ひとつ 積んでは 父のため
ふたつ 積んでは 母のため
みっつ 積んでは 故郷の
兄弟 我が身と 回向する
ジャラン、とどこか遠くで数珠の音が聞こえた気がする。
「う…」
いつの間に寝ていたのか、不意に意識が浮上した。
寝た記憶はない。布団に入った記憶もない。地面はごつごつとして固く、己は岩場に寝転がっていたのだという事に気が付いた。
「どこだここ…」
痛む上半身をゆっくりとおこす。あたりには濃い霧が立ち込めていて、周りの状況はよく見えない。カラカラカラ、と何かが回っているかのような音がする。風はあるようだが感じられない。空気はどことなく硫黄臭く、ひょっとしたら温泉でも湧いているのだろうか。
「―――ぉ………――――殿〜!」
「…ゆきむら?」
その声ではっと気が付く。いつも懐にしまいこまれている位牌がない。寝るときは枕元に置いておくのだが今は寝間着ではないし、靴だって履いている。いつも背負っている竹刀袋は…ない、か。
「琥珀殿〜〜〜どこでござるか〜〜〜〜!琥珀殿ぉ〜〜〜〜!!!!」
…いや、そろそろ幸村を迎えに行かなくては。だんだんと大きくなる声に節々が痛む体に鞭打って立ち上がった。固い地面で寝るとこれだからいけない。…いや、寝た記憶はないのだが。
立ち上がって一、二歩歩いてもやはり視界は悪い。足元もおぼつかないのでいささか不安な気持ちになる。これ、一歩歩くと崖でそこから落ちたりしないだろうな?しかし声のする方向に歩いていくしかあるまい。
少し歩くと竹刀袋が落ちているのが見えた。間違いなく己の竹刀袋だ。…どうしてこんなところに?疑問は尽きないがとりあえず拾う。これは命がけで手に入れた大事なものだ。
「琥珀どのぉ!!」
その少し先に、この白い景色の中でもよくよく目立つ赤い塊が見えた。真田幸村である。
この時点で「ん?」と思う人間は少なくはないのだろう。真田幸村とは、およそ400年前の大坂夏の陣で討死した武将であるからだ。それが今、どうしてここにいるのか?答えは簡単だ。
そう、彼は幽霊なのである。
俺、もとい千本塚琥珀はシャーマンなのだ。幸村はその持ち霊、シャーマンにとっての唯一無二のパートナーというやつだ。出会いはおよそ10年前の大阪城までさかのぼるのだが、ここは割愛しておく。いろいろあって幸村は俺の持ち霊へ落ち着いた。そういうことなのである。
「幸村!無事だったか?」
「某は問題ございませぬ…しかし、この霧。妙でござる」
神妙な面持ちでそうつぶやく幸村の顔は若々しい。討死したのは49の時なのだが、心境の変化からかすっかり若返り今は17歳を名乗っている…というのは蛇足か。
「妙っていうのは?」
幸村の足元に転がる位牌を拾い上げ、うっすらとまとわりつく砂埃を払う。位牌は幽霊にとっての家みたいなものだ。このように粗末に扱っていいものではない。
「どこか体に纏わり付くようであり…こう…体の力を抜き取られているかのような…」
「魂食いの一種かもしれないな…」
昔見た光景を思い出してぞくりと背筋が冷える。あの時俺はまだほんの小さかったが、それでもその記憶が消えていないところを見るに、いまだにトラウマなのだろう。
「とりあえず霧を抜けよう」
何処のどいつが、いったい何の目的で、どのようにここまで俺たちを運んだのかは知らないがこの提案はおそらく妥当といえるだろう。幸村も静かにうなずいた。霧を抜けて、ここがどこだか確かめなければ。
行くあてもないが、歩き出す。岩肌はむき出しで、よく見れば道の端には石が積まれている。カラカラという音の正体はかざぐるまのようだ。不気味といえば非常に不気味であるが、こちとらシャーマンだ。幽霊なんて怖くない。
しかしこの荒涼とした景色は、いったい何なのだろう。まるで地獄のようだ。相変わらず視界は狭いが。
歩けども歩けども、景色は変わり映えしない。しかしだんだんと坂道を上っているらしい。それに比例して霧も濃くなっている。…どうやら霧を生み出している者が近くにいるようだ。…幽霊、か。浮遊霊ならばほおっておくが、悪霊ならばそうもいくまい。霊と対話するのがシャーマンで、俺たちにしか見えない彼らが苦しんでいるのならばそれを取り除いてあげたい。
