Crying - 415

≪Prav [48/72] Next≫
 崩れ落ちた壁から押し寄せる水を避けて出口を目指す。
 勢いを増していく川の上を渡り終わると、一直線に走っていた光が消えていた。
 疲れきったのか川の岸辺で子供達が眠りに落ちる。
 子供達に外套をかけるグロサムに名前は目を側めた。

「おい、来ないぞ!」と男が焦眉の声を上げる。
「川の流れが速くなった! これ以上流れが速まると渡れなくなる!」
 切迫するグロサムに、男が喚いた。
「本当に二人は来るのか!?」
 川に迫出した岸の縁で黙り込んだまま答えない二人に、男がやきもきする。

 急いても仕方ない。それに――
 目を開いた二人が川を見つめた。
「――来た」と黒鋼が呟く。
 水飛沫をあげ、水中から姿を現した小狼に黒鋼は手を伸ばしていた。

「ひゅー。“やった”ねー、小狼君」
 ゆるく笑うファイの横で、男がまじまじと小狼を見つめる。
 気を失った桜をしかと抱き抱えた小狼を黒鋼が引っ張り上げた。

「先生は!?」
「わ……かり、ません」
 傷だらけの身体で、息も絶え絶えに小狼が声を絞り出す。
「追ってこないってことは――」
 大きな音を立てて崩れ落ちた城から土煙が立ち上る。
 黒い空は崩壊を嘆くように白い涙を流していた。

「城と運命を共にした……かなぁ」
 ファイの言葉に、名前の胸が軋む。

 子供達の失踪も小狼や桜が負った怪我も、すべてカイルの企みによるものだ。心配していた素振りも偽りだったのだろう。名前自身、グロサムが犯人だと思い込んでいたのはおそらく暗示のせいだった。
 カイルが消えた今、グロサムがしたわけではないことぐらいわかっている。それでも、あの時見たはずのカイルの表情は思い出せないままだった。

 あの時、滲んだ視界に映った肩から落ちる雪が、深夜に会った彼を再起させる。
 人の良さそうな笑顔を浮かべたカイルの姿ばかりが脳裏に浮かび、カイルのかけた暗示が棘のように胸に刺さっていた。


 ふいに途絶えた冷気に顔を上げる。
 名前に外套をかけるファイの顔が目の前にあった。
「ファイ……」
 硬直する名前の首をしなやかな指が滑る。
「跡がついてる」と冷たい瞳が名前を見返す。
 怒っていることに気付いた名前はなにも言えずに目を逸らした。

「――いぅ」
 つままれた頬に、変な声がこぼれる。
「心配したんだよー」と対応が気に食わなかったのか、影のある笑みを浮かべたファイの顔が近づいた。「ごめんなさいもないのかなぁ?」
 頬から離れた手に、名前の口から茫然とした声がこぼれる。
「ごめんなさい」

 何とも言えない顔で離れていくファイに、名前は腕をつかんで引き寄せた。
「ありがとう」
 蒼い瞳が間近で大きくなる。けれど、すぐにへらりと笑っていた。

「寒いのは慣れてるからねぇ」
「え、や、それもあるけど――」
「んー?」
 悪意にも思えてきたファイの笑顔に、名前は真顔に戻した。

「わざとですね。これ返しませんよ」
「えー、さすがに風邪ひいちゃうかも」と、不意にファイの笑顔がつかみどころのないものに変わる。「でも、それもいいかなー」
「風邪のどこがいいんです?」
「看病してもらえるでしょー。“つきっきりで”」
 意味深に笑うファイに、名前は苦虫を噛み潰したような顔をした。




「――みんな嬉しそう!」と窓の外を差してモコナが言った。
 抱懐し合う子供達とその両親。涙ぐみ、再会を歓喜する町人達を見つめながらファイが窓を閉める。
 おそらく、今も眠っている桜への配慮だろう。
 窓の縁から飛び降りたモコナはファイの肩によじ登っていた。

「カイル先生は子供達を傷つけたりはしなかったみたいだしねぇ」
 子供達の姿を見つめるファイに、名前は脱いだファイの外套を手持無沙汰に見つめた。
「羽根を掘り出すための労働力だからな。わざわざ怪我させたりはしねぇだろ」
 淡々とした黒鋼にファイが桜の眠るベッドに近寄る。

「しかし、カイル先生が催眠術を使ってたとはねぇ……。でも、サクラちゃんが見たっていうエメロード姫は何だったんだろ? 先生、サクラちゃんにも催眠術かけてた?」
「そんな様子はなかったと思います」
 小狼の答えに攫われた時なら、と考えたがすぐに打ち消した。
 暗示をかけたのならカイル自身が不思議がる意味もない。

「じゃあ、羽根の力ー?」
「ソレだったらモコナが分かったと思う」
 ファイの手の上でモコナが腕を組み口をへの字に曲げて唸る。

「サクラ姫が視たのはエメロード姫の霊(スピリット)のようなものかもしれません」と小狼は愛おしげに桜を見つめていた。「サクラ姫は小さい頃から、死んだ筈の人や生き物を視たり話すことが出来たそうです」
「玖楼国の人ってみんなそうなのー?」
「いいえ。おれが知る限り、今は神官様とサクラ姫だけです」

「小狼君はー?」
 問われた小狼が忙しなく首を横に振る。
「黒るーは?」
「んなもん視えねぇ」
「名前ちゃんはー?」
「残念ながら」
「オレもそっちの力はないなぁ」
「幽霊だったら、モコナ視えないし感じない」
 顎に手を当て探偵気分で頷くファイとモコナに、名前は窓に凭れかかった。
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