洞窟眼前に広がるのは異様な光景だった。
まるで宇宙空間のような黒い空に、巨大な火の塊のような赤い球体が浮かんでいる。暑さは寒さはよく分からないが、何かにぐんぐん体が引き寄せられているのは分かった。
「なっ…」
身体が引きちぎられるかのように痛む。これはもしかして…引力?いや、この迷宮に入って来た時の感覚とよく似ている。引力というには少々強引だ。
長く考察する暇もなく、ルイズの体は何処かへと投げ出された。
ばっしゃん!
「うえっ!?げほっ…ごほっ…!」
着地したのはどうやら水の上だったようだ。洞窟のようなそこは周りと比べると少しだけ窪んでいて、そこに水がたまっている。水底には星を円で囲ったようなマークが描かれており、おそらく何かの魔法陣なのだろうと推測できた。
「なんだここ…」
ぴちゃん、と何処かで水の落ちる音がする。一見どこからも水がわいているようには見えないのだが、やはり湧水なのだろう。
洞窟は酷く短いようで、すぐそこに出口が見える。暗い洞窟の中からぴかぴかと光り輝く外の世界は先ほど入ってきた迷宮の入り口を想像させてなんだかげんなりしてきた。アラジンたちはまだ帰ってきていないと言うのに、一人こんなところに居て大丈夫なんだろうか。まさかとは思うが、迷宮を前に怖気付いて逃げ出したとでも思われたらたまらない。かといって迷宮の外には出られない。迷宮は完全攻略しないと外への道が開かれないらしいのだ。なんとも面倒くさい事に。
「はぁ…仕方ない」
ここでぼんやりしていても何も解決しない。濡れ鼠のままなのはいささか不愉快だが、長い事旅をしてきたから今まで数え切れないほどこんなこともあった。立ち上がって服の裾を絞ると水がぼたぼたとこぼれ落ちる。水を含んで重たい足を引き摺ってルイズはのっそりと洞窟から抜け出した。
洞窟の外はとても広い空間だった。天井はそれほど高くない。壁にはいくつも穴があいていて、高い所には足場もある。外の景色なんか一つも見えないのに何故だか非常に明るかった。
何故だ?
ルイズは小首を傾げた。これほどの洞窟だ、暗くって当然なのである。にもかかわらず、薄暗さすらとんと見られない。影の位置から察するに、どうやらこの光は上から降り注いでいるらしい。見上げれば、なるほど。光り輝く苔のようなものが天井に張り付いていた。
うずり。身体のどこかが反応する。指先はプルプルと震え、視線は天井を突きさして放さない。
これが一体何という感覚か。ルイズは長い事己と付き合っているので(何せ生まれる前からだ)良く分かっていた。
好奇心だ。
好奇心は猫をも殺すと言うが、彼にとって好奇心とはすべての原動力である。もちろん言葉の通り好奇心に引き摺られるように軽率に行動して死にかけたことも幾度となくある。だが、全ての行動はこの「好奇心」あってのものなのだ。知りたいと思うからこそ、面白いと思うからこそ、ルイズは動くし、あちこち調べ回るし、そして発見をする。それが一番楽しい。
そして、その好奇心は抑えられたためしがないのだ。
ここで大人しく待つ、という選択肢はすでに潰えてしまった。ともかく苔を採取しよう。天井まで登るのはいくら身軽なルイズといえどいささか危険だが、他に方法もあるまい。よし、と気合を入れるとルイズは地を蹴った。
この空間は広すぎて、壁蹴りの要領で上へと登ることは難しいだろう。ロッククライミングのようによじ登るか。…なんだかトカゲを連想させた。勢いをつけて上段へ飛び上がる。天井の光る苔まではまだまだ遠そうだ。
「はぁ…」
いっそ壁に剣を突きさしながら登ろうか。磨いでもらったばかりの剣をすらりと抜きはなつ。…いや、だめだ。それほど深く刃を突き刺せるほどもろい壁ではないだろうし。
どうしたものか。しばし考えるもいい案は思いつかない。…ただ苔を採取するだけならば出来なくもないのだが、この洞窟が倒壊してしまう危険性を考えると実行には移せないだろう。あとからアラジンとアリババも入ってくる筈だし、それだけは避けたい。
「……ん?」
ふ、と近くにあった横穴に目をやる。奥の方がぼんやりと光っていた。これはもしや、あの苔は至る所に自生しているのでは?
考えてみれば全くおかしい事では無い。洞窟は横穴がたくさんあるし、この先に進むとなれば中にも生えていなければ真っ暗になってしまう。つまり、わざわざあの高い所にある苔を採取しなくても大丈夫だと言う訳か。ルイズは一人頷いた。それなら楽勝だ。
適当に横穴に入ってみることにした。ふと見ると、入口の付近に何か印がつけてある。いままで入ってきた人が付けたのだろうか?なんのために?
