先に死んだからちょっと聞いてまわっといたんだー。ここは桜都国じゃないんだよぉ。というかー、桜都国は現実には存在しない」
道の突き当たりに辿り着くと自動的に扉が開き、眩い光とともに賑やかな声がこぼれた。