「幸村、大丈夫か?」
位牌に戻っていろと言ったのに、外に出てかたくなに俺のそばから離れない幸村に声をかける。本人はいたってケロッとしているが、どんな影響が出てくるかわからない。
「平気でござるよ」
予想通り、彼は何ともないようである。強がりなのか否か…幸村は人をだまくらかすのが意外にうまい。本気で隠されると見破ることは難しいだろう。
「ならいいけど…辛かったら位牌に戻ってろよ」
「琥珀殿は心配性でござるなぁ」
「心配させろ、馬鹿。友達だろ」
そう言えば照れたように笑う。相変わらずこの手の発言には弱いようだ。まぁ、生前立場上友達がほとんどいなかったようだし、仕方がないだろう。俺も友達は多い方じゃないけど。これは家系的な…幽霊が見える的な意味で…幽霊の友達ならいっぱいいるんだがな…生きてるのは少ないんだよな…。
「…ん?」
一瞬嫌なことを考えていたせいで見過ごしそうになったが、霧の向こうに何やらでっかい門がうっすらと顔をのぞかせていた。近寄ってみてみる。…古めかしい造りだがまだ十分新しい。上の方には「恐山」と書かれたプレートが掲げられている。…恐山?
「恐山!?」
ばんなそかな!あ、まちごた。そんな馬鹿な!!俺はついさっきまで東京にいたんだぞ!?…いや、目が覚める前は、の話だけど。
恐山は本州の先っちょ、つまり青森県に位置する霊山だ。たしかに風車とか…硫黄とか…積まれた石とか…それっぽいものはあったけど、まさか本当にそこだとは…。来るのは初めてだ。
それにしても、だれが何の目的でここまで連れてきたのかますますわからないくなった。そういえば幸村は犯人を見ていないだろうか?聞いてみたが芳しい返事は帰ってこない。…幽霊にも正体を悟らせない相手ってなんだ…?同業者ってことか?
「あれ…」
考え事をしているとふと気が付いた。この門の中、霧が全然かかっていない。
「なんでだ?」
一歩、中へ入る。クリアな視界が久し振りで何だか変な感じだ。
「変だな…」
「なんと!この中は霧がないでござるな」
「なんか結界でもしてあるのかも…」
門の中はどうやら寺のようだ。そういえば恐山の中には寺が二つほどあったっけな。
しかし中に入ると同時に聞こえてきたのは大きな足音だ。ずずん…とまるで巨人が歩いているような、気味の悪い足音。二人して顔を見合わせる。…今のは、とてもじゃないが動物の類だとは思えない。あれがこの霧の主か。きょろきょろとあたりを見回すがその姿は確認できなかった。この近くにはいないようだ。
「琥珀殿!」
幸村が声を上げる。切り立った崖の際でその下を見ている彼は、少しばかり顔が青白かった。
「どうした!?」
「あれを…」
崖の下にいたのは、鬼だった。
逃げ惑う魂を食い散らかし、吠える。鬼。…初めて見た。
角がある、牙がある、太い手足に巨大な体躯。あれを鬼と称さずにどう称すればいいのか。離れていても感じる邪気にぞっとする。あんなに恨みが育ったモノは見たことがない。
「なんだあれ」
ポツリ、つぶやいた言葉には返答がない。はずだった。
「あれは鬼。この乱世より生まれ出恨みを糧に、大きく育ち賜る不浄のものよ」
しわがれた声にバッと振り返る。そこには、時代錯誤の衣装に身を包んだ老人が一人、器用にも積まれた石の上に立っていた。
…音はなかった。気配は、俺は鈍いからよく分からないが幸村は反応していなかったはずだ。
「お主ら、何処より参られた」
「な、南部殿…!?」
静かな声にこたえることもなく、幸村は老人の名らしきものを叫ぶ。…おぬし、ら?あのじいちゃん、ひょっとして幸村が見えてるのか。
「いかにも。わが名は南部晴政…虎の若子、死にたもうたとは聞いておらぬが」
「なぜ南部殿がこちらに…!?しかも生きておいでのご様子…そんな馬鹿なことが…」
とりあえずお前ら会話したらどうだ。
bkm