少年は剣を研ぐ
「俺が生き残るすべは!!」
ノアがそう口を開いたのは、買い物から帰って来た時のことだった。立てつけの悪い扉を勢いよく開けると、彼は天啓を得たとばかりに明るい顔で喋り出したのだ。
「お前の性質を利用すればいい!!!と、思いました!!あれ?作文?」
「いいから続けたまえ」
アーチャーは面倒くさそうに眉をひそめて続きを促した。彼は今掃除に忙しいのである。本人は否定しているが家事が好きなのだろう。ノアとしてはありがたいことこの上ない。
「お前は霊長の守護者である前に正義のヒーローだろ?」
言いながらパソコンの前に敷かれた座布団の前に座り込む。手の中にはねぎの入ったビニール袋。その他の物も入っているので早く冷蔵庫に入れて欲しいのだが。
「じゃあ簡単だ。俺は一人でも多くの人間を生かす事に奔走すればいい!!」
「…ほう」
おそらくそれは根本的な解決法ではない。人間を生かすであれ殺すであれ…歴史が変わることに違いは無いのだ。
しかし、目の前の抑止力は「正義の味方」である。
かつて死すべき100人を助けるために奔走した男。
「俺は一人でも多く、人間を生かす」
ノアの新緑の色をした瞳がアーチャーを刺す。
「そのためにはやっぱり大災害を防がなきゃならない。…あれが防げれば…」
「…歴史が、変わるな」
「でも、お前は邪魔できないだろう?」
サーヴァントだろうが英雄だろうが、人の心というものがある。理性を無くしたバーサーカーだろうと過去の思い出は捨てられない。
「アレを防げば、衛宮切嗣は死なない」
沈黙が下りたのは、ノアの予想の範囲内だった。
誰だって大切な人間が助けられるかもしれないと言われればグラつくものだ。
一応、アーチャーはノアが召喚したサーヴァントだ。世界の抑止力としての命を受けていると言っても、殺す殺さないは彼の判断に依る。ならば彼が判断しづらい状況を作ってしまえばいい。
「歴史は変わるが、俺は一人でも多く人間を救う。いいな?エミヤ」
彼は答えない。しかし否定もしない。それだけで、ノアにとっては十分な答えだった。
*********
ノアの研究は「魔術と科学の融合」。
それは衛宮切嗣と似ているようで全く似ていない、可能性を探る研究だ。
そもそも魔術を起動させるには、呪文詠唱が必要となる。
呪文詠唱には大別して二つあり、一つには「門派ごとの魔術基盤に働き掛ける約束事」。一流派として安定した魔術を使用する際は、定められた形式通りに手順を踏まねばならない。その時の決まった言葉が呪文であり、「形式」であるため身ぶり等のほかの要素も加わる場合もある。基本的には「世界に訴えかけるもの」だ。
もうひとつは「自身を作りかえるための自己暗示」。魔術回路を効率よく起動・作動される方法の一つとしての、自らを作りかえる「決まり文句」である。同じ魔術でも、魔術師ごとに呪文詠唱の文句の内容がことなるのは、つまり術者の人間性の違いで「自分を作りかえる」ために必要な言葉は各々によって違うということだ。
ノアの呪文は基本的に前者である。もちろん自己暗示を使わない訳ではないが、大魔術を展開させる時には前者を使用する。
何故かといえば彼の魔術の媒体は基本的にパソコンによるからだ。
自作のノートパソコンに魔術の工程をすべてプログラミングすることによって、面倒な作業を一切介さずクリックひとつで大魔術を展開することを可能にしたのだ。
もちろん媒体はパソコンだけではない。普及し始めた携帯電話も彼にとっては手軽な媒体の一つだ。プログラミング一つで拳銃のようにガンドを撃てるようになっているのだから、その手腕も伊達ではないのだろう。
最初に説明を受けた時、アーチャーはなかなかに感心した。
たしかに、どれほど膨大な工程を経なければならない大魔術でもそうしてプログラミングしてしまえば一瞬で起動できる。それは戦闘においてどれほど役に立つことか。ノアからしてみれば魔術と科学の融合という研究結果の一つでしかないのだろうが(そもそも魔術師というものは根源への到達を目標に掲げている者の事を指すので、彼の研究は魔術師の研究というものからからおおよそかけ離れている)、それがこうも有利に働くとは。先手を取れる事は戦いにおいて重要なことなのである。
そういう意味でいえば、未来を知っている彼は常に他のマスターより優位に立っているということだ。アーチャーは第四次聖杯戦争については詳しく知らないが、ノアは良く知っているだろう。
「アーチャー、他のサーヴァントはまだ召喚されてないのか?」
「まだ…だな。君が一番乗りと言う訳だ、おめでとうマスター」
「ぜんっぜんうれしくないけどな。そもそも召喚する予定なんて無かった訳だし」
マスターはサーヴァントを召喚すれば聖堂教会の監督役のへと赴くものだが、ノアにはその気がさらさらない。面倒なことになるのが目に見えているからだ。
聖堂教会と遠坂家は繋がっている。出来る限りマスターの正体を隠していく方向で作戦を立てたアーチャー陣営(ノア側)としては、わざわざ敵に塩をおくってなるものか、ということなのだ。
「ああ、でも聖杯戦争が始まったら…ウェイバーが来るな…」
物語の通りに事が運べば、聖杯戦争にはウェイバーが参加することになっている。弟と殺し合うのはごめんだが、会えるのは嬉しいことだ。そもそも弟にも自身にも、おそらく殺意などは無いだろうが。
「たしか…君の弟だったか」
「そうそう」
ノアはタイピングをしながら軽く答えた。
「双子の弟でな、俺と違って生意気で可愛い奴だよ」
「確かに、君は可愛くないな」
「うるせぇ。俺が可愛かったら気持ち悪いだろ」
「…相当気持ち悪いな」
しばらく考えるようなそぶりをして、アーチャーはわざとらしく口元を押さえた。自分から振っといて失礼な奴だ、ノアはぶちぶち言いながらも手を止めることはしない。
「でもケイネス先生には会いたくない」
「ケイネス?」
「ケイネス・エルメロイ・アーチボルト先生!九代くらいだったかな?由緒正しい魔術師の家系に生まれた天才児って呼ばれてるよ。今回は確か、ランサーであるディルムッドを召喚すんの。時計塔の降霊科の先生でさ、むかし俺の論文目の前で破かれた事あったよ。あんまり続いてない魔術の家系だからって馬鹿にされてんだよねー。相手すんのめんどくさいからあんまり関わりあになりたくない」
「君は…悔しいとか、そう言うのは無いのか?」
「悔しい?」
今度は手を止めてアーチャーを振り返った。瞳には確かに疑問符が宿っていて、彼は悔しいとか、そう言う感情を覚えていないことを如実に知らせてきた。
「目の前で論文を破かれ、馬鹿にされ。悔しくは無いのか、と聞いている」
「ああ、そういうの?いやぁ、べっつにー。だって俺の方が年上だし。子供の戯言だと思えばいっくらでも聞き流せるよ」
ノアは転生者である。一体いくつで死んだのかアーチャーは知らないが、死という大きな壁を乗り越え、前世の記憶を引き継いで現世に誕生した彼にとってみればたいていの大人は子供扱いできるのだろう。
「あ、アーチャー」
「なんだ」
「今晩はハンバーグ食べたい」
「…子供舌が」
「うるせー」
しかしながら、彼の本質はどちらかと言えば子供臭いような気がする。
…アーチャーから見ればの話ではあるが。
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