ヒヤシンス瞬発力には自信があった。
脚力も申し分ない。
砂地ではうまく衝撃が伝わらず踏切に失敗した。しかし構わずに手を伸ばす。女の子はすぐそこだ。
その、細く頼りない子供特有の手を掴んだ。勢いをそのままに地上に向かって放り投げる。いささか乱暴すぎる手段だが仕方がない。他の馬車に乗っていた人たちがうまくキャッチしてくれた。
ぼちゃん!
数瞬遅れて、生ぬるい衝撃がルイズを襲った。どうやらあの湛えられた消化液の中に落ちた様だ。目を開けるのはまずい。粘膜に消化液が付着するとどうなるか、かんがえるだけで恐ろしい。ねばねばとした粘着性の高さがその濃度を物語っている。
息が苦しい。必死に上へと手を伸ばし、花のふちに手をかけてなんとか浮上した。
「は…っ!!」
「ルイズ君!」
アラジンの声が聞こえたが、返事をする余裕もない。激しく咳き込んでなんとか目を開けた。
ずぶり、体はいまだにその液の中へと沈んでいこうとする。これはまずい。花の方も、どうやら餌が出ていこうとしているのに気づいたのだろう。その触手をのばして体内へ押し込もうと迫ってくる。
「はは…」
こりゃ、やべーわ。
幾許の死線も修羅場も一人で乗り越えてきたが、流石にここまで捕食されそうになった事はない。助けも望めないとなると、これはこのまま死ぬのが定めか―――。
いいじゃないか。心の声がする。
だって、ずっと××××××。
「ルイズ君!」
泣きそうな子供の声が聞こえて、はっと意識が覚醒した。アラジンだ。
見上げれば泣きそうなアラジンが今までのっていたのとは違う馬車の運転手に止められている。
俺が死ねば、アラジンは泣くのだろうか。ルイズはぼんやりとそんな事を思った。アラジンは強い子供だ。泣いているところなどあまり見たことがない位に。
何があったのか、親は、家族は、友達は、どうして旅をしているのか。
ルイズは何も知らないが、それでも共に旅をしてきた仲間で、友人だ。だと言うのに、心配させるなど、ましてや泣かせるなど!言語道断。
「こりゃ…死ぬわけにはいかねーな」
頭上ではなにか喧嘩している様な声が聞こえる。運転手の少年だ。あの大豪農とかいう男を思いっきり殴ったらしい。「いまたすけるぞ!」などと言われるのはなんだかこどばゆいきもちだ。
消化液の中に手を突っ込む。多少体が沈んだが構わない。目的の物は腰に。
そうして、迫りくる触手を一閃で薙ぎ払った。
そのすぐ後、少年が樽を投げ入れる。それと同時に花がへにゃりと活動を緩めた。
砂漠・ユリ科は酒に酔うらしい。それにしても、この良いの回る早さは凄まじい。…ということは、すぐにとかして養分にするということか。ゾッとしない話だ。
「大丈夫か!?」
「なんとかな…」
ずるり、少年に手を貸してもらってヒヤシンスの中から這い出る。どこもかしこもべとべとでげんなりするが、命があるだけもうけものだ。とにかくさっさとこの流砂から上がらなければ。
「いけそうか?」
「大丈夫だ」
心配してくれるのはありがたいがこれでも頑丈なのだ。上にいるアラジンに大丈夫の意味も込めてわらいかければ酷く嬉しそうに笑い返してくれたので、ああ、助かってよかったなと数分前の考えなどわすれて嬉しくなった。
「アリババ!まだだ!!」
その声にはっと警戒態勢を引き上げる。
ぎゅる!と凄まじい勢いで触手を伸ばしてきたヒヤシンスに運転手の少年が絡め取られた。すさまじいスピードだ。反応が数瞬遅れていればルイズも巻き込まれていた。
再び迫ってくる触手を斬り伏せ、遥か上方にいる少年を見上げた。遠すぎる。この砂地ではどれほどの跳躍力だろうとあそこに届くまでの高さは出せないだろう。だが、諦める訳にはいかないのだ。自分を救ってくれた少年を見捨てるなど、出来る訳もない。
「ルイズ君、僕に任せてくれないかい」
「アラジン…!?」
アラジンが頭にまかれていたターバンを勢いよくほどく。その衝撃で朝してやった三つ編みがするりとほどけた。
「飛べ!魔法のターバン!」
広げられた白い布が、無造作に置かれていた酒の入った樽を全て持ち上げる。
運転手の少年よりももっともっとはるか上空へ、アラジンは一気に飛びあがった。
「魔法のターバン…」
初めて見た。ぽかんとあいた口から少しばかり砂が入る。
本当に、アラジンと魔法のランプみたいだ。そんな場違いな考えばかり脳裏に浮かんだ。
「おにいさん、嘘ついたの?」
アラジンはどこまでも純粋にその言葉を口にする。
「お金でもお酒でも買えないもの、もっと僕に教えてよ!」
男がその酒の価値とか、つかまっている少年との価値の違いとか、癪に障る事ばかり並べ立てるがもちろんそんなことでは止まらない。ルイズは流砂から這い出て楽しげなアラジンを見上げた。
「やっちゃえよ、アラジン!」
「うん!」
ああ、これまた元気いっぱいのいい返事だ。
酒を全てヒヤシンスに注ぎ込まれて、大豪農とやらは悲鳴を上げて失神した。
****
「助かったよ、えっと…アリババ、だっけ?ありがとう」
「僕からもお礼を言わせてよ、おにいさん!ルイズ君を助けてくれてありがとう!」
大勢の人々に囲まれている運転手の少年…もとい、アリババに二人はそう告げた。いやー、死ぬかと思ったなどとのたまうルイズは先ほど命の危機に瀕していたと思えないほど明るい。
「あー…いや」
改めて御礼を言われるとこう、むずむずする。アリババはやりづらそうに身体を揺らした。
「借金出来たんだろ?大丈夫なのか?」
「ああ。まぁ、また働いて返すさ」
ぷひゅー、横から間抜けな音が漏れる。
「そっか。…なんか悪いな、俺の所為だ」
「いや、どっちみちいつかやってたさ」
「…アリババはいい奴だな」
「はっ!?」
「人のために命張れる奴が、悪い奴な訳ないだろ?」
「いや、それは…お前の方が…」
確かに、一番最初に助けに走ったのはルイズだ。彼はそれを言いたいのだろう。
「でも、俺だけだったら死んでた」
ぷひゅー、ぷひゅー。
「だからもう一度礼を言わせてくれ。ありがとう。命の恩人だよ」
ぷひゅ、ぷひゅひゅっ
「いや…その…」
ぷふー
「…さっきから何やってんだアラジン」
さすがに耐えかねたらしい。ルイズはアラジンを振り返って真顔で尋ねた。
アラジンが吹いているのは金の笛だ。
「砂が詰まってウーゴ君が出てこないんだよぉ」
「ウーゴ君?」
「なんで今やるんだよ…もっとこう…タイミングが…」
プピッ
「あっ、出た!ウーゴ君が出てきた!!」
人の話をさっぱりきかない。まぁこれもいつもの事だ。もう慣れた。
しかし、ルイズはすっかり「いつものこと」だと慣れていたため気が付かなかったのだ。
「ぎゃああああああああ!!!!!」
「蛇か!?」
「うわあああああああ!!!」
ウーゴ君というものが、どれほど異常な存在かを。
辺りは阿鼻叫喚。せっかく砂漠ヒヤシンスから逃げ出したと言うのに逃げ惑う人であふれかえることとなった。
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