暗躍する異物
夜に行動するというのは、なかなかに難儀なものである。
そもそも暗い。暗闇では歩くことすらままならず、障害物すら見えづらい。冬には温度が下がるというおまけすらついてくる。
しかしながら、人目につきにくいというのは魔術師にとっては利点の一つだ。魔術は秘匿されるべき物、一般人に知られてはまずい。
「はっ…くしゅん!!!」
だがその利点すらも、別段魔術を行使しないノアにとってはどうでもいいことだった。ただ寒い。且つ暗い。
寒さで震える腕をさすった。その程度の摩擦で寒さがどうこうなるとは到底思わないが、無いよりましだ。これでも厚着をしてきたというのに、これほど寒いとは。普段から引きこもっていてばかりいたから知らなかった。これからはもう少し外出すべきか――もちろん、生き残れたらの話だが。
「ああ…ずずっ…憂鬱になってきた…」
果たしてこれから生き残れるのか、他のマスターよりもはるかに高い死亡率に改めて愕然としながらもノアは歩みを進めた。
目指す先は海浜公園に隣接するプレハブ倉庫だ。もちろん直にそこを目指すのではない。ほどよい距離を取って覗き見る程度にしようと目論んでいた。近づけば正体がばれるし、衛宮切嗣に殺される可能性も高くなる。ここでイレギュラーたる己の身を晒すのは絶対に避けたいところだ。
冬木大橋も中盤に近づいたころ、ふと上空に何かしらの気配を感じた。いや、上空と言うには近い。橋のアーチのてっぺんほどの高さだろうか。尋常ならざる気配。これはサーヴァントのものだ。出来る事なら誰なのか確認しておきたいところだが、ここでサーヴァントに反応するのも妙な話だ。
はて、あれは一体誰のサーヴァントなのだろうか。アサシンか、あるいは…記憶をひっくり返しながらも彼の足は止まらない。
記憶をひっくり返したところ、一人思い当たる人物がいた。
ノアの弟であるウェイバーと、その従者ライダーだ。彼らは確か、セイバーとランサーの一騎打ちに割って入る筈である。そのため、ランサーの動向を窺える程度の位置で待機していたはずだ。
ほぼ弟に間違いないと思うが、あれがアサシンであるという可能性も否定できない。アーチャーと別行動をしていて良かった、と内心胸をなでおろした。こうも序盤で発見されては元も子もない。
先にも述べたとおり、今アーチャーは霊体化して近くにいる訳ではなく、単純に別行動を取っていた。その方がノアがマスターであると発覚しづらいからである。こういうとき、アーチャーに単独行動スキルがあると非常に便利だ。もっとも、ギルガメッシュに対しては単独行動スキルなど無かった方が良かっただろうが。
ともかく先を急ごう。集合場所だけは決めているので迷うことは無いが、遅くなってはアーチャーからのじわじわとした嫌味を聞き続ける羽目になる。それは出来得る限り避けたい事態だ。
*******
アーチャーと合流したとき、すでにセイバーとランサーの戦いは始まっていた。
衛宮切嗣はすでにどこぞの場所に陣取っていて何処かにいるランサーのマスターに狙いを定めているようだ。ようだ、というのはノアがアーチャーづてに聞いた話であるからだ。はるか遠くに見えるプレハブ倉庫は、彼の目からは全くもって視認不可能だがアーチャーのスキル千里眼を使えばいくらでも見えるようになる。視界を借りてノアも同じ光景を見ることも可能だが、曰く、面倒くさいらしい。展開は想像がつかない訳ではないし、今説明させることも後から聞くことも可能であるのだから別段不都合は感じない。
「アーチャー、セイバー達の様子はどうだ?」
「今セイバーが左腕にランサーの一撃をくらったな」
「そうか…」
「…ライダーが割って入ってきた。どうやらマスターも一緒のようだが…あれが君の弟か」
「ああ、そうだろうな」
「ふむ…また随分と…軟弱そうだ」
「…ほっといてやれ」
おそらく勉強ばかりにかまけて、碌に外に出かけてもいないだろう。それはもちろんノアにも当てはまることだが、それはこの際棚に上げることにする。
「ライダーとは一体何の英霊だ?」
「ん?征服王イスカンダルだよ。アレクサンドロス三世って言った方が分かりやすいか?東方遠征で有名なマケドニアの王だよ」
「あの宝具は…」
「なんだったか…たしか、ゴルディアスの結び目に関する伝説だったんだよな…たぶんゼウスに送られた牛車だったとおもう。この結び目を解いたらアジアの支配者になれるっていう紐を剣でぶった切って結び目を解いて、繋がれた牛車を自分のものにしたっていう話だった」
「…君は、事調べ物に関しては用意周到だな」
「まぁ…サーヴァント全員の真名が割れてるんだ。調べにゃ損だろ、こういうことは」
ふと、急にアーチャーが黙り込んだ。ぴりぴりと殺気のような、緊張感のような、独特の雰囲気がこちらまで伝わってくる。
「………………来たぞ」
彼は静かに告げた。
言われずとも分かる。この遠くからでも圧倒的な威圧感、存在感。間違いない。
今回の聖杯戦争でアーチャーとして召喚された、英雄王ギルガメッシュだ。ウルク王ルガルバンダと女神リマト・ニンスンの間に生まれ、3分の2が神で3分の1が人間ながら、神を憎む暴君。彼が現れるだけで空気が戦慄するようだ。
よろしければぜひお近づきになどなりたくない。ぜったいにだ。ノアは小さく息を吐きだした。殺気だっているからだろうか、これほど離れているというのにドキドキしてきた。とっとと撤退して頂きたいものだ。
「おい」
思考の渦にのまれていると、不意にアーチャーから声がかかった。
「黒い鎧が現れたぞ」
「バーサーカーか!」
「狂戦士…あれが、か」
アーチャー自身も過去に戦ったことがあるだろう。第五次ではバーサーカーはヘラクレスだったが、今回はサー・ランスロットである。もっとも、理性がないのだから中身が誰であろうとさしたる違いは無いのかもしれない。
「アーチャーの攻撃は昔から変わらないのだな」
「なんだっけ?ばび…ばびろん?だっけ?」
「ああ、王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)だな」
「ぜったいあいてにしたくない」
「はは、マスター。残念ながらそれは不可能だ」
笑いながら冷静に現実的な事を述べるこの赤い外套の男に、ノアは言い返すほどの気力もなくがっくりと膝をついた。分かっているのだ。避けきれない敵であることくらい。衝突をできるだけ後回しにしているだけにすぎない。
と、ここで急激に空気が冷えた。ギルガメッシュが退いだようだ。ここでようやく、ノアの肩の荷が下りる。慢心王たる彼のことだ、万一この近くを通ったとしても彼らのことなど気付きもすまい。
「アーチャー、バーサーカーは…………あれっ、アーチャー?」
事態はどうなったのか、尋ねようとアーチャーの方を向けば、そこには誰もいなかった。
「…アーチャーさん?」
霊体化していようが、近くに自らのサーヴァントが控えていればわかる筈。その気配すら感じさせない。あわてて周りを見れば赤い外套の男は颯爽と闇夜を駆け抜けていた。
「…っ…えっ…エミヤシロォォォォォォォオオオオオオオ!!!!!!!!!!!!!!」
思わず全力で叫んだノアは、悪くない、筈だ。
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