Crying - 511

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「お帰りなさ――小狼君!」
 全身に傷を負ったずぶ濡れの小狼に、笑顔で迎えた桜の表情が曇る。
「小狼いっぱい怪我してる!」とモコナが桜の側に飛び移っていた。
「また鬼児に出会(でくわ)したー?」
「いえ。あ、着替えてきますね」

 端的に答えた小狼が別室に移ってしまう。
 心配げに閉じられた扉を見つめる桜に、ファイがカウンターから容器を差し出した。
「サクラちゃん、これ。傷薬、もってってあげて」
「はい!」と桜がモコナと共に一目散に小狼の部屋へ駆けていく。

 扉が閉まるのを待ってからファイが口にした。
「あれは剣の訓練のせいー?」
「酔ってたんじゃなかったのかよ」とカウンターに腰掛けた黒鋼が目を三角にさせる。
「あの時はまだちょっと意識あったんだー。その後は目が覚めたらベッドの上だったけどー」
 鬼ごっこの一部始終もその間にあった出来事もファイにとっては、無意識だったらしい。
 無意識だから本心が出たのか、無意識だから無関係の事を口にしたのかまではわからなかった。

「初日から相当厳しい先生みたいだねぇ」
「あのガキがそう望んだからな」
「でも、確かに急いだほうがいいかもしれないね」とファイは黒鋼の前にパンと紅茶の乗ったトレーを置いた。「織葉さんが言ってたでしょー。『桜都国の鬼児は鬼児狩りが誤って一般市民を傷つけてしまわないようにみな異形』だって。それってつまり、『鬼児は意図的に作り出されたものだ』ってことだよねぇ」

「この国の鬼児って管理された“狩りの標的”みたいなものじゃないのかなぁ。それなら市役所が鬼児の動向を把握してるのも分かるしー。それなのに最近鬼児の動きがおかしいらしいしねー」
「それと」とファイが瞳を鋭くさせる。
「新種の鬼児、か」
「サクラちゃんの羽根が関わってるのかもしれない」



「号外、号外ー!」
 紙を撒き散らしながら駆けていく少年に、名前は地面に散らばった紙を一枚取り上げた。
 読めない記事の内容が周囲の人間の口から吐き出される。
 鬼児が人を襲ったと書かれているらしい。
 記事にされるぐらいなのだから、話題の人物は――

 そこまで考えて、見ず知らずの人間の鋭利な視線に気がついた。
 背筋が凍るような憎悪に体が強張る。
 なぜ憎まれているのか得体のしれない人間に、名前は半歩下がって素早く身を翻した。
 ゆったりと動く街の流れに逆らって、喫茶店への道をひた走る。
 手にしていた買い物袋ががさがさと音を立てた。

 脇道から飛び出してきた子供にぶつかりそうになり、前のめりになりながら慌てて足を止める。
 平坦な道の先、元いた場所を振り返っても行き交う人で見えなくなっていた。
 一体なんだったのだろう。
 自分のことを見ていたわけではなかったのだろうか。
 名前は腑に落ちないながらも、頼まれたものを届けるため喫茶店へと足を速めた。



 小気味よい音が鳴り、業務用の大きな小麦粉の袋を両肩に担いだ黒鋼が口をへの字に曲げて入ってくる。
 朝方小狼が頼まれていたようだったけれど、鍛練中で黒鋼が代理で買ってきたらしい。

「あの酒場にもう一度行って来た」
 のろのろと食器を下げていた名前は黒鋼の言葉にカウンターの側で足を止めた。
「“白詰草”(クローバー)?」とファイが返す。
「そうだ」
「いいなー、いいなー。オレも飲みたかったなー」
「おまえは飲むな!」
 真っ先に一蹴した黒鋼に名前は深く頷いた。

「新種の鬼児のことを尋ねに、だ。新種の鬼児は人の姿をしといたんだろう。なのに何故あの女はそいつが鬼児だと分かったんだ?」
「どうしてだって?」とファイは腰を下ろした黒鋼の前に紅茶を置いた。
「この国では小競り合いやケンカ以上の人間どうしの諍いは御法度なんだと。けどな、そいつは鬼児を使って鬼児狩りを襲ったんだとよ」

 黒鋼の顔が険しくなる。
 鋭い瞳はほんの少し先刻の得体のしれない人間の瞳と類似していた。
「鬼児の仲間は、鬼児だろう」
 新種の鬼児が人の姿をしていたのだとしたら、あの時、小狼達を見ていた人影がそれだった可能性は高いかもしれない。
 無差別だったんだろうか。それとも何か別に目的があって――?

 食器を裏に運んだところで、表からベルの音が鳴った。
 常連客の譲葉と草薙、黒鋼が呆気にとられた蘇摩の三人だ。
 大剣を持った龍王は一緒ではないらしい。

「はあー、もう本当に何でこんなに美味しいのかな。何個でも食べちゃうよここのケーキ」
 譲葉がカウンターでケーキを満喫する。
「今日のはサクラちゃんが作ったんだよ」
「モコナも手伝ったのー」
 カウンター内にいる桜は焦ったように視線を彷徨わせていた。

「しかし、龍王の奴遅ぇな」と黒鋼の隣に腰掛けた草薙が戸口を顧みる。
「また無茶なさってないと良いのですが……」
 蘇摩の心配を的中させるかのように盛大にベルが鳴り響いた。
 乱雑に開かれた扉の前にはその場に座り込み肩で息をする龍王と、同じように全速力で走って来たらしい小狼が息を切らしていた。

「どうしたの?」
 尋常じゃない様子の二人にファイが眉をひそめる。
「新種……の、鬼児に、会っ……た」
 息も絶え絶えに吐き出した龍王に譲葉が慌てて駆け寄っていた。
「戦ったの!?」
「いや、鬼児を従えてて、それが凄い数で……だから、そのまま逃げた……けど。でも、あれは絶対、強い!」

 大剣を握り締めたままの龍王に、桜が水を運んでくる。
 パートナーである蘇摩は心配そうにその様子を見つめていた。
 新種の鬼児の目的はわからないけれど、もしあの人影がそれなら二人が新種の鬼児に関わるのは二度目だ。
 それに、何事もなく逃げ切れたのも引っかかる。

「どうしたの、小狼君?」
 俯いたまま内に籠っていた小狼を桜が覗き込む。
 顔を上げた小狼の表情は硬かった。
「あの鬼児と一緒にいた人は、おれの知っている人かもしれない……。その人は、おれに戦い方を教えてくれた人です」
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