Crying - 510
酔っているにしては強い力で身体を引き寄せられる。冷えた手が背中に回され、金色の髪が首筋にかかる。
きつく抱きしめられた瞬間、身体が熱くなった。
火照った体に心臓が張り裂けんばかりに脈打つ。
くらくらする頭に無理やりファイの身体を突き飛ばした。
「ごめん……」
離れる寸前、耳に入ったファイの声に名前が目を瞠る。
「どう言う――」
言いかけて、足音が間近に迫っていることに気が付いた。
早鐘を打つ心臓を必死に諌める。
「なにしてんだ?」
背後でドアを開く音が響き、そそくさとお酒の入ったコップを手に取った。
「大変そうですね」と平静を装う。
悠々と酒を飲む名前に何を感じたのか、
「てめぇは暇そうだな、おい」
こめかみを震わせる黒鋼に、内心安堵の息を漏らした。
「私はこの辺で。おやすみなさい」
満面の笑みを浮かべて階段の方へと一直線に向かう。
熱いシャワーでも浴びて早く眠ってしまいたい。
すれ違い様、後ろから襟元を聢と掴まれ制止させられた。
ニヒルな笑みを湛えた黒鋼に引っ張られ、
「黒、鋼、なに、を」
歩幅が違い、足元がふらつく。
黒鋼が急に立ち止まり背中に衝突すると、今度は黒鋼の前に引き摺り出された。
「猫には、マタタビだな」
解放され、ぼそりと届いた声に首を傾げる。
二階へ行く黒鋼はいつの間にかファイを担いでいた。
――私はマタタビですか。
言い知れない敗北感を感じながら、夜が更けていく。
飲酒禁止にすればよかった、と誰もいない室内に嘆いた。
――――
「お待たせ致しました」と名前が注文の品をテーブルに移す。
なんとかお盆を綺麗なまま保てていた。
未だに椅子を蹴飛ばしそうになるけれど、以前に比べれば断然、落ち着いている。
次の品を運ぼうとカウンターに踵を返すと、二日酔いらしいファイがカウンターに手をつき、もたれ掛かるように水を飲んでいた。
「おはようございます。二日酔いが酷いようですね」
「んー、なんか怒ってるー?」
頭に響くのか、顔を歪ませる彼にいいえと微笑む。
別にマタタビ扱いされたことを根に持っているわけではありません。
「名前ちゃんは大丈夫なんだー?」
「特に何ともないですね。それより、昨日のこと――」
注文を受けて早足で戻ってくる桜に口をつぐんだ。
彼女の肩にはモコナが乗っている。二人とも二日酔いとは縁遠く、爽やかな面持ちで手際よく仕事をこなしていた。
「お仕事楽しいですか?」
「うん! 運ぶのは難しいけど、色んな人がおいしいって言ってくれて、それに、小狼君も頑張ってるから」
「健気ですね。いじらしいぐらいに」
華奢で脆く、今にも壊れてしまいそうな肩に頭を預けると、後ろから、
「それも、セクハラなのかなぁ?」
眉間に皺を寄せたままファイがへらりと笑った。
「では、ファイのはヤキモチですね」と名前が桜の後ろに回り肩を抱く。
モコナもまた、「ヤキモチだー」と桜の頬に顔を寄せていた。
二日酔いのせいか、笑っているのか笑っていないのかよくわからない顔のままなにも言わないファイに、二人の方がと桜が呟く。
元の位置に戻り首を傾げると、トレーを口許に当てて名前とその斜め後ろにいるファイをしばらく見つめていた。
「ううん、なんでもない」
欣喜とした笑みを浮かべた桜がすっかり放置していた客の存在に逸早く気づき、トレーを片手にケーキが置いてある方へ駆けて行く。
ファイと名前は顔を見合わせた。
「楽しい、健気、いじらしい。どれだと思います?」
「名前ちゃんだけなら最後ー?」
「二人ですよ。勝手に切り離さないでください」
一人だと適当な返答しかしないなと名前は呆れていた。
くだけた笑みを浮かべたファイが、カウンターに頬杖をつく。
「なんか、恋人みたいだねぇ。そんなに、オレと離れたくないんだー」
「二日酔いは脳に異常を来すんですね。しばらく休んだほうがいいと思います」
「名前ちゃんが看病してくれるなら」
「毒を盛っていいなら任せてください」
冷淡な顔で返すと、
「すみません」と、アルトの男性味溢れる声が飛んできた。
骨惜しまない桜に任せっきりにしてしまったことに眉をひそめる。
「辛いのなら休んでください。あなたが倒れてしまうよりはみんなずっと喜びます。迎えてくれる笑顔があるのとないのとでは計り知れない落差があるんです。例え、胸中、別のことを考えていたとしても」
「ちょっと、わかったかもー」
素直なファイに後ろ髪を引かれ、去ろうとしていた足が止まる。続いた言葉に眉間に皺が寄った。
「サクラちゃんの言いたかったこと」
日が暮れ、名前はようやく一息ついた。
人に溢れ忙しなかった喫茶店も閉店の札が下げられ、今は営む四人だけだ。
「ファイ、平気ー? 今日お客さんいっぱいだったもんねー」とモコナがカウンターを磨き、
「うんー、随分ましになったよー。頭も痛くなくなってきたしー」とファイがトレーを磨く。
桜はカウンター側のテーブルを、名前は壁側のテーブルを拭いていた。
