Crying - 503

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 翌日、名前が目を覚ましたのは来客の侵入に遭った一階だった。
「なんで一階に?」
 毛布に包まれソファーで眠っている桜の横には、黒鋼が厳めしい顔で座っている。
 他の二人と一匹が不在のところを見ると、退屈しているのかもしれない。
「あいつに言え」
 こっちを見向きもせずに言った黒鋼になんとなく察しはついた。
 不在のメンバーはおそらく、市役所に昨夜の件と仕事の件で話に行っているのだろう。

「番犬も大変ですね」
「誰が番犬だ!」
 毛布の上でのほほんとした名前に黒鋼が鋭い眼差しを向ける。
「黒鋼」と改まった名前に黒鋼が真顔になった。
「お手」
 寝そべったまま差し出した手に黒鋼が殺気立つ。
 拳を震わせ、拳骨を食らわそうとする黒鋼をするりと躱し立ち上がった名前は目を細めて笑った。

「次はちゃんと避けます」
「爪が甘ぇがな」
 いつの間にか眼前に立ち、頭を押しつける黒鋼に名前は口を尖らせた。
「これはなしです」

 と、丁度帰宅したらしい二人が勝手口から顔を出す。
「ただいまー」
「ただいま帰りました」
 市役所に寄ったついでに買い物をして来たのか大袋を二つ手にしていた。

「おかえりなさい」と名前が飛び跳ねてきたモコナを抱きかかえると、黒鋼は無言のまま定位置に座り直していた。
「黒わんたいい子で待ってたー?」
「だから犬みてぇに呼ぶな!」
 飼い犬を愛でるように黒鋼の頭上を撫でるファイに、座り込んだまま黒鋼が怒鳴る。

「あのねぇ、仕事決めてきたよー」
「あぁ?」
「小狼君と黒わんは鬼児を倒して、んでお金持って来てー」
 人差し指を揺らしたり両手を差し出したりするファイに、黒鋼はにべもなく小狼へ話を振った。
「さっぱりだ。ガキ、説明しろ」
「はい」と話し込む二人に、ファイの背中に哀愁が漂う。
「えーん、黒わんころがほったらかしにしたー」と体を丸めて顔を両手で覆っていた。

「ファイ泣いちゃダメー」と名前の手から離れたモコナがファイにくっつく。
「番犬は主人を大切にすべきですよ」と名前は平素な顔で言った。
「嘘泣きはやめろ! てめぇも犬じゃねぇつってんだろうが!」
 黒鋼の怒りが収まるまで、説明役の小狼は右往左往していた。



 市役所の受付嬢曰く、昨夜の来客は桜都国に現れる敵――“鬼児”らしい。
 主に夜現れるが稀に陽が高い内にも出現し、強さは月の満ち欠けの影響を受け、満月に近いほど強くなり、新月に近いほど弱くなる。
 専門家がいるためよほどのことがない限り一般市民を襲わないらしい。
 その専門家である“鬼児狩り”と呼称されるハンターは鬼児を倒して収入を得ているらしいが、強い鬼児を倒せば高額のお金がもらえるらしかった。

 手っ取り早く儲けられて裏情報を得るにも効率的である代わりに、強さを求められる危険な職業と言う訳だ。
 それゆえペアであることが条件らしい。
 そこでお留守番の番犬に白羽の矢が立ったのだろう。

「なるほど、鬼児狩りか。退屈しのぎにはなりそうだな」
 窓辺に凭れた黒鋼が腕を組み、奸悪に笑う。
「けど、おまえはいいのか」
 急に振られた小狼は「え?」と面食らっていた。
「鬼児ってのがどれくらい強いのか分からねぇが、それを倒す仕事があって金が支払われてるってことは素人じゃ手が出せねぇってことだろう」
 黒鋼は眼光鋭く小狼を見つめると、小狼の右側頭部をつかみ前髪をかきあげた。
「おまえ、右目が見えてねぇな」

 ――え
 名前とファイが目を見開く。
 黒鋼は手を放すと構わず続けた。

「初めてお前が戦うのを見た時は巧断とかいうのを使っていた。ありゃ精神力で操るものだ。目が見えていようがいまいが関係ない。
 その次の国、高麗国だったか。あそこに着いた途端、領主の息子とやらに姫が腕を引っ張られただろう。お前、あの時それを全く見ずに反応したな。あの息子は本気で姫を痛めつけようとしていた。殺気とでも言えばいいのか、放っておきゃあ鞭でも振るうつもりだったんだろう。お前は見えないからこそその殺気に反応して先手を打って息子を吹っ飛ばした。

 後は昨日の鬼児だ。右からの攻撃への反応が僅かだが遅かった。
 ――もっと強い鬼児相手だと怪我するだけじゃ済まねぇぞ」
 冷たく言い放った黒鋼に、ファイの表情が陰る。
 牽制する黒鋼の言葉を聞いても尚、小狼は揺るがなかった。

「出来るだけ迷惑をかけないようにします」と真っ直ぐな決心を返す小狼が黒鋼に頭を下げる。「お願いします」
 鬼児狩りはペアでないと成立しない。それには黒鋼の了承が不可欠だった。

「おっけーだよね、黒様ー」
 明るい声で黒鋼に振るファイに、
「ふん」と黒鋼が短く了承の意を示す。
「ありがとうございます」
 小狼は安堵したように笑顔をこぼしていた。

「ところでそれはなんですか?」
 小狼とファイが持っている大袋を指した名前は数分後、聞かなければよかったと心底後悔した。



 昼下がりのぽかぽかとした春らしい陽射しに、紅茶の香ばしい匂いが鼻先をくすぐる。
 カウンターの中で鼻唄混じりに紅茶を煎れる陽気なファイは、痩身な為かモノクロのウェイター姿が様になっていた。
 鬼児狩りである二人は、小狼が学生服を黒鋼が袴を身に着けている。
 小狼がテーブルや椅子を並べ、黒鋼が脚立とカーテンを持って壁を移動していた。
 名前は自らに視線を落とし、顔をゆがめた。

「目が覚めましたか?」
 ソファーから身を起こした桜に小狼が声をかける。
「はい。あの、これ……」
 桜は来た時とだいぶ変わっている内装に戸惑っているようだった。
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