Crying - 001

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 ――君が――死んだ。

 まがい物を乗せた担架が止まる。
 干からびた骸骨は、所々が崩れ落ち白い塊や粉が散乱していた。
 穿った両の目や剥き出しの歯からは生前の面影など微塵も感じさせない。
 人でなくなった物を、啜り泣く人間やまじまじと見つめる人間、青褪めた人間が取り囲っていた。

 鉄で覆われた狭い空間に重苦しいねっとりとした死の臭いが漂う。
 名前は開け放たれた入口のドアの端で佇んでいた。
 正面にある担架が運ばれてきた鉄の扉は閉じられ、上部についた半月型の窓の網目だけが奥の空間と繋がっている。
 淡々と同じことを繰り返す無機質なその空間には、担架が入る程度の小さな扉がいくつも並び、横についている赤いボタンの側には終了時間が表示されていた。

 焼却炉のカウントが減る度に中にある死体は融け落ち、物へと変わっていくのだろう。
 骨が納められた骨壺を手に部屋を後にする親族に、名前は残された骸骨の残骸を目にすることもなく無表情のまま後に続いた。

 人の行動がつられたように重なるように、死も連鎖するのだろう。
 喪服の塊が至る所に点在していた。
 かちゃかちゃと食器を洗う音や、お茶を啜る音、談笑の声に、嘆く声。周囲を渦巻く感情がまるで溶けゆく死体のようにどろりと体にまとわりついた。

「あの子はどうするんだ。まだ未成年のようだが」
「そんなはずないわよ。あの人が連れてきたのはもう随分前なんだから」
「あの家古いし、もう取り壊してしまうんでしょ?」
「彼女、行く当てはあるのか?」
「知らないわ。成人しているのだし勝手にするでしょう」

 火葬場の入口端で行われている筒抜けの内談に、名前は出口へと向かった。
「あっけないな」と抑揚のない声がこぼれる。
 火葬場から立ち上る誰とも知れない煙は、同居人の姿を掻き消していくようだった。
 一緒に住むことをどちらが望んだのか今となっては覚えていない。
 彼の名すらももう思い出せずにいた。


「――持ち主に会ってきてほしい」
 家主を失った部屋の一室。
 色褪せた畳の上に捨て置かれた黒い立方体の箱が、薄れかけていた記憶を引っ張り出す。

「返すのではないのですか」
「返すかどうかは任せるよ。ま、返すだろうけどな」
「では返さずに壊しましょう。会わずに済みます」
 迷わず振り上げた名前に、わざとらしい狼狽えた声が上がった。「それはなし!」

「で、いったいその“持ち主”と言うのは誰で、どこにいるのですか?」
「“本当”の持ち主な。それは知らん」
「では無理です。諦めてください」
 きっぱりと言い切った名前に、いい大人である彼がいたずらっ子めいた笑みを浮かべた。「いいのか?」

「お前は確かに物欲に疎い。まるで執着心がない。同様に人に対しても言えることだが、それはなにも、本当に欲しくないわけではないだろう?」
「いいえ」
「単純に手に入らないことを諦めているだけだ」
「いいえ」
「諦め癖ってやつだな。無意識のうちに手に入らないイコールいらないに変換されている」
「いいえ」

「そんなお前にとってそれは、無意識を意識下に浮上させてくれる優れものだ」
「あなたの耳は、とても風通しがよさそうですね」
「ちなみにそれは、一度、受け取った人間の体を蝕んでいく恐怖の箱だ。ちゃんと返せば呪いは解ける。よかったな」
 もはや幼児か何かへの教訓に発展した彼を、名前は嫌悪感たっぷりに見返した。
「信じると思っているのですか?」


 丑三つ時――
 降り出した土砂降りの雨が窓を乱暴に叩き、すりガラスが今にも壊れてしまいそうなほどがたがたと震えていた。
 どうせ壊されてしまうのだからいっそ壊れてしまえばいい。
 これも壊れてしまえばよかったんだ。

 残された呪いの箱が彼のような身勝手な時を刻む。
 箱の蓋に埋め込まれた銀時計についているいくつもの針は、どれもまばらな方角を指し示していた。

 彼はああ言っていたけれど、何もすべてを諦めているわけじゃなかった。
 名前にだって諦めきれないものがある。
 眠りたいのだ。ずっとずっと、癒えるまで――

「それが、あなたの願い? 」
 手の下から――箱から――静謐な声が響く。
「違う」
 反射的に答えていた。
 あれは自分で叶えたいことだ。誰の手も借りない。借りたくない。

「なら、あなたの“本当”の願いはなに?」
 箱から離れていく手の下から時計が覗く。
 水面のように透き通った時計版には、黒髪の魅惑的な女性が映っていた。

 私の願いは――
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