片づけも終盤に差し掛かった頃、戸口が開き来客を知らせるベルが鳴った。
きつく抱きしめられた瞬間、身体が熱くなった。
火照った体に心臓が張り裂けんばかりに脈打つ。
くらくらする頭に無理やりファイの身体を突き飛ばした。
「ごめん……」
離れる寸前、耳に入ったファイの声に名前が目を瞠る。
「どう言う――」
言いかけて、足音が間近に迫っていることに気が付いた。
早鐘を打つ心臓を必死に諌める。
「なにしてんだ?」
背後でドアを開く音が響き、そそくさとお酒の入ったコップを手に取った。
「大変そうですね」と平静を装う。
悠々と酒を飲む名前に何を感じたのか、
「てめぇは暇そうだな、おい」
こめかみを震わせる黒鋼に、内心安堵の息を漏らした。
「私はこの辺で。おやすみなさい」
満面の笑みを浮かべて階段の方へと一直線に向かう。
熱いシャワーでも浴びて早く眠ってしまいたい。
すれ違い様、後ろから襟元を聢と掴まれ制止させられた。
ニヒルな笑みを湛えた黒鋼に引っ張られ、
「黒、鋼、なに、を」
歩幅が違い、足元がふらつく。
黒鋼が急に立ち止まり背中に衝突すると、今度は黒鋼の前に引き摺り出された。
「猫には、マタタビだな」
解放され、ぼそりと届いた声に首を傾げる。
二階へ行く黒鋼はいつの間にかファイを担いでいた。
――私はマタタビですか。
言い知れない敗北感を感じながら、夜が更けていく。
飲酒禁止にすればよかった、と誰もいない室内に嘆いた。
――――
「お待たせ致しました」と名前が注文の品をテーブルに移す。
なんとかお盆を綺麗なまま保てていた。
未だに椅子を蹴飛ばしそうになるけれど、以前に比べれば断然、落ち着いている。
次の品を運ぼうとカウンターに踵を返すと、二日酔いらしいファイがカウンターに手をつき、もたれ掛かるように水を飲んでいた。
「おはようございます。二日酔いが酷いようですね」
「んー、なんか怒ってるー?」
頭に響くのか、顔を歪ませる彼にいいえと微笑む。
別にマタタビ扱いされたことを根に持っているわけではありません。
「名前ちゃんは大丈夫なんだー?」
「特に何ともないですね。それより、昨日のこと――」
注文を受けて早足で戻ってくる桜に口をつぐんだ。
彼女の肩にはモコナが乗っている。二人とも二日酔いとは縁遠く、爽やかな面持ちで手際よく仕事をこなしていた。
「お仕事楽しいですか?」
「うん! 運ぶのは難しいけど、色んな人がおいしいって言ってくれて、それに、小狼君も頑張ってるから」
「健気ですね。いじらしいぐらいに」
華奢で脆く、今にも壊れてしまいそうな肩に頭を預けると、後ろから、
「それも、セクハラなのかなぁ?」
眉間に皺を寄せたままファイがへらりと笑った。
「では、ファイのはヤキモチですね」と名前が桜の後ろに回り肩を抱く。
モコナもまた、「ヤキモチだー」と桜の頬に顔を寄せていた。
二日酔いのせいか、笑っているのか笑っていないのかよくわからない顔のままなにも言わないファイに、二人の方がと桜が呟く。
元の位置に戻り首を傾げると、トレーを口許に当てて名前とその斜め後ろにいるファイをしばらく見つめていた。
「ううん、なんでもない」
欣喜とした笑みを浮かべた桜がすっかり放置していた客の存在に逸早く気づき、トレーを片手にケーキが置いてある方へ駆けて行く。
ファイと名前は顔を見合わせた。
「楽しい、健気、いじらしい。どれだと思います?」
「名前ちゃんだけなら最後ー?」
「二人ですよ。勝手に切り離さないでください」
一人だと適当な返答しかしないなと名前は呆れていた。
くだけた笑みを浮かべたファイが、カウンターに頬杖をつく。
「なんか、恋人みたいだねぇ。そんなに、オレと離れたくないんだー」
「二日酔いは脳に異常を来すんですね。しばらく休んだほうがいいと思います」
「名前ちゃんが看病してくれるなら」
「毒を盛っていいなら任せてください」
冷淡な顔で返すと、
「すみません」と、アルトの男性味溢れる声が飛んできた。
骨惜しまない桜に任せっきりにしてしまったことに眉をひそめる。
「辛いのなら休んでください。あなたが倒れてしまうよりはみんなずっと喜びます。迎えてくれる笑顔があるのとないのとでは計り知れない落差があるんです。例え、胸中、別のことを考えていたとしても」
「ちょっと、わかったかもー」
素直なファイに後ろ髪を引かれ、去ろうとしていた足が止まる。続いた言葉に眉間に皺が寄った。
「サクラちゃんの言いたかったこと」
日が暮れ、名前はようやく一息ついた。
人に溢れ忙しなかった喫茶店も閉店の札が下げられ、今は営む四人だけだ。
「ファイ、平気ー? 今日お客さんいっぱいだったもんねー」とモコナがカウンターを磨き、
「うんー、随分ましになったよー。頭も痛くなくなってきたしー」とファイがトレーを磨く。
桜はカウンター側のテーブルを、名前は壁側のテーブルを拭いていた。
片づけも終盤に差し掛かった頃、戸口が開き来客を知らせるベルが鳴った。