仕方ないな、って頭を撫でられた

「あ、幸次郎君。おはよう」

「ああ、おはよう」

先日チームメイトに紹介された、この基山彼方という少年はにこりと笑ってお辞儀をした。
ベンチに座り、どうやらメンバーの個々の能力値が書かれたバインダーのようなものを見ているらしい。源田は微笑んだ。
一時はどうなる事かと思ったが、この子は順応してきている。それはとても喜ばしい事のように感じた。

「それ、見ていて面白いか?」

と、指差すのはバインダーだ。

「結構面白いよ?幸次郎君って帝国学園の生徒なんだね」

バインダーには能力値だけでなく、個人情報も載っている。何せ作ったのはあの影山だ。調べ上げるのは造作もない事だろう。

「……ああ」

「次郎君も。…僕、去年の大会見てたよ。今年は…色々あってみてなかったけど…」

「…そっか」

源田はなんとも言い辛そうに、それだけを返した。彼方は不思議そうに首を傾げたものの、言葉を続ける。

「僕ね、幸次郎君尊敬してるんだ。もちろん次郎君も…このチームの人たちみんな、かな。みんなこんなに一生懸命サッカーやってるんだ。僕とそう年の変わらない人たちが…。それを思うとね、どうして僕はこんなに一生懸命サッカーやってないんだろうって思う。僕だってサッカー大好きな筈なんだ。…でも、サッカーボールを見ると怖くなる。僕はほんとは、サッカーしちゃいけないんじゃないかって思う」

「…俺は、彼方が思うほど立派な人間じゃないさ」

源田は彼方を見ずに、何処か遠くを見るように呟いた。

「彼方、サッカー、好きか?」

「うん、好き。大好き」

「そっか。そう思えるのは、すごく幸せな事だぞ」

そう言って、頭を撫でられて、彼方は少しばかり幸せな気分になった。目を細め、幸せそうに手にすり寄ってくる様子は猫に似ている。

「でも、幸次郎君も好きでしょう?」

源田は少し顔をしかめた。

「好きじゃなかったら、出来ないよ」

それでも彼方はにこりと笑うので、「ああ、そうだな」という返事しか返せない。ちゃんと笑えていただろうか、少々不安になった。

「いいなぁ、僕もサッカーしたいな」

「すればいいだろう?」

「ううん。駄目。僕にはボールに触る資格もないよ」

「資格とか、そういう問題じゃないだろう。やりたいならやればいい。好きなんだろう?」

源田にとって、ただ好きだから、そういう理由で「サッカーをやりたい」という彼方が少しまぶしく感じた。自分は今、何のためにボールを受け止めているのか。
そう考えれば考えるほど、自分自身の足元が不安定になるような気がして、それ以上考えるのはやめた。
彼方は笑顔で答える。

「いい。やらない」

この場合の笑顔は拒否である。

「そうか」

源田は感情に敏い。あっさり引き下がると、自分もそろそろ特訓を始めようと手袋をはめた。フィールドではもうメンバーの練習が始まっているのだ。

「幸次郎君、頑張ってね」

「ああ、ありがとう」

彼方は無邪気に応援する。








*************








佐久間の悲鳴のような叫び声に、何処か怪我でもしたのかと救急箱を持った彼方が駆け寄った。

「次郎君、だいじょう…」

「触るなっ!」

差し伸べようとした手をばっと払いのけられ、彼方は驚いたように目を見開く。

「俺は…俺は、なんとしてでも鬼道を越えて…っ!このくらい…どうってことない!邪魔するな!!」

「あ…あ、そ、その…ごめん、ね…」

佐久間苛立っていた。何に苛立っているのか、自分でもよく分からないまま、ただ苛々していた。
だから彼方に言った事は、ほとんど八つ当たりだった。

「邪魔…しないから…」

じわり、緑の瞳が揺れたのが見えてはっと我に返る。

「ごめんね」

「あっ、おい!」

そのまま走り去った彼方の背中に、なんとも声をかけてやれず、中途半端に伸ばした手をじっと見つめる。

「あーあ」

唐突に、後ろから小鳥遊の声が聞こえてきてぎょっとした。

「ちゃんと謝んなさいよ。あの子、あんたと違って繊細なんだから」

「う、うるせぇな…分かってるよ!」

「今日はもう部屋から出てこないでしょうから…明日になるわね」

「明日…」

明日は、予定でいけば雷門中がここを訪れる日だ。


その事を思えば、今は彼方のことなんてどうでもよく思えた。




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