Crying - 508

≪Prav [57/72] Next≫
 ――鬼児だ。
 咄嗟に振り翳した箒が烏を斜めに叩き斬る。が、一瞬腹部が融けた烏はすぐに再生し飛びかかって来ていた。
 変だ。来た時もそうだけど、一般人は襲わないんじゃないのか。
 寸でのところで身を躱すも、攻撃の手を緩めない鬼児に表へと逃げる。
 と、銃声や声が耳を打った。

「名前さん!」
 小狼の切羽詰った声が響く。
 飛び上がり、上空にいた鬼児を蹴りつけた小狼に、
「ありがとう」
 ほっと安堵の息を漏らした。

「サクラと一緒に店の中へ――」
 言いかけた小狼に、騒ぎの中心部に聳え立った巨大な黒い影へ意識が集中する。
「イの四段階ですね」と聡明そうな綺麗な女性が口にし、
「みんな手出すなよ!」と大剣を構えた少年が他の譲葉や草薙を含む三人に告げた。
「海龍波!」
 振り下ろされた大剣から放たれた地を這う斬撃が巨大な鬼児を一撃で討ち果たす。
 消失するように分解した黒い影が液体化し上空で固まり出していた。

「待て! 妙だ!」と草薙が叫ぶ。「“イの四段階”の鬼児は形態を変えないはずだぞ!」
 液体のように波打つ黒い影から頭部のようなものが形成され、巨大な人型の鬼児が少年の前に立ちはだかる。
 鎌のような手を鞭のようにしならせた鬼児に、
「龍王!」
 草薙の緊迫した声が轟いた。

 少年――龍王に振り下ろされた刃の間に割って入った人影が、手で持っていたもので斬撃を受け止める。
「すまん! 油断した」
「いや」
「しかし、どうなってんだ一体……」
 襲うはずのない一般人を襲い、前例のない家への侵入と形態変形。
 攻撃をしのいだ小狼と龍王は、妖しく光る満月を背に立つ鬼児を前に身構えていた。

 鬼児の異様に伸びた手が二人のいた場所に叩きつけられ地面が割れる。
 左右に分かれて飛び退いた二人だったが、小狼の足首に手の先端が巻きついた。
 足取られた小狼が背中を地面に打ち付ける。
 顔を歪めた小狼に駆け寄ろうとした桜を譲葉が庇い、引き留めていた。


 縄のように締めつける手に振り回されるがままだった小狼が木に叩きつけられる寸前――
「海王陣!」
 龍王の龍のような形を帯びた四列の斬撃によって逃れていた。

 右半身で受け身を取った小狼を、
「お前、武器は!?」と龍王が一瞥する。
「武器!?」
「“ロ”より上の鬼児は素手じゃ倒せないだろ! 武器はどうした!?」
 打ち撓る鬼児の手に二人が両サイドに飛び避ける。

「鬼児が強すぎます!」と女性が口にし、
「手ぇ出すぞ! 龍王!」
 草薙が身構える。
「仕方ねぇ!」
 龍王の声に四人それぞれがパートナーと共に一斉に鬼児に飛びかかっていた。
 四方からの攻撃に逃げ場なく鬼児が崩れ落ちる。融けて消えて行く鬼児に、
「二人とも、怪我は!?」と桜がモコナとともに駆け寄っていた。
「大丈夫ですよ」と小狼が笑みを浮かべる。

「くっそー! 結局一人で倒せなかったー!」
「龍王の実力とは関係ないよ。あの鬼児ヘンだったもん」
 床に剣を突き立て歯噛みする龍王に、譲葉が言った。
「よかった。傷は深くないようですね」
 小狼の怪我を見ていた綺麗な女性に小狼が立ちあがると、亀裂の入った桜型の電子財布を差し出していた。

「咄嗟にこれを使って鬼児の攻撃を受け止めてしまって……すみません」
「市役所で再発行してもらえば大丈夫ですよ。それより、龍王を助けて下さって有り難う御座いました」
 受け取った女性が笑顔を返す。
「やっぱりここの所妙だぞ。この国は」と草薙が神妙な顔をしていた。

 黒い空に還るように黒い液体が満月に向かって伸びていく。
 小狼達とは少し離れた場所に立っていた名前は、電柱の上から騒ぎの中心を見下ろしている人影に気付いていた。
 クロークのフードを目深に被った人影が電柱の上から姿を消す。
 ――嫌な予感がする。
 虫の知らせのようにざわめく桜の木に名前は人影の消えた先を見つめていた。



 ほどなくしてファイの呑気な声が聞こえてきた。
「たっだいまー」
「ファイさん!?」
 黒鋼に担がれているファイに小狼が目を丸くする。
「どうしたのですか?」
 名前は怪我しているらしい左足に目を留めた。
「ちょっと鬼児に遭遇してドジっちゃってー」とファイがへらへらと笑う。「あり? お客さん?」
 来客に気を留めた瞬間――ファイが黒鋼の手から滑り落ちた。

「わっ!」と小狼と桜が目を見開く。
「わ〜」と落下した本人は動揺しているのかよくわからない声を上げていた。
 寧ろ、落とした人物の方が動揺している。

「蘇摩」
 呆然と呟いた黒鋼は、
「なんでここに!? 知世姫も一緒なのか!? まさか、“天照”も同行してんのか!?」
 らしくない慌てた様子で綺麗な女性に口早に問いかけていた。
「あ、あの。確かに私は蘇摩です。でも、貴方とお会いするのは初めてだと思うのですが」
「え」

 愕然とする黒鋼の表情に名前は目を瞬くと、密かに笑った。
 なんだか少し残念そうに見えてしまったからでもある。
 よほど会いたかったのだろう。知世姫に。
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