予報は夕方から雨。なんとか雨が降り始める前に練習は終わった。
窓の外はまだ夕日の出ている時間のはずだが、雨雲が空を覆い真っ暗だった。
俺は理由もなくただただぼーっと、窓の外を眺めていた。何をしても気が紛れない。何をしていても、昨夜の不動のセリフが聞こえてくる。

『やっぱお前のこと嫌いだわ』

今にも降り出しそうな雨雲は、なんだか自分を見ているようだった。
「!不動…」
下の道を不動が歩いていた。いつもと同じで足早に、駅の方に向かって歩いている。日本代表のジャージではなく、私服で。




Yellow 5




「不動っ!」
俺は傘を持って不動を追いかけていた。不動は俺の声に反応して動きを止め、それからゆっくりと振り向く。
「…なに?こんなとこまで付いてきたわけ?」
不動の声色は今までと違った、嫌悪感を含んだものだった。俺を嫌っているのは、本当なのだと思い知らされる。
「傘持って行けよ。雨、降りそうだから」
自分の折りたたみ傘を不動に差し出す。不動はポケットに手を突っこんだままで、受け取ろうとしない。
雨雲は、今にも雨を落としてきそうだというのに。
「明日返してくれればいいから。な?」
「いい」
不動は即答して、くるんと俺に背を向ける。
「嫌だ…っ不動!」
自分の口から思わず零れたセリフに顔が熱くなる。不動は振り返って、俺の顔を見ると少し笑った。それからまた歩き出す。引きとめようとして言葉を詰まらせる俺を見透かすかのように不動が手を上げた。
「すぐ戻るから」
そう言って不動はひらひらと手を振った。





案の定、消灯時間の22時を過ぎても、不動は帰って来ない。そのことに気づいているのは俺だけだろうけど。
まさか、さっきの会話が不動との最後になるんじゃないかなんて、大げさに考えて泣きそうになっている自分が情けない。
外は土砂降りの雨だ。
「ふどう」
嫌われていたって、今より嫌われたっていい。不動には暖かいところで、誰かと一緒にいてほしい。一人で雨に濡れているなんて、考えただけでも辛かった。


久遠監督の部屋の灯りが消えるのを確認して、俺は宿舎を出た。不動が何処へ行ったのかなんて全く見当もつかないが、じっとしているよりはましだった。しかし宿舎を出てすぐ、不動は見つかった。雨の中をこちらに向かって歩いている。その歩みはいつもより遅い。
「不動…っ!」
俺は慌てて駆け寄り、不動を傘に入れる。
「どけ」
雨の音で聞き取りずらかったが、不動は確かにそう言った。でもその声はいつもと違って、弱弱しくて、何より俺を睨んでもくれないことが不安でしかたない。
「どかない」
俺は無理矢理不動の手首を掴んで宿舎まで走った。不動は手を払うことも、嫌がることもしなかった。不動の手は氷のように冷たくて、俺はとにかくとにかく、それを強く握った。


合宿所に着くなり不動は俺の手を振り払い、びしょ濡れのまま部屋へ戻ろうとする。
「風邪ひくぞ」
「すぐタオル持ってくるから」
「着替えはあるのか?」
俺のお節介を気に留めることもなく不動は階段を上っていく。俺だってこんなことが聞きたいんじゃない。
本当は…
「なにかあったのか?」
不動は一瞬体を強張らせたが、返事もせずにまた歩き出す。不動の歩いた後は水滴が落ちている。
「泣いてるのか?」
俺には、不動が泣いているように見えた。普段ポーカーフェイスの不動の顔に、『悲しい』と書いてあったような気がした。不動は驚いたように振り向いて、夕方の時よりも鋭い目つきで俺を睨みつける。
「泣いてるようにみえる?」
「…見えるよ」
不動はフッと目を伏せた。
「大丈夫だから」
不動は先程までとは違う、静かな声でそう言った。
「違う…俺が…」

