Crying - 512

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「ゆっくりで良いよー、サクラちゃん」
 皿を洗う桜に離れた場所で他の食器を磨いていたファイが声をかける。
 鬼児狩りの二人が市役所に向かい、来客のない今、名前達は裏に引っ込み食器類の片づけに手を付けていた。
 モコナは桜の洗ったお皿を拭き、名前は食器類以外の戸棚の整理していた。

「はい、でも、もうちょっとだから」
「頑張るねー」
 大量にあるお皿を一枚一枚、丁寧に洗浄する彼女に感嘆の息が洩れる。
「一緒に旅してるみんなにわたし、何も出来ないから、出来る事だけでも頑張りたいんです。いつか、少しでも辛いことを分けてもらえるよう……に」
「きゃー! サクラ危ない!」とモコナの悲鳴が反響した。

 ふらりと倒れ落ちる桜を受け止めようとして名前の服が取っ手に引っ掛かる。
 解けた頃にはファイが彼女を受け止めていた。
「本当に良い子だね、サクラちゃん。他に構ってる暇なんてない筈のオレが幸せを願ってしまうくらい」
 欠けた仮面から彼の本心がこぼれ落ちる。
 倒れた彼女をソファーに寝かせに行くファイと視線が重なり、曖昧に微笑んだ。
 動かない足が閉じられていく扉を黙って見つめる。

「サクラどう?」
「大丈夫ー。よく寝てるよ。最近ずっと頑張って夜以外は起きてたからねぇ」
 扉越しに聞こえてくる声に、名前がそっとドアノブに手を伸ばす。
「ファイ」
 モコナの神妙な声に名前は手を止めた。


「ん? なぁに?」
「ファイ、前におっきな湖があった国で言ってたよね。笑ったり楽しんだりしたからって、誰も小狼君を責めないって」
「うん、それがどうかした?」
「ファイの事もね、誰も叱らないよ。小狼もサクラも黒鋼も名前も、みんな」

「オレ、いっつも楽しいよぅー」
「でも、笑ってても違う事考えてる」
「モコナは本当にすごいなぁ」
「モコナ、108の秘密技のひとつだよ。
 寂しいひとはね、分かるの。ファイも名前も黒鋼も小狼も、どこか寂しいの。でもね、一緒に旅してる間にその寂しいがちょっとでも減って、サクラみたいなあったかい感じがちょっとでも増えたらいいなって、モコナ思うの」

 どこか寂しい――
 そんな風に考えたことなんてなかった。
「そうなるといいね」
 ファイの哀愁帯びた声が反響する。
 そうなればいいと願っている時点で本当は諦めてるのかもしれない。


「いらっしゃいませー」
 来客らしく、テンション高く迎えるファイの姿が目に浮かぶ。
 偽りでも嬉しく思う人がいることも事実で、けれどそれがいいことなのか悪いことなのか皆目検討もつかなかった。

 手伝いをするため扉を開けると、二つの視線が突き刺さった。
 ファイと、義眼なのか右目が白い一見人の良さそうな黒髪の男。
 クロークで身形を隠した男は、小狼達を見ていた人影によく似ていた。
 彼が新種の鬼児であってもなくても、良客でないことは察しがついた。
 笑顔なのに空気が火花を撒いたようにびりびりとし、目の奥は凍てつくような冷徹さを携えている。

「ここに鬼児狩りがいますよね」
「そうですが、今はちょっと外出中ですー」
「あなたは違うんですか?」
 穏やかな笑顔を浮かべて見せた男に、ファイもまた緩んだ顔で応じた。
「オレはここでカフェやってますー」

「それだけの魔力があるのに?」
 冷淡な顔に戻した男の冷めた声に、ファイは張り付けた笑顔のまましばらく黙っていた。
「貴方もね」とファイの瞳に影が混じる。

「で、『ワンココンビ』に何の御用でしょう?」
 本題に移ったファイに、男はニヒルな笑みを浮かべた。
「消えてもらおうと思って」

 彼の周りから黒々とした影のようなものが沸き立ち、天井を突き破りそうな巨大な鬼児が二対姿を現す。
 炎のように風に靡くつかみどころのない身体。牙を剥き出しにした鬼児は、鎌状の手や鉤爪のような手で今にもファイを引き裂いてしまいそうだった。

「あー、貴方、ひょっとして星史郎さん? 小狼君に戦い方を教えてくれたっていうー」
「小狼をご存じなんですか?」
「はい、一緒に旅をしてますからー」
「異なる世界を渡る旅ですか? 小狼に世界移動の力はなかった。ということは『次元の魔女』に対価を渡したのかな」

「貴方もですかー? 貴方は凄い『力』の持ち主のようだけれどー、世界を渡る魔力はその右目の魔法具によるものでしょう?」
「さすがですね。これを得る為に対価として本物の右目は魔女に渡したので」
「けれど、その目の魔力は『回数限定』ですよねぇ。渡れる世界の回数が限られてる」

「ええ、だから、少しでも可能性があるなら無駄にしたくはないんです。僕が探している二人に会う為に」
 鬼児が手を振り下ろし、瞬時にファイが後方に飛びずさる。
 鬼児の鋭く尖った手が床を突き破り、半壊したテーブルやイスが周囲に散乱した。

「ファイ!」とモコナの悲痛な声が響く。
「サクラちゃんの側を離れないで!」
 降り注ぐ二対の鬼児の攻撃から身を躱しながらファイがモコナに声をかける。
 モコナはソファで眠る桜に寄り添っていた。
 家具ごとファイのいる場所を貫こうとする鬼児の攻撃を避け、着地したファイが顔を歪める。

「足を痛めてるんですね。魔力を使えばもっと楽に逃げられるでしょう」
「でも、魔力は使わないって決めてるんでー」
「じゃあ、仕方ありませんね」

 躊躇なく飛びかかった鬼児にファイが飲み込まれる。
 束の間、鬼児の動きが止まった。
 間に割り込んだ鏡の盾が砕け散る。
 鬼児の身体を貫通した鋭利な破片は、星史郎の瞳をすり抜け壁に突き刺さっていた。
 気に留めるでもなく、首を傾けるだけで躱した星史郎の冷めた瞳が名前を捉える。

「あなたの方が邪魔なようだ」
 鬼児が身を翻し視界を黒く塗り潰す。
 今更になって恐怖が身を震わせた。
 固く瞑った瞼が激痛に見開く。

 意識が暗闇に引きずり込まれる間際、泣きそうな顔で見つめるファイが見えたような気がして、名前は苦し紛れに笑みを浮かべた。
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