ちらりとそのほかの穴を見れば、×とか○だけでなく△やよくわからない記号のようなものも描かれている。記号は一つし書かれていない穴もあれば三つほど書かれているものもあり、ひとつだけ何も書かれていない穴があった。理由を考えながら迷宮に入る前、アリババが言っていた言葉を反芻する。"十年間で一万人が登ったきり死んだ階段"。それだけの人数がこの場所に来たとして、ではどうやって先に進むだろう?穴は複数ある。正解がいくつあるのかは知らないが、こういうところの定石としてはおそらく一つだけだろう。なんの目印もないのだから穴は適当に選ぶしかない。だが、穴はどれもこれも似た様なものばかりだ。途中でどの穴に入ったのか分からなくもなるだろう。同じ穴に二度はいる事を避けるためにはどうするか?…それは簡単だ。入ったという目印をつけていけばいい。
「ああ、なんだ」
思ったよりも複雑なことでは無かった。なにかのトリックでもなければ先人の仕掛けた罠でもない。要はこれは、ただの目印なのだ。
じゃあ一つだけ印が付いていない道は?それは別の道に入り直す必要が無い道ということで、つまり、奥へと繋がる正解の道ということだろう。
「なるほどな〜」
言いながら何も描かれていない穴へと入る。苔は足元にも生えていたので、採取は簡単だった。甘ったるい匂いが奥からしてくるのが気になって、尚も足を進める。この時点で、ルイズは置いてきたアリババとアラジンの事をすぽんと忘れていた。
奥に進んでいくと、すこしばかり広い空間があった。甘い匂いの発生源はどうやらここのようで、光り輝くてかてかした球体が何かの粘液と共に天井からぶら下がっている。
「これは…」
そっと触ってみると、以外と柔らかく表面は粘液でぬとぬとしていた。とてつもなく嫌な予感がする。すっと手を離し、ゆっくりと後退する。ここで置いてきた二人の事を思い出し、そうだった戻らなければならないのだった、と思ったところで妙なものと目があった。
蟻だ。
直感的にそう思ったが、それにしてはおかしい。目が多いし、牙も生えている。それになりよりでかい。三歳児くらいの大きさはあるんではないだろうか。足はきちんと六本ある癖によくよく見れば後ろの二本だけで二足歩行している。なんだこれ。魔物か何かか。ルイズはしばらく思考回路が停止したが、複数の蟻がこちらに群がってきているのを見るとはっと我に帰った。
そうだ、ここは迷宮なのだ。過去幾人も幾人も挑んで、そして敗れ去った場所なのだ。危険が無い訳が無い。罠が無いわけがない。
大量の蟻に出入り口をふさがれたので奥に逃げるしかない。飛び上がって襲いかかってくる蟻を適当にいなしつつ、さらに奥へと走り抜ける。蟻が追ってくるのが鬱陶しい。かといってこの狭い通路で術を使えばどうなるか…。だが四の五の言っていられないだろう。ある程度蟻と距離を離すと、詠唱を開始した。
「氷結せし刃!鋭く空を駆け抜ける!!」
足元に広がる水色の魔法陣。久方ぶりの精霊術の行使だが問題無く発動できるらしい。
精霊術は精霊に己のマナを与えることで発動する術だ。これは何百年か前になんとかいう学者が開発したものらしい。精霊がいなければ発動しない術なので、おそらくこの世界にも精霊か、あるいはそれに準ずるもの(何かはよく分からない)が存在すると言うことだろう。
「フリーズランサー!」
背後に浮かびあがる魔法陣から氷の刃が射出される。それは群がる蟻をなぎ倒し、壊滅状態にまで追い込んだ。
だが…なにか、妙だ。ルイズは底知れぬ違和感を覚えた。こんなに簡単に倒せるものじゃない筈だ。
そう思った矢先、やはりと言うべきか蟻たちはむくりと起き上がってきた。損傷は尋常ではない筈なのに、意に解した様子もない。よく見れば彼らはスライムのようだった。どろどろと溶けて、それであまりダメージが無いのだ。
スライムには大抵核と呼ばれるものが存在する。それにダメージを与えることでスライムの形状が保てなくなり倒されてしまうのだ。だが、目の前のこいつらにそんなものがあるのだろうか?全身くまなく抉り倒されているにも関わらず起き上がってくる個体もいて、これはどうするべきなのかと逡巡した。
斬る、潰す、などの物理攻撃は効かないとなると、属性に任せた攻撃はどうだろう。いくつか脳内に候補を上げていく。一番はやはり"焼く"だ。今度は赤い魔法陣を展開させる。
「熱く滾りし炎!聖なる獣となり不動をくらい尽くせ!!…フレイムドラゴン!」
陣からでた炎の竜が蟻たちを一気に焼き尽くした。
やはり属性攻撃は効くらしい。ふう、とため息をついたころには、蟻のようなスライムはもののみごとに消失していた。
prev|×