「俺が大丈夫じゃない…」

カッコ悪い。不動が心配で、それだけでどうにかなってしまいそうな自分が情けなかった。この心配が杞憂であると、不動に証明してほしい。
「入れよ」
不動は部屋のドアを開けっぱなしにして中に入って行った。俺は急いで自分の部屋からタオルを持ってきて、不動の部屋に入る。不動はぐったりと肩を落としてベッドの横に座っていた。俺もその隣に座る。
「はい」
「…ん」
不動の頭にタオルを被せる。不動はクシャクシャと軽く髪を拭き、頭にタオルを乗せたまま話し始めた。
「わかってると思うけど俺、家出してたんだ つか、まだ継続中なんだけど」
「うん」
「もう1年になる」
1年間。家を出てずっと、あんな生活をしていたのだろうかと、不動を土管の中から拾った日のことを思い出す。それとも影山のような人間に養ってもらっていたのだろうか。とにかく、俺には想像もつかなかった。
「でも今回日本代表になって…なんか公式サイトかなんかに名前が載ってたらしくって、今日電話がかかってきた。親から」
「…そうか」
「要約すると、会いに来いって。向こうからしたら行方不明だったわけだしな……今思えば、会いに来ないで、会いに来いってのがおかしいけどよ」
不動が鼻で笑った。まるで遠い昔話を話しているかのようだ。少しの沈黙が続く。
軽く深呼吸をして不動が話を再開する。
「で、今日家に行った。ほぼ1年ぶりに…そしたら」
タオルのせいで不動の表情はよく見えない。
不動がぎゅうっと拳を握った。
「安いマンションだから…廊下まで声が漏れて」
不動の声が震えはじめる。
「両親が言い争ってる声が聞こえて…」

「俺を…どっちが引き取るかって…!」

俺はそおっと不動の表情を隠すタオルを捲った。
不動は、泣いている顔も綺麗だった。
不謹慎にも、俺は少し安心した。やっぱり不動も一人になるのが怖いんだ。一人が嫌なんだ。
よかった。

「あいつら…俺が聞いてんのも知らないで…さ、俺のこと 押し付けあって」
不動の顔は笑っていた。目からは涙がポロポロと流れていたけれど。
「俺…もうす、捨てられたんだよ そうだろ?そうじゃなかったら1年も家出が成立するはず」
「そんなわけないだろ!」
思わず声を張り上げてしまう。不動が怯えたような表情で俺を見る。
「す、すまん…」
「…風丸クンは俺のこと、可哀想だって思ってんの?」
さっきまでの感情の籠った声とは違う、冷たい声が不動から零れる。
「可哀想だから、同情してくれてんだよな?」
ズキンと胸の奥が痛くなる。同情。確かに傍から見たらそうなのかも知れない。
「抱きしめたいって思うのは同情か?」
「………は?」
「抱きしめて、キスしたいって思うのは同情か?」
不動がガバっと顔を上げる。目をまん丸にして、泣いて赤くなった顔をさらに真っ赤にしていた。俺の顔もきっと、こんな風に真っ赤になっているのだろう。
「俺は不動がいなくなったら探す
探し続ける 見つけ出して、それで…」
「バカ」
不動はチラリと俺を横眼で見ると、フッと優しい笑顔を見せた。
「俺は」
言いかけると、不動の冷たい指が俺の唇に触れる。
「いい 言わなくても」
頬を赤く染めて、まだ目に涙を溜めている不動はとても、とても魅力的で。
その冷たい手が離れたかと思うと、不動が俺の肩にもたれた。
ふぅっと不動が小さなため息をつく。その吐息の暖かさを感じて、肩にある不動の熱をどうしようもなく意識してしまう。
不動が傷付いているというのに俺ときたら…
「風丸」
「ん?な…っわ!」
不動と一緒に床に倒れ込む。正確に言うと不動に押し倒された、のだろうか。とにかく不動と俺の体がぴったりと重なっていることで、俺の頭は真っ白だった。不動の髪の匂いがする。雨の匂いだ。
「今日は…もう眠い…」
「…風邪ひくぞ」
「へーきだろ…あったかいから」
あぁ、きっとそれは俺の体が火照っているからだな なんて他人事のように思いながら、すぐ横のベッドに腕を伸ばして薄めの毛布を引っ張り下す。なんとか不動にそれをかけると、不動がボソっと何かつぶやいた。
「ん?」
「…なんでもねぇ」
しばらくすると、不動から規則的な呼吸が聞こえてくる。俺はそっと不動の体に腕を回す。本当、寝てからとか卑怯だな、とか思いながら。
ふと、眠っている不動を見る。
「…さっき…」


『ありがとう』って聞こえたような気がしたんだが、きっと気のせいだろう。



2013/05/10
続く!
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