双剣「アラジン、髪結い直してやるからちょっと来い」
「うん!」
ガタガタ揺れる馬車の中、ルイズの前にすとんと腰を下ろしたアラジンは上機嫌に歌を歌っている。辺りはすでに夕日に包まれ始めて、寒暖差の激しい砂漠はもうすぐ氷点下を下回るのだろう。
「うふふ、ルイズ君に髪の毛触ってもらえるの、僕すきだなぁ」
アラジンはどこまでも楽しげに声を弾ませる。
「お母さんがいたら、こんな感じなのかなぁ」
「俺は男だけど…」
女顔で華奢なルイズは女の子と間違えられることも少なくはない。声変わりも終わったと言うのに今だにアルトボイスなのも手伝ってか、やたらと「かわいいね」とか言われるのは正直癪に障る。
「ねぇ、ルイズ君にはお母さんっているのかい?」
「いるよ」
「どんな人?」
問われて、言葉がつまった。
もう何年会っていないだろうか。単身故郷を飛び出して、それから一度も帰っていない遠い故郷を思い出す。白い部屋、誰もいない家、泣いている兄。そんなことばかり思いだした。
「…そうだな、俺は実家が診療所でな。忙しい人で…あまり構ってもらった記憶はないよ」
「そうなのかい?」
「ああ。…ほら、出来たぞ」
「ありがとう!」
見慣れた髪型になったアラジンは、立ちあがってくるりと一回転して見せた。それが妙に子供らしく、まるで新しく買ってもらったものを見せびらかしているかのようだ。どうやらそれは比喩では無く本当だったようで、運転しているアリババに「みて!ゆってもらったんだよ!!」と絡みに行く始末。仕事中なんだが。
「おう、良かったな」
アリババは仕事中だと言うのに視線をアラジンに向けて優しげにほほ笑んだ。子供の扱いは慣れているのだろうか。まぁこんな仕事をしていればいやでもなれるだろうな、とルイズは結論付けた。
「そういや、あんたら泊る所は決まってるのか?」
「ううん!」
「はじめていく街だからな」
心当たりは全くない。急にそんな事を聞いてくるとは、どうしたのだろうかとアラジンと顔を見合わせる。
「そっか。ならさ、俺の家に泊れよ!」
*****
何考えてるんだろう。
アリババに対してルイズが思ったことといえば、そんなことだった。
彼は今、あの大量の高級酒を駄目にしたことで多額の借金を背負っている状態だ。そんな中で、わざわざ人を泊めてやろうなどという酔狂な事を行うとは信じがたい。数年来の親友、ならまだしも彼らは今日出会ったばかりの他人だ。アラジンはすっかり信用しているが、ルイズはそうもいかない。長年世界を旅し続けて、その間に酷い目に会ったことも幾度もあった。だまされ脅され殴られ蹴られ、見ず知らず人間はまず疑ってかかるべきだと生ぬるい田舎生活に浸された思考回路でもそれだけは刻みつけられたのだ。むろん、最初から疑ってかかるなどという胸の痛いことはしたくないに決まっている。しかし、自分が物理的に痛いのはその倍は嫌なのだ。
アリババが悪い人間でないことくらい、ルイズにだってわかっている。何か企んでいるのだろうが、それも取るに足らない事だろう。おそらくアラジンの「ウーゴ君」を見て思うところがあったに違いない。
ちらり、腰元の剣を見た。いざとなれば、斬り伏せることもやぶさかではない。
そこまで考えて、ああ擦れだ考えだと苦笑した。出来れば斬りたくなどない。年はそれほど変わらないだろう前途ある少年を下らない事で潰したくなどないのだ。
「ねぇ、ねぇルイズ君!おにいさんがね。僕と友達だって!」
「そっか、良かったな」
しかし、それはそれとしてアラジンが嬉しそうなのでもうこのままでもいいか、と思わなくもない。危険があれば排除する。保護者としてはそのくらいで十分だろうか。
「僕とルイズ君の関係はなんていうんだろうねぇ」
その言葉に、思考を止めた。
「家族じゃないのか?」
「違うよ」
「じゃあ友達?」
「ううん、それとはちょっと違うような」
「?」
アラジンとの出会いは、ああそう言えば。ルイズが砂漠でアラジンを拾ったのが始まりだったか。お腹すいた、お水ほしいと今にも死にそうに言うので飲み物と食べ物をわけてやったのがきっかけだった。それからなあなあに共に旅を続けているのだ。思い返せば、これから先も一緒にいなくてはならないと言うこともないような。
「うーん…お母さん、かな」
その台詞に思わずアラジンをどついた俺は悪くない。ルイズは誰に言うでもなく弁解する。
「誰がお母さんだ!」
「酷いよルイズ君…」
「お前が変なこと言うからだろ!まったく…。俺はあれだ、お前の保護者だ」
「保護者かぁ…うん。僕はルイズ君と一緒にいられるなら何でもいいかな」
うふふ、と笑うアラジンに毒気を抜かれる。ちらりとアリババを見ると、なんとも言えず羨ましそうな、それでいて少しばかりの罪悪感にあふれた顔をしていた。
ふむ、少し思案する。
「アラジン、悪いけど俺ちょっと剣研ぎ直してもらってくるから」
「えっ」
「あの砂漠ヒヤシンスの消化液にちょっとやられたみたいなんだ。すぐ戻るよ」
「あ、ちょ、俺の家わかるのか?」
そう言えばそういう問題があった。ちらりとアラジンを見やる。まぁアラジンの気配は少々独特だから、たどることが出来れば問題ないだろう。一人そう結論付けた。
「大丈夫大丈夫。じゃあな」
ルイズ君〜と寂しげなアラジンの声には後ろ髪引かれまくる思いだが、剣をとぎ直してもらわなければ、というのは事実なのでいたしかたない。いざというとき、きれない件では意味がない。ルイズは市場へと一歩踏み出した。
―――次に偶然道端で会ったとき、酷く憔悴したアリババとアラジンのコンビがそこにいて。一体何が起こったのか少し考えてから近くの店の看板を見てそっと拳を握りしめることになるのは、まだ知らない話だ。
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